昨日は、再び、「脳死を人の死とし」てしまうことへの疑念を述べた。
「長期脳死」状態をどのように考えるのか、あるいは「脳死体」が外部刺激に対し示す反応をどのように解釈するのか、といった問題は、現行の臓器移植法成立後に、私たちの視野に入ってきたものであろう。そのような知見が、現在の脳死の定義や脳死判定に対する疑念を呼び起こしてしまうわけだ。
そこに生まれるのは、脳死者の身体を死体として取り扱ってしまうことへの疑念、ということになる。
いずれにせよ、その根底には、脳の機能の廃絶をもって人の死とするという発想が存在する。それは、人という存在、人間という存在の生死の判断を、身体全体の機能の状態からするのではなく、脳の機能状態の判定にのみ依存させることを意味するのである。
脳という臓器の機能状態が、生死の判断を決定してしまうのである。
つまり、人が生きていることは、その脳が機能している状態として記述されることになる。
人生の途上で、後天的に起きる、脳の機能の喪失。それが脳死なのであり、それを人の死として一般化しようとするのが、衆議院本会議で6月18日に可決された、臓器移植法改正案なのである。
さて、これまでにも、ナチスの障害者安楽死政策について論じて来た。
ナチス時代に先立つワイマール期に出版された、法律家カール=ビンディングと医師アルフレート=ホッへの共著になる、『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』(1920)では、
1)助かる見込みのない患者〈末期癌の患者など〉。
2)治療不能な知的障害者
3)瀕死の重傷者
の3つのケースが、法律家カール=ビンディングにより、安楽死の対象として想定・検討され、2)のケースが特に精神科の医師アルフレート=ホッへによる考察の対象となり、ホッヘは知的障害者への積極的安楽死政策の提言者となったわけである。
小俣和一郎の言葉を借りれば、
ホッヘは、精神医学の立場からどのような患者が安楽死の対象となるのか、について詳述している。その際彼は、「精神的に死んだ状態」の有無を最大の引照基準としている(ホッヘによれば治癒不能の精神障害者の大部分がこれに該当する)。そしてこの精神的死の状態を、さらにつぎの二つのグループに分類している。
第一群 : 脳の老年性変化、いわゆる脳軟化症(麻痺性痴呆)、脳動脈硬化性病変、若年性の痴呆過程(早発痴呆)
第二群 : 先天性あるいは生後早期に出現する脳疾患(脳の奇形・発育異常にともなう精神薄弱およびてんかん)
また、ホッヘはこの著作のなかで、のちにナチスによって抹殺されることになる犠牲者を指し示す二つの新語を作り出した。ひとつはこの「精神的死者」、もうひとつは「お荷物」(Ballastexistenz)である。
(『精神医学とナチズム』 講談社現代新書 1997)
という議論が、ホッヘにより展開されたわけだ。
安楽死の対象として、ビンディングにより指定されたのは、「治療不能な知的障害者」であり、ホッヘによれば、それは彼らが精神的に死んだ状態にある「精神的死者」だからであった。
やがて、ナチスの政権下で、精神障害者に対する安楽死が、実際の政策として実行されることになる。
精神的に死んだ状態にあると定義された者は、安楽死させられることにより、実際に死んだ者へと変換されるのである。直接的表現を用いれば、そこでは、精神障害者は、国家の政策により、「殺される」のである。
「治療不能な知的障害者」という、ビンディングにより示された当初の枠組みは簡単に乗り越えられ、広範な精神障害者が安楽死の対象とされ、殺されたのであった。
今回の臓器移植法改正案では、脳の機能の廃絶状態と判定された患者は脳死者なのであり、既に死んでいることになる。患者は既に死んでいるのだから、臓器の摘出により死ぬことはない。たとえ臓器摘出時に脳死者が暴れようが、それは既に死体なのだから、臓器摘出は殺人行為ではない。
脳の機能が廃絶した「精神的死者」は、既に死者そのものなのであり、安楽死させる必要もないわけである。
ナチスの採用した障害者への安楽死というアイディアの論理と、脳死体からの臓器摘出を可能にするためのアイディアを支える用語を混同することは、もちろん、誤りである。
しかし、そこに親和性を見出すことが出来るのも事実であろう。
脳の機能の喪失状態を、生から死への転換の指標とすることにおいて、その発想は大きく異なるようには思えない。
その発想の妥当性には、まだ議論の余地があるように見えるし、ナチスにおける安楽死対象の拡大は、今回の「改正案」における脳死認定対象の拡大に対応するところがあるようにも思える。



















絵文字入力パレット



※入力欄では、コード文字で表示されます。





ではないにしても、
ナチスの論理≒脳死臓器移植法の論理
であるような側面があることを、ここでは再確認しておきたい。
以前に示したように、
システムとしての死体の資源化の稼動は、
より多くの、資源としての死体の確保への努力を生むことになる。
そこでは、死体としての判定対象の拡大が求められることになるだろう。