老眼と自己決定 (13) 脳死を生きる 7

前回は、


 脳の機能の廃絶

 精神的に死んだ状態

という表現の意味するところを考えてみたわけだ。


前者は、それをもって対象(患者)を「脳死」と判定し、脳死をもって人の死とする途を拓くものである。

後者は、それをもって対象(患者)を「生きるに値しない命」と認定し、安楽死の実行への途を拓くものであった。

前者は、そもそも脳死体からの臓器移植という「医療行為」の実現という目的の前提としてクローズアップされることになった、ある条件化で人間にもたらされる状態である。

後者は、障害者に対する福祉経費削減という国家経済政策上の要請を満たすという目的の実現の前提としてクローズアップされた、ある条件を生きる人間の様態である。

前者は、現代の日本でクローズアップされている問題であり、後者はナチス時代のドイツ(もっとも、議論が始まったのはワイマール期の破滅的な経済状況の中であったが)でクローズアップされた問題であった。

前者では、つまるところ脳死者の「死体」の資源化が目指され、後者では、資源を消費する「精神的に死んだ状態」の人間の廃棄が目指されていたわけである。

 

 


 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?


という問いを背景に潜ませながら、脳死と脳死体からの臓器移植医療を考え続けている。


 


前回はナチスドイツにおいて、「精神的に死んだ状態」にあると認定される対象が、政策の具体化と共に拡大していく過程を追ってみた。

 

現在の日本では、脳死臓器移植の臓器提供者(ドナー)となりうる対象の拡大が図られている(謀られている、と書くべきであろうか?)。

これまでは、当人が「脳死体」となる以前に、当人により積極的に示された意志の存在が、ドナーとなる(される)ための条件であった。そこには、当人の自己決定権の尊重という理念を見出すことが出来るだろう。現行法を支えているのは、自己決定権の上に存在するドナーという論理である。

それに対し、現在、議論の対象となっている「臓器移植改正案」では、当人による積極的否定の意思表示が無い限り、家族の同意のみでドナーとする(される)ことになってしまう。当人の自己決定権の尊重という当初の理念は、著しく後退しているのである。


そこには、ドナー不足により、脳死体からの臓器移植「医療」が普及していないという現行法施行後の日本の現実がある。脳死体からの臓器移植「医療」の推進のためには、脳死体の確保が必要なのである。潜在的脳死体としての日本国民の多くが、自身の自己決定によりドナーとなることを志願しないという現実を前にして、自己決定権の尊重という当初の理念の放棄に至ったのが、脳死体からの臓器移植「医療」推進派の現状、ということになる。


 


ここでもう一度、ナチスの障害者に対する安楽死政策の歴史を思い起こしてみたい。

精神障害者へのガス殺の実施は極秘の政策であったのだが、その現状を知った宗教者からの抗議で中止されることになる。その間、1940年1月に開始されたドイツ国内における精神障害者のガス殺は、中止される1941年8月までに7万273名の犠牲者を出すことになった(しかし、それとは別に、薬物注射、計画的な餓死による殺害が実施されており、そちらは続行されるのであるが)。

ガスによる大量殺害の手法は、ユダヤ人を対象とした絶滅収容所の稼動により、精神障害者の安楽死からユダヤ人の抹殺技術へとシフトし、引き継がれることになる。ユダヤ人に対する、ガス室での大量殺人は、精神障害者安楽死技術の拡大形なのである。

 

精神障害者の安楽死の目的は、福祉費用削減であり、「精神的に死んだ状態」の人間による資源消費の抑制が目指されていたことは既に説明した。

それに対し、ユダヤ人を対象にした大量ガス殺人は、死体の資源化という現象をも生み出すものであった。ユダヤ人の死体からの石鹸製造とは、まさに死体の資源化の一例なのである。


 

 

ここでは、死体を資源として考えること自体を否定しようとは思わない。それは生死観の問題、人間の死体への評価の仕方という文化的問題なのであり、それ自体は別の問題として考えるべきであろう。

ただ、死体を資源と考えることは、より多くの死体への需要を生み出してしまう可能性をはらむのである。より多くの死体が求められてしまう世界。

 


「脳死臓器移植法改正案」が、より多くの脳死体を確保するための法改正案であることは、私には否定し難いのである。

 

 

 

 

 



Tags: なし  /  脳死体 | 死体 | 臓器 | ドナー | 脳死 | 移植 | 資源 | 当人 | クローズアップ | 対象
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Comment 1
umasica :桜里
2009/06/30 00:21

…と、今週も続くのでありました。
Comment 2
Smith
2009/06/30 09:23
Smithさん

で、特に「デビルメイクライ1」の場合、攻略本がない限りに於いて

云える事は、例えばミッション4で苦労して入手した「魔法の杖」を

どこのどなたサンに手渡せばクリアできるのか、まるで解らないので

徹夜して取り組んでも、無駄な労力の泡となってしまう。これも酷い。

ありとあらゆる思い付く限りのステージを捜しまくるんだが、解らん。

「1」で面白いのは、なんと云ってもマリオネットと魔女の強敵だな。

「2」以降ではこんなユニークな敵には遭遇しない。そりゃ無論の事

「1」は息の詰まる狭いステージ内での出来事だから「2」以降では

もっとノビノビさせてくれるサービス精神が、明瞭に現れている点は

評価しよう。「3」もミッション13辺りまでは、どうにか面白いが、

以降メンドーになって来る。これも攻略本がないので、仕方ないが…。

「チープ」でも「ハード」でも、面白けりゃそれで良しとしなきゃな。

でないと「作り手」もどうしたもんか、訳が解らなくなる怖れがある。

「デビル…」シリーズ「4」が売られているが、買ったものかどうか。

又しても「駄作」だったら、どうしてくれようぞ。さぁ困った話だよ。

とにかく「1」も「3」をも「攻略本」自体はアマゾン系で1円から

買えるんだからまぁ良いだろう。今の時点で云いたい事はそれだけだ。
Comment 3
Mr.Dark
2009/06/30 19:31
Mr.Darkさん

自分自身の「身体」は自分のもの‥という当たり前の通念も怪しくなってきたわけですね。
死後(というよりは意識の復旧が見込めない状態)になれば、バラバラに分解されて、他人の欲求を満たすための素材として利用される社会の到来‥
Comment 4
Smith
2009/06/30 20:54
Smithさん

「皆さん」も御存知の様に、背中に「人間の耳」を生やした「ネズミ」

の写真が、雑誌「ニュートン」か何かに掲載されていた。この調子で

行くと、今に「ペニス」を生やした「ネズミ」も現れ、性転換の手術

に使われそうだ。それを欲しがっている全ての「性不一致症」の人々

に取っては「朗報」だろう。或るいは「胎児」の免疫無き「万能細胞」

も又、ありとあらゆる使われ方をされそうだが、それは素晴らしい事

なのか恐ろしい事なのか、良く解らない。現代医療の最先端では驚く

ばかりの「革命」が起こっている。だが、功罪両面の刃は見通し不明。

「遺伝子組み換え」食品の是非も含めて、発癌性を疑われる様な種類

の新技術が産れて来つつある。危険を犯してまで踏み込むかどうかは、

人それぞれに異なる悩みとなって行く。いずれ時間の問題だろうが…。

バラバラに分解され、再生される「人間」のパーツは、高値で売れる

事は間違いないだろう。そうまでしてでも「生きたい」と云う情熱は、

決して消す事の出来ないもの。「生かせたい」医療も消えないだろう。

早い話が「人間」とは、結局は「サイボーグ」でしかないのだから…。
Comment 5
umasica :桜里
2009/06/30 22:32

人間の死体の処理には様々な方法があるわけで…

チベットあたりでは鳥のご飯になります。
これは、埋める場所もなければ、燃やす薪もない、という風土での知恵。

ユダヤ人の大量殺害を始めたナチスが直面したのも、
殺すだけでは終わらないという現実。
絶滅収容所での死体の処理には頭を抱えたらしい。
で、ガス室と焼却炉の組み合わせという、
「工業的」な、死体製造と死体処理のシステムを構築していく。
Comment 6
umasica :桜里
2009/06/30 23:20

本文を読み直して気付いたけれど、
 ↓ ↓

これまでは、当人が「脳死体」となる以前に、当人により積極的に示された意志の存在が、ドナーとなる(される)ための条件であった。そこには、当人の自己決定権の尊重という理念を見出すことが出来るだろう。現行法を支えているのは、自己決定権の上に存在するドナーという論理である。

 ↑ ↑
脳死=人の死、という前提では、
既に死んだ人の「生前の」意志になるんだけど、
脳死≠人の死、だったりすると、
まだ生きている当人のホントの意思の確認は出来ない、ってことになる。
Comment 7
Mersey
2009/07/01 18:43
Merseyさん

こんにちは。
ナチスの安楽死政策とか初めて知りました。ファシズムが根っこにあるといろいろ悪い政策が生まれるものですね。
今回の法案により、決定権が100%家族になったわけですが、脳死宣告された家族からの観点で論じてもらえるとおもしろいと思います。
Comment 8
umasica :桜里
2009/07/02 01:50

Mersey 様


>ナチスの安楽死政策とか初めて知りました。

脳死の議論と、ナチスの安楽死政策が同列のもの、
と主張するつもりはないのですが、
ナチスの安楽死政策と並べて考えることで、
いろいろと見えて来ることがあるように感じています。

「精神的死者」というカテゴリーを創り、
それに対し「価値なき命」というラベルを貼り付ける。
そして実際に「安楽死」の対象としてしまったわけです。


「脳死」の問題は、
それとは異なると言うことも出来るけれど、
連続した側面もある。


善悪・正邪の判断の前に、まず様々な視点で考えておきたい。
そんな姿勢で書いています。


>脳死宣告された家族からの観点で論じてもらえると…

ドナーとなることが善行であるという前提が、
法案改正論議には付きまとっているように見えます。

続きの(15)の方で再論したのですが、
脳死=人の死、という「定義」の正当性が検証不足に感じられます。
脳死者が、まだホントは生きている状態ならば、
臓器の摘出は殺人ですからね。

それと木村敏氏の論点。
他人の死への期待の上に自身の健康の確保が成立するような状況。
倫理的にどうもすっきりしませんね、私には。

…というようなことを考えてしまうと、
ドナーとなること=善行という図式を無批判に受け入れてしまうことが、
家族への圧力として作用してしまうことは確かに思えます。


まぁ、私自身がすっきりしないことを、
すっきりしないままに書いているというのが現状です。

少しずつ、考えを進められればと思います。
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