フーコさんのマイページ

フーコのランダムメモ・17

2010/02/10 09:00

『電波温泉』
フルスイングバット / ハードコアラレコード / 2010.1 / 1,800円

★★★★★

<言葉は、パンク・ロックに乗ってラディカルになる>
 フルスイングバットは、94年に結成され、都内のアンダーグラウンドシーンで活動、本CDは、結成16年目にして初のアルバムということになる。ジャケットのイラストは、つげ義春の「ねじ式」のワンカットから採られている。

 わたしは、これまで、ライブを2度、そして私家版を聴いたことがある。“パンク・ロック”というジャンルに熟知しているわけでも、特に好感をもって聴いているわけでもないが、頭脳警察やアナーキー、ザ・スターリンを“パンク・ロック”グループとして見做していけば、この音楽ジャンルのラディカル性は象徴化できるような気がする。

 アルバム『電波温泉』をあらためて聴いて、このバンドが持っている長い時間性と、込められてきた言葉のラディカルさに感応したといっていい。わたしは、ここで、ラディカルということを、たんに過激といった意味で使っているわけではない。言葉自体、つまり言葉の表層が過激であることと、言葉が、聴き手に伝わり、感応されることによって、初めてラディカルな装いを持ってくることとは違う。『電波温泉』のラディカルさは、言葉の表層性から見事に超脱して獲得されたものだ。たぶん、これは、このバンドの濃密な時間性を示していると思われる。

 「池袋無頼」のなかに、こんなフレーズがある。

 「快楽と云う名の支配者が溢れてる/とりあえずキャバクラ延長しようか/自分の器を考えた 楽しくやりたいのさ/もっと馬鹿になれ/ツワモノどもが祭のあと」

 新宿の“歓楽街”をキーワードにして鮮烈な「歌舞伎町の女王」をわたしたちに示した椎名林檎を想起するまでもなく、池袋もまた欲望と快楽の場所の象徴といえる。椎名林檎は女王で、フルスイングバットは無頼だ。そして、「快楽と云う名の支配者」は、フーコー的な意味でラディカルな言辞だといっていい。冷めた視線を持ちながらも、「もっと馬鹿になれ」と叫ぶこと、それこそ「無頼」に違いない。

 「セクシャルハラスメントNo.1」は、満員電車の車中の様態を描出したものだ。歓楽街が都市の象徴だとすれば、満員電車は、まさしく都市的情況だ。フルスイングバットは、ユートピア的イメージを包含させながら都市性を解体していこうとしている。

 「エロスとカオスが渦巻いている/悪意と失意に満ち溢れている/………心も体も磨り減らすり減らしている/銀河鉄道の夜は濁って/世界の車窓から 今晩は/生き急ぐなら埼京線」

 「生き急ぐ」という言葉に、わたしは、応答せざるを得ない。戦後、ソ連の捕虜となってラーゲリ収容所に十一年間囚われの身となり、その体験を記した内村剛介の著書に『生き急ぐ』というのがあった。大都市のなかの埼京線(満員電車)も、いうなれば、擬似収容所というべきなのかもしれない。

 「メトロ」は、これこそがコアな“パンク・ロック”だと主張しているかのような、極めつけの“ラブ・ソング”だ。この「メトロ」があるからこそ、フルスイングバットの音楽的ラディカルさが際立っていくのだといっていいはずだ。

 そして、「解体屋」だ。初めてライブで聴いた時の、衝撃は忘れられない。工事人スタイルでヴォーカル(横田祥一)が登場、そしてメガホンを持って、「俺は解体屋 壊すのが仕事」と叫び出す。軽快なロック的な流れのなかで、「解体」という言葉も一見和らいでいくかのようだ。

 「あれも解体 これも解体/家を解体 ビルを解体/街を解体 国を解体/君を解体 俺を解体//俺は解体屋//テメエが壊れてる」

 こうして、フルスイングバットが紡ぎ出す言葉は、パンク・ロックに乗ってラディカルになっていく。

【2010-02-10 /khipu フーコの所感・雑感】より転載。


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