続々・「幻想の痕跡」
東京都立松沢病院内にある「日本精神医学資料館」をめぐるお話は、昨夜で終わるはずだったのだが、昨日の記事へのコメントに夢野久作の『ドグラマグラ』への言及があった。
実は、『怪』の記事中でも、取り上げられている。
そこで、今夜も、『怪』0026号(カドカワムック)の荒俣宏「松沢病院に残された幻想の痕跡に出会う」のご紹介を続けたい。
荒(荒俣宏) こちらは拘束具関係ですね。ボローニャ、癲狂院の製作とあります。こっちはベネチアだ。海外の病院とも連携をとっていたんですね。海外から輸入した足枷もある。
春(春日武彦) 全部イタリア製ですよ。昔はわりとイタリアが粗っぽい拘束具を開発したようですよ。電気ショック療法もイタリアが発祥地ですし、ロンブローゾもイタリア人ですし。
荒 ここにある写真は、榊俶院長ですか。『ドグラマグラ』に出てくる人だ。安政四年。江戸の下谷に生まれ、ドイツ留学。明治十九年日本で最初の精神医学担当の大学教授に任命され、日本人で最初の精神医学の講義をしたんですね。学生の講義をすべて病院の中で行って、榊門下たちはすべて、巣鴨病院で診察を担当した。榊院長はヨーロッパの新しい先進医学を日本に導入し、三十九歳で亡くなっているんですね。門下生には呉秀三、なるほどね、確かに『ドグラマグラ』に出てくるわけですね。この人がドンだったんですね。
春 日本の精神医学は、やはりドイツのクレペリンが源流ですよ。この人が精神疾患の分類体系を確立したわけですし。
荒 そうですね、性格や適性検査の理論も精神病理学も、ドイツが盛んでしたしね。呉秀三先生はどこへ留学したのかな。やはりドイツか。クラフト=エヴィングに学んだのですか。性的倒錯の大家に弟子入りしたとは! イタリアの精神医学の伝統を引いた人はいないんですね。皆ドイツだから、療法はまともだったわけね。
京(京極夏彦) まともじゃないと困る(笑い)。でも、精神医学の巨人である榊に呉両氏は『ドグラマグラ』の主役ですからね。あの小説はドイツ精神医学を基礎に解読するのが正しいんだね(笑い)。
春 フランスだけはまた全然系統が違いますよ。あの国は独特だからなあ。
荒 そうなんですか。その対立関係も、あとで調べてみたいですね。
記事(鼎談)の前書き部分に、病院の歴史が紹介されているのだが、その中に、
明治三十四年(1901)には、精神病者の解放治療をめざした呉秀三が医長(明治三十七年から院長制へ移行)に就任。
という記述がある。そこが『ドグラマグラ』の設定につながるわけだ。
ドイツ精神医学摂取の事情は、小俣和一郎『精神医学とナチズム』(講談社現代新書 1997)では、
明治期以降の医療、ことに精神医療が近代国家としては著しく立ち遅れていたのに対して、アカデミズムとしての精神医学の摂取は比較的迅速に行われた。すでに1876年(明治九年)にはドイツ人医師ベルツが、当時の東京医学校(東京大学医学部の前身)に招かれて内科学の講義を始めていたが、その中の一部に精神医学の講義が含まれていた。1886年には、ドイツ留学から帰国した榊俶によってわが国初の精神医学教室が帝国大学医科大学(のちの東京大学医学部)に開設され、今世紀初頭までには続いて設けられた各地の帝国大学医学部に次々と精神医学の講座が開かれていった。教授のほとんどは榊の門弟、つまり東大医学部出身者であり、大学精神医学においてもわが国特有の(出身大学別の)派閥が形成される契機ともなった。
このように、わが国の大学精神医学が東京大学中心の保守的な学閥によって展開していたこともあって、精神医学そのものもまた、ドイツ精神医学の無批判な移入に終始することになった。のちの第一次大戦における日独交戦の期間を除けば、圧倒的多数の精神医学の教授たちがドイツ留学の経験者によって占められてきた。
戦後に至って、医学全体が次第にアメリカからの影響を受けはじめたのちにも、精神医学はなおしばらくのあいだ、ドイツ精神医学の強い影響下にあったことは周知のとおりである。とりわけ精神病理学は、今日でもなおその長い一方的な影響下から完全に脱却しきれたと言い切ることはできない。
日本の大学精神医学が、その誕生直後からこのようないわば「ドイツ精神医学至上主義」ともいえる体質を抱き続けてきたことが大きな背景となって、ナチス・ドイツ台頭後も依然としてナチ精神医学を無批判に摂取し続けることにつながったといえる。前述の国民優生法による断種の推進を前提とした精神障害者の疫学調査は、当時の東大精神医学教室によって着手されたものである。
と書かれている。視点が異なれば、自ずと評価も異なる、ということだろう。ドイツ精神医学至上主義がナチ精神医学の無批判な摂取につながったという指摘なわけだが、治療の場である松沢病院へのナチ精神医学の影響の有無もいささか気にかかるところだ。
まぁ、それはさておいて、『怪』の記事。昨夜の荒俣宏発言の後は、
春 夢野久作の『ドグラマグラ』もそれに近い感じはありますよね。出版の機会が訪れたから、改稿の無間地獄から脱して何とか終了できたんでしょう。ただ、その強制終了は、早すぎたら意味がない。なりふり構わず踏ん張るから、成果を残せる。以前は編集者が作家の自宅に泊まりこんで、作品を書かせた。粘ったのです、ぎりぎりまで。重要なのは熟成ですよ。今は精神医学の治療がいい薬のおかげで早くなってきていますから、妄想もまた熟成されていかない。
京 狂人の芽を摘んでしまう、ということですか。
荒 それは名言だ、京極さん! 葦原将軍のような熟成されたサヴァンが消えた真の理由がはっきりした。結論が、ちょうどよきところで出ましたね。お疲れ様。
と続いていたのであった。
あくまでも、鼎談の掲載誌は『怪』なのである。
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