「神」は無理でも「仏」の座に座っている事は出来るだろう:と思われる男
って、一体どんな男なんだろう?と思ってしまうのだが、どうも、これが、私のことだと言うのであった。
神の座に座る(「座」が2つ続くとしつこいなぁ、と書くために3つ並べてしまったが)なんてことは考えてみたこともない。「玉座」とか「王座」もそうだな。「首相の椅子」なんてのにも、まったく興味がない。
ボーエ・モーエンセンのスパニッシュ・チェア(→ http://www.idc-otsuka.co.jp/extra/repro/hokuou/item/spanish/)は、座り心地よく、座っていたい椅子の一つであるが…
マルセル・ブロイアーのワシリー・チェア(→ http://www.idc-otsuka.co.jp/extra/repro/italian/item/wassily/)はカッコよくて好きだけど、座り心地では不合格。コルビジェのバスキュラント・チェア(スリング・チェア→ http://www.idc-otsuka.co.jp/extra/repro/italian/item/basculant/)は合格。
…まぁ、家具屋の片棒担ぎはこれくらいにしておこう。
…と、つまり、私にとっては、座り心地が大事なのであり、椅子とはあくまでも座っているためのものなのであろう。しかも、座っているだけで何もしないという前提があるらしい。
社長の椅子、首相の椅子、総統の椅子、書記長の椅子…に座るのは、御免蒙りたいのである。
もちろん、神の「座」も遠慮したいなぁ。
まぁ、もっとも、私にとっての神とは、あくまでも超越的な存在なのだから、神は神の座に座ったまま何もしなくてよろしい、ということになっているので、それならOKではある。
いろいろと人間どもの行状をチェックしなければならないような神の座は、まっぴら御免だな(座っている暇もないのかも知れないが…)。
要するに、権力をふるう、ということがメンドーで仕方がない、ということなんだろう。
このような人間ばかりだったら、地球は平和になるはずだ。
スパニッシュ・チェアに深く腰を下ろし、いや、浅く腰掛ける方が向いている椅子かも知れないが、どっちにしても、くつろぐために、くつろぎ続けるために座る男。
世界の平和に貢献することもないが、世界を破局に導くこともしない男である。
世界を救うこともしないだろうなぁ…多分。
…と考えると、私は、「仏」ですらないのではないだろうか?という疑問が浮かび上がる。
まぁ、ただのダミニストなわけだが…
で、やはり、神ってのは(西洋人の考えているらしい神ってことだが)、暴力的というか「力」として想定されているんだなぁ、という思いを強くさせられる。
…なんて考えながら唐突に思うのは、神の座に座るためには、神には尻が必要になるわけだけど、その辺の構造はどうなってるんだろう?なんてことだ。
人間の尻には消化器官の終点が設定されているのだが、神には消化器官なんてあるのだろうか?
…と、まぁ、なんとも取り留めのないことをパソコンの前の椅子(私の座)の上で考え続けるのであった。





















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「立つ」、「座る」、「寝転がる」
そのなかでも精神的活動の姿勢として一般的なのが「座る」ですなぁ。
ロダンの「考える人」は座っているから考えているように見えます。
立っていたら「迷い人」、寝転んでいたら「くつろぐ人」でしかありません(?)