前衛の終焉

 

    前衛派

 

  前衛派は前衛ではない。後衛である。

  元来前衛は派などという衣装をまとってはいないの

 だ。いつだって素っぱだかで孤独なものだ。

  前衛派は前衛の死体から皮をはがして身にまとい、

 それをユニフォームにする。

 

  ナンテ粋ナンデショ!

 
 

と、辻まことは『虫類図譜』に書いた。1964年の出版であるが、草野新平による「序」によれば、

 

 「虫類図譜」が最初に『歴程』誌上に現れたのは十年前の一九五四年だった。

 

ということになるらしい。

 

「前衛」も「前衛派」も、当時はまだ、「現実」として存在していたわけだ。

 
 

『虫類図譜』には、「前衛派」に類する虫として「亜流」も蒐集されている。

 
 

    亜流

 

  彼は羽根の能力を知らず、その形で飛ぼうとする。

 そして重力に支配されている鉛のような地上の知慧を

 羽根の形にする。重さにつぶされて歪んだ自分の脚は、

 彼にとってたくましさの自負となる。

  そろそろと渡りましょう。

  フム。俺は今自由に空を飛んでいるのだぞ。

  とても軽々とな。

  皆よく見ろ!

  落っこちたら世間のせいだぞ。

 
 

「そろそろと」、綱渡りをする虫の姿のイラストが添えられている。

 

「亜流」は、今でも簡単に観察出来るだろう。

 
 
 

「前衛」であること、「アヴァンギャルド」であることはカッコイイことであったはずだが、「前衛」なんて、今では何とも古風な印象を与える言葉だ。「プログレッシヴ」だって、昔の話になってしまっている。

 
 
 

「前衛」という語に死を宣告したのは、私の経験の中では赤瀬川原平氏であった。

赤瀬川原平氏と言えば、1960年代の「前衛芸術」を代表する一人であろう。現代日本美術史の教科書からは外すことの出来ない人物である。

 

その赤瀬川原平氏の著書『超芸術・トマソン』(白夜書房 1985 / ちくま文庫 1987)に登場する「純粋階段」こそが、私の中で「前衛」の終焉を告げた存在なのであった(→ http://blog.goo.ne.jp/tomotubby/e/30fd4e8f7bbb0e6a235dfd503d47ca50 伝説の「四谷階段」参照)。

 
 
 

「芸術」というジャンルの語に「純粋」という語が重ねられる。

「純文学」なんて言葉は、今でも命脈を保っているのだろうか?

そこに求められるのは、あくまでも芸術のための芸術である。排除されねばならないのは、商業主義であり、娯楽的要素であり、時には「政治」であった。そんな雰囲気が込められた語として「純粋」が用いられていたわけだ。「純粋」には、眉間にしわを寄せて対峙しなければならない。

 

階段であるだけの階段。高低差を解消し目的地に導くという役割を放棄した「純粋」な階段。

日常的意識からすれば、役立たずな階段であり、無意味な階段である。道中で出会っても、通常なら見過ごしてしまうだろう。

 

ある日、役立たずで無意味な階段(というか役割を放棄した階段は既に階段ではないのかも知れないが)が「純粋階段」として再発見されたのである。1972年のことであった、らしい。

それが概念として熟成し、「トマソン」と総称される路上構築物として、改めて観察の対象となり、一つのムーブメントとして記録され分類されていくのが80年代のこととなる。

 
 

…と書いて気付くのは、70年代というのが、「前衛」という語が「芸術」の世界と共に「政治」の世界でもまだ命脈を持ち得ていた時代だったのだということだ。

四谷の純粋階段の発見は、連合赤軍による「あさま山荘事件」と、まさに同じ年の出来事であったのである。

「政治的前衛」は自壊し、「芸術的前衛」が純粋階段を見出す時代。

70年代が「新左翼」の自壊の時代だったとすれば、80年代は「旧左翼」の自滅の時代であった。1989年、ベルリンの壁に開いた穴は、社会主義世界を崩壊させてしまった。今や政治的前衛など存在しない。

「現代美術」、「現代音楽」はジャンルとしては存在するのだろうが、現代人にとっては見慣れた世界の風景の一部に過ぎなくなってしまっている。最早、何をやっても、誰も驚きはしないのだ。眉間にしわを寄せての、あの「純粋」スタイルも消えた。

 

ハプニングからパフォーマンスへと流れる行為としての芸術もまた、見慣れた光景となってしまったのが21世紀の現実だろう。誰も驚きはしない。

 
 
 

しかし、純粋階段の発見は、新たな世界の見出し方を取り出す行為であった。

それまでは人の視野に入ることのなかった路上構築物が、ある時以降、意味ある存在として輝き始めてしまったのである。

無意味な(と思われていた)対象から、新たに意味を見出す行為。そこにこそ芸術の核心を見出すことも可能ではないか、と思い始めてしまうのだ。

前衛は、しっかり前衛でありながら、前衛という言葉に引導を渡してしまったのである。

 
 
 
 
 
 

赤瀬川原平 

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%80%AC%E5%B7%9D%E6%BA%90%E5%B9%B3

トマソン

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%BD%E3%83%B3

あさま山荘事件

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%BE%E5%B1%B1%E8%8D%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 
 
 
 


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Comment 1
Smith
2009/04/15 02:11
Smithさん

>無意味な(と思われていた)対象から、新たに意味を見出す
行為。そこにこそ芸術の核心を見出すことも可能ではないか、
と思い始めてしまうのだ。

まったく同感だネ。「ない」所から「ある」ものを引き出す

…と云うのが「芸術」だろう。「神」の創造は「芸術」か?

もちろん。「ない」所から稼ぎ出された「価値」と云うもの。

例えば、今吸い込んでいる「空気」飲んでる「水」が「芸術」

「幸いなるかな、命の水に与る特権を与えられし者達よ!!」

「環境」と云う名の「芸術」は「今ぞ勝ち誇る神の知恵」だ。
Comment 2
Smith
2009/04/15 08:13
Smithさん

>元来前衛は派などという衣装をまとってはいないの
だ。いつだって素っぱだかで孤独なものだ。
前衛派は前衛の死体から皮をはがして身にまとい、
それをユニフォームにする。


そう云われるダケでも、なんとなく慰めになるな。

前衛は本来、孤独なもの。誰にも救ってもらえない。

なぜだ。少しでも腕を支えてくれれば十分なんだが…。
Comment 3
Smith
2009/04/15 08:36
Smithさん

>ナンテ粋ナンデショ!

実際、粋な筈だよねぇ。一人孤高の道を歩く類の御仁だよ。

「アヴァンギャルド」に「プログレッシブ」かぁ…。

まぁ「桑畑三十郎」の生きる世界だ。厳しくて当然だろう。
Comment 4
Smith
2009/04/15 09:19
Smithさん

>前衛は、しっかり前衛でありながら、前衛という言葉に引導を
渡してしまったのである。


それはないだろう。「前衛」に終幕などないんだ。

どこまでも果てしなく続く「実験」の世界が終わる時は、

あくまでも現実世界の終幕を迎えての話だ。
Comment 5
umasica :桜里
2009/04/15 10:50

おお!たぬき男いたち男が、なんと、
日記の内容に即したコメントをつけている!!


ただ、個々のフレーズに引きずられて、
文脈を見失っているところは、かの饒舌氏をホーフツとさせるが…




たとえば、要するに、だ。

>それはないだろう。「前衛」に終幕などないんだ。

最先端にいて、その世界をリードし開拓していく人間は、常に存在する。
かつてはそれが「前衛」と呼ばれることもあった。
しかし、この種の言葉には耐用年数のようなものがあって、
今じゃ「前衛」なんて言葉を使うヤツはいない、ってこと。
「前衛」なんて言って粋がっているヤツが今いるとすれば、
なんとも陳腐に見えるだろ、ってことだな。

>なんでも「前衛」だそうだが、この手合いはもう古過ぎるよ…。

という、たぬき男いたち男先生の言葉には、
そういうニュアンスは含まれていないのかい?

実験日記の「実験」という語も古いし、
「前衛」という語自体も古風になってしまった。
 (だからあえてタイトルに使ったんだぜ)
そして「ハプニング」や「パフォーマンス」で人を驚かすことも出来なくなった時代。

「驚き」というのも哲学の起源であると同時に、
芸術行為の根幹でもある、だろ?
「ハプニング」にも、かつてはそのような意味があったわけだ。
しかし、「前衛」が「前衛派」となり、「亜流」が世界を満たす。
すべては消費尽され、当たり前の光景となりカビが生えてしまう。



ま、そこまで読み込んで欲しいんだけどね。

ま、欲張っても仕方がないことでもある。

日記の内容に関係あるコメントを4個も続けられただけでも、
それは十分に評価に値すると思うよ。
Comment 6
umasica :桜里
2009/04/15 11:12

まぁ、あとは無理しないで、
いつもどおりのコメントでいいんじゃないか?


たぬき男いたち男ファンのご期待は、
たぬき男いたち男ウォッチャーの皆さんのご期待は、
何を言い出すのかわからない「たぬき男いたち男」にあるわけだからね。


ネコを被るタヌキを続ける必要はないだろう、ってこと。
Comment 7
umasica :桜里
2009/04/15 11:22

しかし、ところで、
フォントオタクのたぬき男いたち男は、
このリニューアルされてしまったコメント画面には、
文句はないのかい?
(と、こちらから日記の内容に関係ない話を始めてしまう)
Comment 8
Smith
2009/04/15 11:31
Smithさん

そうか「ウマシカ」を喜ばす事ができるんなら、なんでもやる。

コメントなんて幾らでも無責任に書けるし。適当な言葉を並べ

てやればそれで目的を達成するのは、造作もない事だもんネェ。

「前衛」も「実験」も完全にない事にしてしまうのは、簡単だ。

「パフォーマンス」やら「ハプニング」…と云う意味でならば、

確かに「唐十郎」や「寺山修司」は、終わってしまった存在だ。

戦後の混乱期を引きずり、這い回った「前衛」はどこにもない。
Comment 9
Smith
2009/04/15 11:55
Smithさん

新しく「リニューアル」された画面は、それなりに悪くないネ。

以前の文字が余りにも大き過ぎたから、これで良いんでないの。

少なくとも「私」には異論はない。大いに結構この上なしだヨ。
Comment 10
Smith
2009/04/15 19:56
Smithさん

…とは云うものの、確かにこの活字の余りに小さい事に驚く。

なにやら危うい感触。本当にこれで大丈夫なんだろうかネェ。

一端コダワリ出すと、次々と切りもなく心配になって来る話。

慣れてしまえば「問題」はない:とは思うし、以前の大きさに

悩まされていた「私」にとっては、救いの「神」現る感じだ。

しかし、そうは云っても…。使用「フォント」の選択を巡って、

兼ねがね気にしていた事でもあり、とても手放しでは喜べない。
Comment 11
Smith
2009/04/15 20:35
Smithさん

知った人には必ず尋ねてしまう「フォント」の問題は大きい。

まず「MS−Pゴシック」は最悪の選択だ。推奨されている

とは云っても、余りに酷過ぎて見るに耐えない。やはり「私」

が使っている「HGS創英角ポップ体」もしくは「HGS創

英角ゴシックUB」が望ましく思えるのだが、どうだろうか。

他に好ましい選択肢があるなら、どうか教えて欲しい所だ…。
Comment 12
umasica :桜里
2009/04/15 21:39

フォントの問題には、やはり興味がないなぁ…


リニューアルで一行の字数は増えたようだけど、フォントによって、一行の字数も変化してしまうし…

現在のフォントも最初は戸惑ったけれど、慣れちまえば気にもならない。
Comment 13
Smith
2009/04/15 21:45
Smithさん

あぁ、又しても呪わしい「消灯時間」がやって来るではないか。

53歳の男が82歳の老人の云いなりになって、寝起きしてる。

バカげた話だ。もう10分しかない。ま、明日の「ウマシカ」

日記帳を楽しみにしているよ。「神」は無理でも「仏」の座に

座っている事は出来るだろう:と思われる男だ。その日記だから

とても面白可笑しく読めるだろう。期待している。ではサラバ!
Comment 14
みほ。
2009/04/16 08:22
みほ。さん

>53歳の男が82歳の老人の云いなりになって、寝起きしてる。
>バカげた話だ。

普段、年齢を理由に年下に偉そうに振舞う男性の弁がこれ。
Comment 15
Molotov
2009/04/16 23:53

政治的前衛が自壊して、かえって私は共産主義に親しみを感じ始めた。以前抱いていた日本共産党への無意味な反感も、今では全くなくなってしまっている。家人が反対するので取らないが、赤旗日曜版くらいは購読しても良いと思っている。マルクス主義が、国家から個人へ移行する時代なのかも。個人主義としてのマルクス主義。「人々は能力に応じて働き、必要に応じて分配を受ける」という言葉を、毎朝の会社の朝礼で、皆で暗唱する。暗唱したあとしばらく瞑目。これを繰り返すだけでも、従業員にパワーがみなぎるような気がする。
Comment 16
umasica :桜里
2009/04/17 23:50

Molotov 様


>マルクス主義が、国家から個人へ移行する時代なのかも。

20世紀のユートピア思想として、左右の全体主義があったように思います。

どちらも個人主義の否定がその眼目。


「社会主義」は原理として、
「個人主義」への否定を含んでしまうようにも思えるけれど、
個人の尊重こそ人権の原点と思えば、
別の道もありそうな気もするんですよねぇ…


日本共産党
→ http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A
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