とにかく「私」は潔癖だ。例え風呂に数年入っていなくとも、潔癖だ。
(たぬき男いたち男 2009/05/25 18:28)
まぁ、「真実」とはそういうものなのだろう。
「ジョーシキ」に対する説得力は皆無だが、人間というイキモノの「真実」を感じてしまう。
ジョーシキなんかクソ喰らえ、という気分になる言葉だ。
かつて、アメリカのブッシュ政権は「中絶反対」を掲げていたわけだが、つまり、その「生命尊重」の精神が中絶への反対を掲げさせたのであろうが、アフガニスタンやイラクの市民の生命を尊重する必要はまったく感じていなかったらしい。
まぁ、唐突だが、そんなことを思い出してしまった。
そう言えば、「ネトウヨ」の皆さんは、「サヨク」がお嫌いらしいが、そしてなんと「リベラル」であることも「サヨク」的なことなのだそうなのだが、その「ネトウヨ」の皆さんの絶対的支持を集める「自由民主党」は、LDP(Liberal Democratic Party)と自称している政党なんだけど、いったいどうなっているのだろうか?
もっとも、現在の社民党(つまり旧社会党)の政治家が、「社会主義リベラル」という言い方をしていたのも思い出す。リベラリズムとソーシャリズムは対立的な思想だと思うのだが、いったいどうなっていたのだろうか?
要するに、世の中の「真実」というのはそういうものなのだろう。
WAR IS PEACE
FREEDOM IS SLAVERY
IGNORANCE IS STRENGTH
戦争は平和である
自由は屈従である
無知は力である
まさに、そういうことだ。
論理の問題、リクツの問題、語の意味の厳密性の問題ではない、というわけだろう。
要するに、「お気持ち」の問題なのだ。
命の大切さを説きながら、戦争が出来てしまう。
自衛のために、隣国への軍事侵攻が出来てしまう(イラクは米国の「隣国」ではなかったが、中華民国は大日本帝國の「隣国」であった)。
リベラルも「サヨク」だからダメだと言いながら、リベラル・デモクラティック・パーティーは政治的に正しい政党であるので躊躇なく支持出来てしまう。
しかし、
リベラルはサヨクである
って言うのと、
戦争は平和である
っていうスローガンの根底には、ほとんど同じ精神を感じる。
何も考えちゃいない、ってことだろう、要するに。考えることではなく信じること、だ。
世界を「敵 or 味方」の二分法でしか捉えることが出来なくなると、人は考えることをやめてしまう(つまり、進んで騙されるようになる)。敵と名指されたものは憎め、それが二分法的精神だ。ブッシュの精神であり、ネトウヨの精神であり、新・旧左翼の精神であり、金正日体制の精神でもある。
まぁ、
ネトウヨは北朝鮮である
と言ってしまえば、理解は容易かも知れない。
「リベラルはサヨクである」はメチャクチャだが、「ネトウヨは北朝鮮である」の方には「真実」が含まれているような気もする。
屈従は自由ではない。そこがスタートだろう。
そして、
とにかく「私」は潔癖だ。例え風呂に数年入っていなくとも、潔癖だ。
という気持ちは理解したから、まずシャワーを浴びて欲しい。
シャワーは自由への道である。

























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「2009/05/26 00:11」は2回目の投稿時間。
つまり第1回目はエラー。
用意しておいたコピーで再投稿したのが「2009/05/26 00:11」。
しかし、
↓
只今アクセスが集中しているため、処理を完了できません。時間をおいて再度お試しください。(エラーコード:301)
↑
という状態が続き、投稿確認出来たのが、やっと今。