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老眼と自己決定 (17) 脳死を生きる 10

2009/07/03 22:40

2009年6月18日に衆議院本会議で可決された「臓器移植法改正案(いわゆるA案)」は、


 脳死を人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする


というものであった。現行法からの変更点は、


1) 脳死を一律に人の死とする

2) 本人の意思が明らかでない場合、家族の同意のみで臓器提供を可能とする

3) 臓器提供者への年齢制限を撤廃する

 

の3点となる。それぞれに現行法では、


1) 脳死状態に陥った際の臓器提供への本人の事前の意思表示が明らかである場合にのみ、脳死を本人の死とする

2) 本人の事前の意思表示に加え、家族の同意を得て、臓器提供を可能とする

3) 15歳以下の臓器提供は禁止する


ということになる。


現行法を支えているのは、自己決定権の尊重という理念であろう。

1)及び 2)は、脳死状態での臓器提供に関する本人の事前の明確な意思表明の存在を前提とし、その意思の尊重という形式で、脳死を本人の死とし、脳死状態の身体からの臓器提供を可能としているわけである。

3)は、自己決定の責任能力という観点から、15歳以下を脳死臓器提供者から除外していることになる。


それに対し、改正案の 1)は、法的な「死」の定義そのものを、心臓死から脳死へと変更しようとするものである。法的であるということは、社会的合意としての死の定義の変更であることを意味する。これは、現行法では、死の時点が自己決定の対象とされていることも意味するわけだ。

改正案の 2)は、現行法では本人の積極的な事前の意思表示の存在を臓器提供の要件としていたのに対し、本人の事前の意思が不明であっても家族の同意のみで臓器提供を可能にするものである。つまり、改正案では、本人の自己決定権の尊重という理念が著しく後退していることを示している。

改正案の 3)は、自己決定能力の存在を問わずに臓器提供が可能にされているということを意味するものだ。


 


参議院に議論の場が移された現実の国会では、民主、共産、社民、国民新各党などの(野党)有志議員が「子ども脳死臨調設置法案」を既に提出しているのに加え、



 自民党の参院有志議員は2日、衆院を通過した臓器移植法改正案のA案の修正案を来週にも参院に提出することを決めた。


 脳死を「人の死」としている点を改め、現行と同じく臓器提供時に限って人の死とする内容だ。


 修正を検討しているのは、自民党の古川俊治参院議員ら。A案は衆院で可決されたものの、脳死を人の死とすることには依然、慎重意見が根強いと見て、修正により支持を広げる考えだ。子どもへの臓器移植を可能にするため、臓器提供の年齢制限を撤廃する規定は維持する。野党にも賛同者を広げ、早ければ7日にも参院に提出したい考えだ。

  (読売新聞 2009年7月2日 20時25分 → http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090702-OYT1T00828.htm



と報道されている。


参院自民有志修正案は、脳死を一律に人の死とするという、衆院での改正案(A案)を後退させるものとなっている。その点では、本人の自己決定権の尊重という現行法の理念に立ち戻っているように見えるが、2)と 3)では衆院の改正案が維持されており、実質的には、自己決定権の尊重という論理は放棄されているのである。


野党有志議員による「子ども脳死臨調設置法案」について言えば、その背景には、これまでも繰り返し言及して来た、長期脳死者の存在がある。その意味で、必要な手続きであると言えよう。

自民党議員による修正案の方は、一律に脳死を人の死としてしまうことについて、社会的合意が獲得されていないという現状認識が生み出したものだろう。その意味では、社会の現状への配慮として評価出来るようにも見えるが、実質的には、「A案」の根幹は維持されているのである。


要するに、参院自民有志修正案では、1)に関しての「自己決定権の尊重」を復活させているように見えるが、脳死状態における臓器提供の決定権を本人ではなく家族にしているのが実態であり、本人の自己決定権への配慮は存在しないに等しい。


 

 

…と、長々と書いて来たが、そもそも、死の時点とは社会的合意にこそ属するものであり、自己決定の対象ではないのである。

全細胞死の時点をオレの死としてくれ、あるいは53歳の誕生日に死んだことにしてくれ、なんて意思は尊重されることは決してないのである(尊重すれば、法的に処罰されるだけだ)。生体の辿る連続的過程における死の時点は、社会的に定義されるものなのであり、自己決定することは、原理的に不可能なのである。

その意味で、現行法と参院自民有志修正案における 1)の規定は、本来的な「法」という体系になじむものではない。

脳死状態の人間を死体として取り扱うことにより、脳死者からの臓器提供を可能にするという目的が生み出した言葉のマジックと考えることが妥当に思えるのである。

 

 

 

 

 


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Binder: 現代史のトラウマ(日記数:652/全体に公開)
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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2009/07/04 00:33
    …と、今回は「自己決定権」をテーマにしてみた。

  • Comment : 2
    Smith
    Smithさん
     2009/07/04 08:53
    お〜い!!誰かしら喜んでくれ。昨夜なんと苦しんでたミッション9

    の「イフリート」獲得に成功したでないか。最初から文句タラタラの

    難ステージだったが、やはり時間を掛けると不思議と解けるものだな。

    悩む局面だったが、何度と落ちても繰り返し挑戦。ついにゲットした。

    これで「業者」はニンマリするんだろうヨ。まぁいいだろう。いずれ

    にしろ、8つくらいの足場をピョンピョン跳び渡り、難なく目的達成。

    「ゴッド・ハンド」と云えばそんな風にも見える「幸運」に恵まれた。

  • Comment : 3
    Smith
    Smithさん
     2009/07/04 09:35
    ところで昨日「私」は「ルーチン・ワーク」と云ったが、一応「慶応」

    の英字新聞編集長を務めた「オヤジ」に云わせると、それは間違いで

    「ルーチン」でなくて「リピート」だと云うのだ。なるほど訂正する。

    「リピート・ワーク」?!おっかしいなぁ。そんな筈があるだろうか。

    辞書を引くと「ルーチン」とは「決まり切った」とある。ミッション

    が決まり切った作業を行わせるのを「ルーチン」とは呼べないのかい。

    だが、天下の「慶応」ボーイであった「オヤジ」に「頭」が上がらん。

    「オヤジ」と「私」のどちらが正しいのか、どなたか教えて下されヨ。

  • Comment : 4
    Smith
    Smithさん
     2009/07/04 09:53
    それにしても「サイバーガジェット」の威力は大きい。これなしでは

    とてもミッションをクリア出来ないヨ。卑怯な手だが、バッチリ使う。

    実に痛快だよな。どんなに恐ろしい強敵が現れても、な〜に大丈夫だ。

    けしてゲーム・オーバーとはならないから、うれしくてジーンとする。

    おまけに「アイテム」の「ホーリウォーター」の効き目も素晴らしい。

    これで無敵となった「ダンテ」は、怖れる事なくミッションに挑める。

  • Comment : 5
    umasica :桜里
     2009/07/04 10:24
    そう言えば、今回からサブタイトルをつけることにした。
    「脳死を生きる」ってヤツ。
    (さかのぼり、付加しておいた)

    「老眼と自己決定」と言いながら、「老眼」の話じゃないからね。

    シリーズの始まりの方のサブタイトルを考慮中。
    内容的には、自殺、安楽死、自己決定権…といったところなんだけど。


           (以上、自分用のメモ)

  • Comment : 6
    Smith
    Smithさん
     2009/07/04 10:29
    え? そんな卑怯なマネでは「ゲーム」が退屈なものになるって…?

    まぁネ。でも、攻略本を読み読み進めていくミッションは面白いよな。

    「私」はこんな素敵な「ゲーム」を作ってくれた誰かさんに感謝する。

    まぁ「スーパーマリオ64」は、丁度「バッハ」のオモムキがあるが。

    「鉄拳」は「ベートーベン」「デビル…」は「ドヴィッシー」と云う

    感覚。「SW−F」は「バルトーク」として置こうかネ。そんな所だ。

  • Comment : 7
    Smith
    Smithさん
     2009/07/04 10:44
    そんな陰気な話をしなさんなって「ウマシカ」「脳死判定」がそんなに

    執拗にこだわるだけの値打ちがある「テーマ」とは到底思えないがネ。

  • Comment : 8
    Smith
    Smithさん
     2009/07/04 11:01
    あぁ、眠い…。夜更かしがたたったな。いつもこんな具合だ。しかし

    今日も又、ひたすら「デビル…」に張り付いて時を過ごす。贅沢だな。

  • Comment : 9
    Smith
    Smithさん
     2009/07/04 11:11
    …では、これより「出征兵士」となります。ネット上で何が起ころうと

    一切関知いたしませぬユエに、どうかこの不遜を御許し下さいます様。

  • Comment : 10
    しんべえ
     2009/07/04 18:30
    桜里さん、こんにちは。

    死の自己決定権というのは面白い視点だと思いました。

    考えてみますと、人の生というものには、本人の生物学的な生の他に、社会的生という側面もあるかと思います。有里ちゃん、みずほ君のケースは、生物学的生が危機に瀕していても、社会的生命がご家族の支えによって終っていないというケースではないかと思います。
    つまり、ある人が死んでいるか死んでいないかという判断は、ある人の近傍社会に決定権があると考える事もできるのではないでしょうか。

    そう考えますと、今回のヘンテコきわまりない修正案1)というのは、近傍社会というもの(まあ、普通は家族だと思いますが)を想定して、そこに決定権を委譲するという画期的な考え方のようにも思います。

    少しSF的になりますが、極端に言えば、亡くなった方の細胞を培養して生かしている限りその人は生きている、と考えたい家族の心情というものは可能であり、またそれを認める事も社会としてはあり得る、という事です。そして、その心情を持つ家族がいる限り、人は死なない…これは、法律的にはいろいろと問題を生じさせるでしょうが、実際の現代人の死生観に意外と添うものかもしれないと思いました。

  • Comment : 11
    Smith
    Smithさん
     2009/07/04 19:49
    亡くした「母」の細胞(どこの?) を培養して、生かして於ける物なら。

    そんな発想には思い至りませんでした。愚かです。確かにそれは可能。

    でも「法律上」許される行為なんでしょうか。なんとなく不安ですネ。

    又、恐ろしい様な気持ちにもなります。「母」は未だ死んではいない!

    そう云う事態を「オヤジ」や「妹」が、黙って許す筈がありませんヨ。

    もちろん「私」個人としては、そうであってくれれば…と願いますが。

  • Comment : 12
    umasica :桜里
     2009/07/04 21:48
    しんべえ様


    >今回のヘンテコきわまりない修正案1)というのは、
    >近傍社会というもの(まあ、普通は家族だと思いますが)を想定して、
    >そこに決定権を委譲するという画期的な考え方のようにも思います。

    そこまで考えてのことだとは、トーテー思えないわけですが、
    そう考えると確かに面白いですね。

    かつて某宗教団体が、ミイラ化した(私たちにとっての)死体を、
    生きているものとして対応していたことなどを思い出しました。


    >極端に言えば、亡くなった方の細胞を培養して生かしている限り…

    皇位継承をめぐる議論を思い出します。
    保守派の、皇位の継承は男系の男子に限る、という主張。
    要するに遺伝子の問題、ということになりますよね。
    それならば幹細胞を培養すればクリア出来てしまうはず。
    いわば「純粋天皇」ですね。
    生身の人間を天皇とし、その継承のために皇室が存在する。
    そこでは生身の人間の人権が大変に抑圧されている。
    アホな国民のために、皇族の人権が奪われている現状。
    その解決には、科学の粋を集めて「純粋天皇」の誕生を!!
    永遠に生きる天皇です。


    …なんちゃって。

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