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人民解放軍の銃口

2009/06/04 23:55

6月4日という日付は、やはり、「天安門事件」を思い起させるものだ。



1989年だから、20年が過ぎたことになる。


人民解放軍の銃口が人民に向けられた日だった。社会主義の軍隊の行為としては、そもそも軍隊の行動としては、珍しいわけではないだろう。

軍隊とは、必ずしも国民の守護者ではないのである。


しかし、「人民解放軍」という名称の軍隊が、人民に対し発砲する姿は痛ましいものだった。




国民の存在が国家を生み出すのか?

あるいは国家があればこそ国民が存在するのか?

…と問うことに意味はあるだろうか?


まぁ、いずれにせよ、国家を否定することは簡単だが、国家に代わる存在を私たちはイメージしえていない。

つまりここには、治安の保障も人権の保証も、国家という存在を抜きにしては成立しないという問題がある。


国家こそが人権を蹂躙し、国民へ発砲する暴力そのものではないか、と言われればその通りなのであるが、しかし、国家以外に強制力を持ち、人権を保障することの出来る機関も存在しないのである。

人権の保障自体が、暴力行使の可能性を排除しない強制力としての国家に裏打ちされているのである。



もっとも国民に対し人権を保証する国家とは、実に最近の出来事なのであるが…

「国民」という存在に支えられた「国家」というイメージ自体が、これまた実に最近のものなのである。っていうのは人類の歴史から見て、という話だが…




今さらのことではあろうが、江戸時代に日本国民は存在しない。

国とは藩のことであったし、その藩内においても士農工商を一括して国民と考えることはしなかった。

統治者と被統治者、支配者と被支配者という関係性が貫かれる限り、そこに「国民」は生まれない。統治者、支配者による支配・収奪の対象として位置付けられる限り、国民としての自負は生じないのである。

どこまでもフィクションであろうとも、国家の主人公であり国家の受益者であるという意識が、国民という自己意識の基盤となるのだ。


法に縛られる存在なのではなく、法を創り出す存在。それでこそ国民なのである。

軍隊を養い、兵士として参加し使役する国民。他国による侵略を撃退し、国民の安全を守る軍隊。つまり、その軍隊の主人は、あくまでも国民なのである。

警察力の主人、それが国民なのだ。

官僚組織の主人、それも国民だ。

それが近代国民国家における、理念としての国民の位置付けである。


代議制による国民の代表が立法府を構成し、そのことが国民が「法を創り出す存在」であることを保証する。

であるからこそ、必ずしも暴力的でない形での法的強制力も生じるわけだ。法とは自分のルールなのである。




もちろん、これまで書いたことは、理念であり、多分にフィクションである。


代議制という手段しか持ちえない以上、法制定への関与は間接的なものでしかありえない。

国民という括りの中にも、利害の対立する様々な集団が存在するのであり、立法府はその利害の調整装置となるわけだが、当然のことながら民主的運営による限り、どの集団の利益も完全には満たされることはない。

非民主的すなわち独裁的運営を採用すれば、特定の集団の利益は最大限に満たされるであろうが、他の集団の利益は打ち棄てられることになる。




1989年の天安門では、人民の利益を代表すると称した中国共産党が、共産党の利害をのみ考えて現実的に振舞ったに過ぎない。

しかし、人類にとっての実に痛ましい歴史的経験であった。







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Binder: 現代史のトラウマ(日記数:646/全体に公開)
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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2009/06/05 01:16
    ネット上で知り合った友人の一人は、天安門広場でのデモに参加していたらしい。

    シルクロード旅行から北京に帰り着くと、街に繰り出す人々の姿。
    なんだかわからなかったが参加してしまった、という話。

  • Comment : 2
    Mr.Dark
    Mr.Darkさん
     2009/06/05 01:36
    学校の授業で、書物の文章でなんとなく覚えた「プラハの春」
    それ(と同類の事件)をほぼリアルタイムの映像で目撃してしまった‥わけでしたよね。

  • Comment : 3
    Smith
    Smithさん
     2009/06/05 13:01
    もっとも国民に対し人権を保証する国家とは、実に最近の出来事なので
    あるが…「国民」という存在に支えられた「国家」というイメージ自体
    が、これまた実に最近のものなのである。っていうのは人類の歴史から
    見て、という話だが…

    そうかネェ。「私」には、とてもそうは思えないんだが…。

    「国家」の「ルーツ」にはかなり深いものがある。じゃない?

    「権力」の形は、時代がどうあれ不変の構造を守っている。

    「蘇我入鹿」の頃は…? それとも「縄文」まで逆登れってのか。

    「ピラミッド」はどうだ? 国家じゃないと云いたいのか。 

  • Comment : 4
    Smith
    Smithさん
     2009/06/05 13:17
    「ウマシカ」の云いたい事はバレテルぞ。要は「民主国家」だろ。

    ところが、これが当てにならない。…と云う事を思い知らされた

    のが「大東亜戦争」だ。現代でも「治安出動」やら「クーデタ」

    の話は、ときおり起こる。「国家」を最も辛らつに見ていたのが、

    「マルクス理論」じゃあなかったのかい。それとも「マキャベリ」か。

  • Comment : 5
    Smith
    Smithさん
     2009/06/05 13:39
    国家が腐敗すればするほど、国家は法を多く破る。--タキトゥス
    『年代記』第3巻、27章。
    Corruptissima re publica plurimae leges.
    国家は、先祖より子孫へ伝え候国家にして、我私すべきものには
    これなく候国民は国家に属したる人民にして、我私すべきものに
    はこれなく候国家人民の為に立たる君にて、君の為に立たる国家
    人民にはこれなく候 -- 上杉鷹山『伝国の辞』
    どの国家においても、市民的憲法は共和的でなければならない。
    --イマヌエル・カント『永久平和のために』

    …と「エキュぺディア」。そりゃあ理想はそうかも知れんがネェ。

  • Comment : 6
    Molotov
     2009/06/05 19:57
    国家は、人民の意識の総計という気もする。

    人々に民主主義と個人主義を徹底して教育すれば、国家はそんなに狂いはしないとも感じる。

    イギリスやアメリカが独裁国家的な狂い方をするとは思えない。…戦争はあるけれども・・・。

    人々が自分自身についてどう考えるかということが、そのまま国家の在り方に反映されているように思う。

  • Comment : 7
    Smith
    Smithさん
     2009/06/05 20:24
    「アメリカ」が独裁国家的な狂い方をするとは…。果て、どうですか。

    かなりな「虐殺行為」を実行したが、報道管制が完璧だった様ですネ。

    「サダム・フセイン」の縛り首は「アメリカ」の独裁制を明示したと

    云えるし、地球上どこであれ「アメリカ」の悪意に対抗できる勢力は、

    存在できない筈ではなかったんですか。無論「リベラル派」に期待し、

    「アメリカ」の良心を支える事を放棄する訳ではありませんが。

  • Comment : 8
    Molotov
     2009/06/05 21:10
    サダム・フセインは、死に値する人間であったと思う。

    こいつの息子達も極道であった。(息子二人は米兵によって殺害された)

    息子のウダイのほうだったと記憶しているが、イラクでゆえなく、婚礼の最中を襲い、花嫁を奪って持ち去ったのだ。

    そしてウダイの密室で、身の毛もよだつようなSMプレイが行われた。

    花嫁の悲鳴が聞こえ、その後、布にくるまれた死体が搬出された。

    部屋には硫酸のようなニオイが立ち込めていたという・・・。

    この世界には、この程度のレベルの人間がウヨウヨしています。

    加害者・被害者とも、レベルが低すぎる!

    トーチェ氏は、「『誰かを殺したい』という意識を持っている人と、『いつか殺されるのではないか』という意識を持っている人が出会ったとき、殺人事件が発生する」と述べています。

    私は加害者と被害者の関係を、常に徹底して、この視点で見ています。

    しかし、これは公言できません。

    私の心の中の秘密です。

  • Comment : 9
    みやのたれ
     2009/06/05 21:20
    >サダム・フセインは、死に値する人間であったと思う。

    しかし、死なすには早すぎたように思います。
    もっとイラクの歩んだ(彼しか知りえない)歴史を語らせて死なせてほしかったです。

  • Comment : 10
    Smith
    Smithさん
     2009/06/05 21:29
    「サダム・フセイン」程度で「殺されて当然」なら「私」なんか…。

    いや、秘密の秘密、大秘密でしたね。決して公言できませんでした。

  • Comment : 11
    Molotov
     2009/06/05 21:35
    フセインの歩んだ歴史とは異なりますが、英国でのこと、あるとき、フセインは菊の御紋を身に着けていました。

    一人のジャーナリストが「なぜ、あなたは日本の皇室の紋章を着けているのですか?」とたずねると、フセインは、

    「あなた方は、もっとイラクのことを勉強して欲しい。これはメソポタミア王家の紋章なのだ」と答えたそうです。

    ネブカドネザル気取りだったようですけどね。

    それにしても、菊の御紋のルーツは、中東なのですかね。。。。不思議。

  • Comment : 12
    Smith
    Smithさん
     2009/06/05 21:46
    「みやのたれ」サン。独軍の将校「ルドルフ・ヘス」が丁度そうだネ。

    「彼」の場合、著書まで書いて「縛り首」を免れた様だけど…。

  • Comment : 13
    Smith
    Smithさん
     2009/06/05 21:52
    「ヘス」は単独、飛行機で英国へ亡命。「ロンメル」も「ヒトラー」を

    見限っていたが、一足早く謀殺されてしまった。「ヘス」は幸運な男。

  • Comment : 14
    Molotov
     2009/06/05 23:19
    第二次世界大戦の歴史的役割とは何だろうね。

    古いキリスト教的世界の粉砕?

    戦後は、急激に無神論が台頭したような気がする。

    ニーチェの実行が第二次世界大戦?

    共産主義も、ある意味、それまで人類に巣食ってきた宗教の力をそぐという役割があったのでは?

    そして共産主義の時代も終わり、今日では、「自分が信じたいものを信じることが出来る世界」が到来している。

    信念の自由。人間がこれを獲得するためには、あれほどまでの世界破壊が必要だったのだ!

  • Comment : 15
    umasica :桜里
     2009/06/06 00:50
    Molotov 様


    >国家は、人民の意識の総計という気もする。
    >人々に民主主義と個人主義を徹底して教育すれば、
    >国家はそんなに狂いはしないとも感じる。
    >人々が自分自身についてどう考えるかということが、
    >そのまま国家の在り方に反映されているように思う。


    これ、大事な認識だと思う。

    長期的利益への想像力を持った個人主義。
    そんな個人主義者達に支えられた社会。
    そこでなら、民主主義も有効に機能するだろうなぁ…

  • Comment : 16
    Molotov
     2009/06/06 01:11
    国の秩序(安全な生活のためのルール)は残しつつ、個人主義による脱国家的な“国家”。

    個人主義への流れは止められないでしょうから、将来の見通しは明るいかも・・・です。

  • Comment : 17
    Smith
    Smithさん
     2009/06/06 11:19
    それは少々「楽観的」過ぎる発想ではないかな。「個人」が「権力」に

    抵抗できる手段が、ますます困難になりつつある現在、「個人」情報を

    把握した「権力」はどんな横暴でも可能です。超管理社会の末路を予告

    した本も映画も沢山あるけれど、見通しは決して明るいとは云えない。

    「恐れ多くも…」式でなくも、全体主義は滅んだ「システム」でない。

  • Comment : 18
    umasica :桜里
     2009/06/06 11:37
    >「恐れ多くも…」式でなくも、全体主義は滅んだ「システム」でない。


    たぬき男いたち男が「正しい」ことを言っている!!!!!!

  • Comment : 19
    Molotov
     2009/06/06 13:30
    たぬき−−−さま

    >「恐れ多くも…」式でなくも、全体主義は滅んだ「システム」でない。

    これからの時代の、いわゆる全体主義的なものとは何でしょう?

    世界的な広がりで「禁煙」に関する法律が出来ておりますが、これなど全体主義的かもしれません。これが新たな全体主義への胎動かもしれないのです。

    また、欧米では「憎悪法」なるものがあるそうで、これは人権侵害から市民を守るものであると同時に、ちょっと口を滑らせたら大変な目に遭う法律であります。

    たとえば、牧師が、キリスト教の教義に則って、「ホモセクシャルは罪である」と言った場合、それが「差別」とされ、懲役刑や罰金刑に処されるという具合です。

    フランスでも、女性を侮辱したら1年の懲役刑というのがあるそうです。

    まさに「人にむかって馬鹿者という者は、地獄の火に投げ入れられる」というわけです。

    ヒトラーなどの全体主義を研究することがダメとは思いません。しかし、それが必ずしも新しい形の全体主義に対して、免疫力を発揮するとは限らないのです。

    これから、もし全体主義的な潮流が出来上がるとしたら、それは「民主主義」や「人権思想」に基づいた前代未聞の全体主義であり、人間に対する一切の冒涜が禁じられ、それにあえて反するならば、刑罰を受けることになる、というものではないでしょうか?

    自己や他者に対して肯定的な考えしか認められず、もし否定的なことを言おうものなら、「神の似姿としての人間=神の像」を汚したとして、権力の側から怒りが下るという時代が来るかも知れません。

    それは良いことかもしれませんが、厳しいことでもあります。

    そしてこの事態にたいして、人々はどう判断してよいかわからないのです。(多分)

    ヒトラー型の全体主義には対抗できても、新手の全体主義に対しては善悪の判断すら出来ないのです。

    ここでは、個人主義や個人の自由は最大限に保障されるけれども、人間性は神の像のごとく扱われ、それを汚すなら、それが宗教的・伝統的な理由からであっても、罰を受けるのです。

  • Comment : 20
    Molotov
     2009/06/06 13:45
    憎悪法・・・つまり、人を憎み、差別したということで、逮捕されるということ。この規則の徹底による全体主義。

  • Comment : 21
    Smith
    Smithさん
     2009/06/06 14:39
    「最大限に保障され」ない世界のあり方も、十分過ぎる程にあり得る。

    例えば、我々は「消費税」の「システム」に抵抗しようとしなかった。

    ごく当たり前の様に、この暴力的な政治行為を黙って受け入れました。

    これが怖いのです。実際、誰一人として「拒絶」する訳ではなかった。

    ただ黙って要求された動作を行う「羊」の我々は、なされるが間々だ。

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