絵師狩野永徳の絵画と若桑みどり先生
安土桃山時代を代表する絵師、狩野永徳は「洛中洛外図屏風(国宝)」
(図1)や「唐獅子図」(図2)を描いたことで知られている。
ところが2年前、「洛外名所遊楽図屏風」(図3)と言う別の作品が同志社
大学の狩野博幸教授によって京都の美術商のもとで発見され、その作品
には、普通なら作者が残す署名、落款がどこにも見当たらない。そのため、
作者を巡ってちょっとした騒ぎを引き起こした。
しかし、結局、その筆遣いの格調の高さから、鑑定にあたった京都国立
博物館の山本英男保存修理指導室長は、「間違いなく永徳の作品である。
保存状態も良く、第一級の発見だ」と言うことで、永徳の本物と結論付け
られ、現在に至っている。
狩野永徳にはもう一つの「幻の作品」がある。安土城が落成した時、信長
が永徳に、城や町の様子を忠実に描写するよう命じた時のものである。
信長はその画を大変気に入ったため、正親町天皇から所望されたが、首
を縦に振らなかった。或る日、ヴァリニャーノ神父がイエズス会の布教の
巡察使として安土へやってきて、ローマ法皇に献上することを提案した。
日本は伊藤マンショら4人を遣欧少年使節として欧州へ派遣することに
なったが、信長は日本にある他のどのような文物も欧州にかなわないと
考えてその画を少年を引率するバリニャーノ達が欧州へ向かう折りに、
託したのである。バリニャーノ神父はローマへの途次、別の所への赴任
を命ぜられ、法皇へは随員によって献上された。
今では、永徳の「安土城」の画はどのように描かれていたのか分らなく
なっている。
一昨年、千葉大学の名誉教授の若桑みどり先生がローマへ行き、ヴァチ
カンの「秘密古文書館」などを探したが、1592年以降は行方が分らない
ことが判明した。若桑先生は、その後、半年ほどして亡くなったが、信長
がローマ法王を大切に扱ったことは、日本と欧州の関係を読み解く上で
大変重要なことと考えられる。
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