続・映画『靖国』を観る

映画『靖国』(2007年 李纓監督作品)が「反日映画」と名指され、一般上映が妨害されたのは昨年春のことである。

 

 
本年の「メイシネマ祭 ’09」での『靖国』上映という機会を捉え、問題の映画『靖国』を観ることが出来た。昨日は、作品自体についての私の評価を書いたわけだが、本日も、李纓監督の映画、『靖国』をめぐる話題を続けたい。

 

 

 

 
「論座」の2008年6月号が、「映画『靖国』騒動への疑問」という特集を載せている。まぁ、朝日新聞社という「反日」新聞社の出版物であるが、特集記事中の2006年7月から2008年4月21日に至る時系列での上映をめぐる出来事の整理を、事実関係確認の参考となりうるものと判断することに問題はないだろう。

 

記事によれば、2007年3月20日に完成試写会が行われ、4月に芸術文化振興基金からの助成金750万円が支払われている。9月には上映館(東京4、大阪1)も決定し、12月11日からマスコミ試写会が始められた(2008年3月31まで計12回)。

12月17日・24日付けの「神社新報」に、「客観性欠く映画『靖国』に政府出資の基金助成」という記事が掲載され(これは神社関係者限定誌である)、「週刊新潮」が12月20日号で「反日映画『靖国』は『日本の助成金』750万円で作られた」との記事を掲載する(こちらは言うまでもなく一般誌である)。

2008年2月12日に、『靖国』の制作会社である龍映に文化庁芸術文課から、「ある国会議員が『靖国』を見たがっているので、試写の日程を教えて欲しい」という電話。同13日に文化庁から龍映に「ある国会議員とは『靖国』にいい印象を持っていない人」との電話。龍映からアルゴ・ピクチャーズ(配給・宣伝担当)に連絡し、アルゴから文化庁に電話する。

そして、14日から21日にかけてアルゴと文化庁でのやり取りが続く。アルゴはマスコミ試写の日程を教えるが、「スケジュールが合わない。場所や映写技師も押えたので、フィルムを貸してくれるだけでいい」という文化庁の返答を受け、「誰が何の目的で観るのか教えてもらわない限りできない」と伝える。

22日の文化庁からのメールで「試写を希望しているのは稲田朋美議員(自民)と『伝統と創造の会』」と判明。その後の交渉の末、26日に、より多くの国会議員を対象とした試写会開催をアルゴが提案し、文化庁が了承。3月3日にアルゴが、全議員に対し試写会開催(協力 文化庁)を連絡。しかし、試写会開催経費をアルゴの負担としようとする文化庁と納得しないアルゴとの間でやり取りが続けられるが、文化庁との対立を望まぬアルゴが折れ、3月12日に国会議員対象の試写会が開かれる(議員と秘書、約80名参加)。

その後、3月の終わりにかけて、上映予定館が上映中止を決定する事態へと発展してしまう。

上映中止の背後には、右翼団体の圧力があったと言われているのだが、別の記事によれば、実際に活動に参加した右翼の街宣車は2台で、街宣活動は計3回のみ。しかもその内の1台は、搭乗者1名。実際に展開されていたのは、ささやかな抗議活動である。少なくとも、上映中止の決定の時点では、本格的な抗議活動は存在していなかったようである。

上映中止は、現実の右翼団体による脅迫ではなく、想像上の脅威に基づくものであったという印象はぬぐえないだろう。それぞれの映画館運営会社の決定なわけだが、それをどう評価すべきだろうか?

もっとも、それを受けて、他の映画館が上映に名乗りを上げ、4月21日の時点で23館での上映が予定される事態(当初の予定は5館のみである)となったのは、なんとも皮肉な結果であろう。

 

右翼団体による(ささやかな)脅迫に早々と屈する興行主がいる一方で、あえて上映を買って出る興行主もいたという事実には、希望を見出しておくべきだろうか。

 

 

ところで、4月18日には、新宿のライブハウス「ロフトプラスワン」で、右翼団体関係者150人を対象とした試写会も開かれていた。

『靖国 上映中止をめぐる大議論』(創出版 2008)によれば、この試写会の呼びかけ人は、阿形充規(大日本朱光会)、河原博史(同血社)、木村三浩(一水会)、中尾征秀郎(正気塾)、福田邦宏(防共新聞社)、山口申(民族革新会議)、平野悠(ロフト代表)という顔ぶれ。案内状の文章は、

 

 マスコミの論調の多くで「右翼団体による抗議活動のため上映が中止された」という報道がされております。確かに一部団体が上映予定映画館に対して抗議活動を行いましたが、それをもって右翼全体が上映を潰したという見解は事実と大きくずれており、実際、多くの人はまだ映画そのものを観ていないのが現状です。「表現の自由の危機」という報道も目立ちますが、表現・言論活動は映画芸術だけに限らず、政治/思想団体、活動家などすべての人にとって重要なものであることは明らかです。

 

というものであった。

上映後の討論での、

 

 一部のマスコミによって、われわれが加害者、彼らが被害者という図式を作られてしまった。表現の自由というのは妙に曖昧でがさつで、時として悪用される。つまり加害者と被害者が出てしまうということを、民族派として考えるための布石となった。 (河原氏)

 

 民族派の主義や主張は、テレビなどで何かしゃべっても、かならず短く切られてしまう。しかしこの映画は、最初から最後まで映してくれています。これまで右翼というと、街宣車でがなり立ててる部分しか見ていなかった一般の人が、映画を観て、「民族派というのは、しっかりした理念で行動しているのだな」と目を向けてくれるのではないかと思います。 (阿形氏)

 

 マスコミのバカ騒ぎに乗って、こんな駄作にプレミアがついて上映されることになりそうだ。これは徹底的に無視を決め込むというのが、有効な手段ではないか。 (福田氏)

 

 私は東京大空襲を経験しているものですから、目頭が熱くなるほど心を打たれました。最後に南京で首を切り落とすスライドが映りましたが、われわれの感覚からすれば、それだけで反日だということになります。しかし、中国人が靖国というテーマで撮るならば、そうならざるをえないと思うんです。我々はそう騒ぎ立てることもないでしょう。 (山口氏)

 

といった意見は、それぞれに興味深いものだろう(右翼・民族派と自負する人々の多面性を窺うことも出来る)。

 

上映中止騒ぎでは、右翼・民族派の皆さんも「マスコミ報道の被害者」なのであった。

 

 

 

明日は、稲田朋美議員とその同僚の行動について考えてみたい。

 

 

 

 



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Comment 1
umasica :桜里
2009/05/05 00:42

>え?「乱」じゃなくて「落ち武者」か? それとも…。

落ち着けよ。

昨日の「太陽を盗んだ男」の話みたいに、
混乱の果てにコメント削除、ってのは見苦しいからな。
Comment 2
umasica :桜里
2009/05/05 01:30

早く寝ろ!!
Comment 3
Smith
2009/05/05 01:33
Smithさん

了解!!
Comment 4
umasica :桜里
2009/05/05 07:38

>やぁ、処女コメント。「最後に首を切り落とすスライドが映って…」。
>へえ、際どい事をやってるんだな。知ってるか。首を切り落とす時は、
>切った首から7〜8回、鮮血が吹き上がって終わるんだそうだな。
>「黒沢監督」の「乱」でこのシーンがあるから、知る人ぞ知るんだが。

発言に「スライド」とあるように、当時の写真だ。
つまり、モノクロのスチール。
日本人将校が軍刀で捕虜の首を切り落とそうとしているシーン。
あるいは、切り落とした首をぶら下げているシーン等々。

撮影場所はともかく(南京かどうかは別として)、
当時の皇軍将校の行為を、
皇軍関係者が記念に撮影(中国人が撮れるわけないからな)したものだろう。
それが歴史的事実だと思う。

「反日映像」というが、本来は自慢の映像だったはずだ。

要するに、靖国刀を含む軍刀の使用法の実際が写されているだけ。

大日本帝國の行為を、そして皇軍の行為を全肯定するならば、
敵の首を切る勇壮な皇軍将校の行為として考えるべきなのであって、
(当時はそう考えていたから「記念撮影」してるわけだろ?)
それを「反日映像」と考えること自体が「反日的」だと思う。

映画では、ただ写真が並べられるだけで、
告発的ナレーションは添えられていない。
それを「反日」と感じるのは、
当時の日本軍将校の振る舞いにやましさを感じてしまっているからだ。

ホントに、大日本帝國に、そして皇軍に誇りを持っているなら、
その画像の使用を指して「反日」と騒ぐべきではないだろうね。


  (この辺の事は「続々」で書く積もりだけど)
Comment 5
Smith
2009/05/05 08:02
Smithさん

え〜、昨夜はなにか間違いが在った様で、申し訳ありません。

「ウマシカ」氏と読者の「皆さん」に、御詫び致しますと共に、

一部コメントの削除と云うカタチで、責任を取らせて頂きます。
Comment 6
umasica :桜里
2009/05/05 08:12

>え〜、昨夜はなにか間違いが在った様で、申し訳ありません。
>「ウマシカ」氏と読者の「皆さん」に、御詫び致しますと共に、
>一部コメントの削除と云うカタチで、責任を取らせて頂きます。


たぬき男いたち男氏の迷コメントファンの皆様のために、
せっかくですから、削除コメントの復活をさせて頂きます。


●Comment 1  2009/05/05 00:33 たぬき男いたち男さん

やぁ、処女コメント。「最後に首を切り落とすスライドが映って…」。

へえ、際どい事をやってるんだな。知ってるか。首を切り落とす時は、

切った首から7〜8回、鮮血が吹き上がって終わるんだそうだな。

「黒沢監督」の「乱」でこのシーンがあるから、知る人ぞ知るんだが。

●Comment 2  2009/05/05 00:36  たぬき男いたち男さん

え?「乱」じゃなくて「落ち武者」か? それとも…。

●Comment 4  2009/05/05 01:22  たぬき男いたち男さん

そりゃあ「御見苦しい」台所事情も解ってもらって、大変うれしいネ。

でも、あの主人公を演じたのはジョーじゃなくてジョージじゃなくて

なんと云ったか思い出せん。アンタなら知ってるだろう。教えてくれ。

●Comment 5 2009/05/05 01:26  たぬき男いたち男さん

そうだ!「ジュリー」だった。だが「ナニ・ジュリー」だ?
Comment 7
Smith
2009/05/05 13:08
Smithさん

やっぱり「誰」も読んでいないから「誰」も答えてくれないヨ。
Comment 8
Smith
2009/05/05 15:28
Smithさん

ほれ「スミス」。黙ってないでなんとか云っとくれ。それで答えは…?
Comment 9
みやのたれ
2009/05/05 17:59

今ドイツで南京大虐殺の映画がやっていますー。
Comment 10
Smith
2009/05/05 19:21
Smithさん

先日「私」は「ウマシカ」と「神」を巡って、ちょっとした「口争い」

となった。「彼」はあくまでも「ニヒリスト」であり「神」の実在を

否定する立場を守った。反して「私」は「神」に常時監視されている

立場。とても否定する「余裕」などは、持てない身上だ。当然ながら

激しい対立になってしまう。「彼」はあくまでも「論理的合理性」を

認められない「存在」としての「神」を拒絶した。しかし、そもそも

「神」に合理性を求める事自体が「私」に取っては、無理難題なのだ。

もし「神」を論理で割り切ろうと試みても、一蹴一笑されるだけの事

でしかなく「神」はあくまでも捕まらない。ここで「論理的飛躍」を

ウ飲みにしない限りは、知る事を許されない「存在…」。それが「神」

なのである。だが「ウマシカ」は、納得の行かないものを認める様な

「ユトリ」を持たなかった。当然と云えば余りにも当然な態度だった。

「神」は「存在」する。確かに「彼」の理解の及ばぬ世界に、及ばぬ

型式で「居る」のである。別に「彼」に「同意同調」を求めようとは

考えてはいない。知るも知らぬも結果は同じ事だ。「私」の「神」は、

何とも皮肉なアシライで「ウマシカ」を遠ざけたのだった…。
Comment 11
umasica :桜里
2009/05/05 20:08

>「彼」はあくまでも
>「論理的合理性」を認められない「存在」としての「神」を拒絶した。
>しかし、そもそも「神」に合理性を求める事自体が
>「私」に取っては、無理難題なのだ。


Comment 2  2009/05/02 11:23  umasica :桜里さん

>「神」の「政治」を批判するのは、「掟」破りの重大な「犯罪」だ。
>誰一人として「公」の場で「神」を責められないシステムになってる。
>悪かったのは、すべて皆「人間」のせいにされてしまうんだな。
>実際「政治」とは、多くの場合「むごい」スキャンダルだ。
>「神」は「産みの苦しみ」と自称するのだが…。御照覧あれ「神」よ。
>「人間」が撃ち殺され、焼き殺されるスペクタクルを御楽しみですか。

というお話の一方で、
 ↓ ↓

Comment 4  2009/04/22 14:02 たぬき男いたち男さん

「ホモジョンラ」を丸呑みにして認め、「みやのたれ」サンを信じる。

それで幸福がもたらされるならば、そう致しましょう。しかしですよ、

「神」は果たして「全人類」の事なんか考えちゃいないのですか…?

それはないですよ。「神」は絶えず「我々」の日常の安寧を考えてる。

「みやのたれ」サンが「ニヒリスト」である事は、良く解りましたが。

でも困ったな。「柔らか不思議猫」サンまでが「神」を見捨てる訳?

まぁ幸い「神」は寛大であるからして、我々は平気な顔が出来るけど。

 ↑ ↑
というお話も伺っている。

これは、
絶えず我々の日常の安寧を考えている寛大な神、ってことだな。

それぞれ別の神のことなのか?


 ↑ ↑ ↑
というのが私の、実際の言葉だ。

問題にしているのは、
神が論理的合理性のない存在であることではなく、
たぬき男いたち男の発言に、論理的一貫性がない、
ということだ。

 絶えず我々の日常の安寧を考えている寛大な神

というのがその通りなら、そのような存在を恐れる必要はない。
寛大さが存在しないからこそ、
対象である神は恐ろしいものとして認識されることになる。

…というだけの話なのだよ。
Comment 12
Smith
2009/05/05 20:31
Smithさん

「南京大虐殺」の被害者数を巡っては、様々な説があって決まらない。

一方で三十万人と云う声も上がれば、他方数千人と云う声も出て来る。

しかし「万人坑」などの発掘を考えると、万人単位でもおかしくない。

確かTVで、老女達が「生き埋め」となるシーンを見た記憶があるし、

手足を縄でつながれた溺死体が、川を流れるシーンも見た。とにかく

有名な大虐殺としてはべトナムの「ソンミ村」事件もある事だし…。

それも氷山の一角でしかないのは明らか。じゃ「広島」は?と云うか。
Comment 13
Smith
2009/05/05 20:40
Smithさん

「ウマシカ」に告ぐ。ともかく「スタ・コラ」を、良く読んどくれヨ。

「私」の「神」に対する抗議告発のもたらしたものは、何だったのか。
Comment 14
umasica :桜里
2009/05/05 21:12

>「私」の「神」に対する抗議告発のもたらしたものは、何だったのか。

神に、「告発」を聞くための耳はあるのかね?


相手が寛大な神であるならば、
     「告発」することに意味があるのかね?

相手が寛大な神ならば、
     「告発」に正当性を認めれば真摯に受け止め善処するだろう。


そもそも、
「絶えず我々の日常の安寧を考えている寛大な神」を告発することに、
なんの意味があり、正当性があるのか?
Comment 15
Smith
2009/05/05 21:21
Smithさん

う〜ん、結構いい線を行ってる。その辺りが「私」の「テーマ」だ。

と云うか「ライフ・ワーク」だネ。閉鎖病棟からの戸外の眺めだネ。

「正当性…」なんて「神」は聞いちゃあいないヨ。鬼の面をしてる。
Comment 16
umasica :桜里
2009/05/05 21:37

>「南京大虐殺」の被害者数を巡っては、様々な説があって決まらない。
>一方で三十万人と云う声も上がれば、他方数千人と云う声も出て来る。
>しかし「万人坑」などの発掘を考えると、万人単位でもおかしくない。

数万人規模の虐殺があっただろう、というのがマトモな歴史家の見解だ。

陸軍将校の親睦組織である偕行社が、数万人規模の虐殺を認定している。
     (せざるをえなかった、ということ)

30万人の殺害は簡単なことではない。
東京大空襲、ヒロシマが、それぞれ10万人規模だと言われている。
大日本帝國陸軍の装備を考えても、30万人の殺害は無理だと思う。

しかし、虐殺の存在自体の否定は、
「信仰」としては成立しても、「歴史認識」としてはヨタ話となるだろう。
Comment 17
umasica :桜里
2009/05/05 21:42

>う〜ん、結構いい線を行ってる。その辺りが「私」の「テーマ」だ。
>と云うか「ライフ・ワーク」だネ。閉鎖病棟からの戸外の眺めだネ。
>「正当性…」なんて「神」は聞いちゃあいないヨ。鬼の面をしてる。


 絶えず我々の日常の安寧を考えている寛大な神

と書いたのは私のウソでした、って言えば論理的一貫性は保てる。

それだけの話だ。

ホントは信じちゃいないんだろ?

 絶えず我々の日常の安寧を考えている神

なんて存在を。


 

 
Comment 18
Smith
2009/05/05 21:51
Smithさん

「神の許した虐殺…」と云う事になるが「私」も少々恐ろしくなるヨ。

これ以上を云うと、なにか「不幸な話」が起こるんじゃないかってさ。

まぁ「母」は死んだ事だし、もう怖いものなしで生きてる筈だがネェ。
Comment 19
Smith
2009/05/05 21:57
Smithさん

…では今宵も又、時間となりました。丁度盛り上がった所で放棄とは。

「神」への「怨嗟」の声は「私」にとっても大切な話題なんだがネェ。
Comment 20
umasica :桜里
2009/05/05 22:01

>「神の許した虐殺…」と云う事になるが「私」も少々恐ろしくなるヨ。
>これ以上を云うと、なにか「不幸な話」が起こるんじゃないかってさ。


 絶えず我々の日常の安寧を考えている寛大な神

ならば、この世界に「虐殺」を存在させないだろう。

神自身が「虐殺」の存在を求めているのか、
「虐殺」を繰り返す人間の存在なんか神の眼中にないのか、
そのどちらかだろう、神の実際は。
それが論理的一貫性を保った認識だな。

どっちだと思う?
Comment 21
umasica :桜里
2009/05/05 22:10

>「神」への「怨嗟」の声は「私」にとっても大切な話題なんだがネェ。


結局のところ、たぬき男いたち男にとっての神は、
気が短く、
気まぐれで、
怒りっぽく、
身勝手で、
自己本位で、
サディスティックで、
 ・・・・・・
という自分自身あるいは「オヤジ」の姿にそっくりの存在、
ということになるようだ。

そんな神への「怨嗟」が問題となっているらしいが、
本質は自分自身との闘いであるように見えてしまう。
Comment 22
Mr.Dark
2009/05/06 03:06
Mr.Darkさん

そうですね。
Comment 23
みやのたれ
2009/05/06 15:52

旧約の神にもそっくり。
Comment 24
umasica :桜里
2009/05/06 15:58

>そうですね。

>旧約の神にもそっくり。


無計画で、

っていうのも付け加えると、尚よろしいか?
     (大洪水=削除)
 
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