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「無差別爆撃」の転回点 (2)

2009/07/29 21:55

昨日に続き、「第3回無差別爆撃シンポジウム」の参加報告である。

 

 

 

 

昨日は、中山伊佐男氏(元 麻布高校教諭)による「日本への住民選別爆撃の実相−米軍研究資料から」と題された報告のご紹介をした。

 

米軍資料自身に語らせることにより、米軍による日本本土都市空襲の実態が、目標を特定しないという意味での「無差別爆撃」と言うよりは、目標を都市住民とした「住民選別爆撃」と言うべきものであったことを、中山氏は明らかにしたのである。

東京大空襲の資料を中心に据えながらも、富山や青森の事例も盛り込まれた説得力ある報告であった。

 

中山氏は、あと2ヶ月で80歳となる79歳。ご自身も東京大空襲を体験し、疎開先の富山の空襲では母上を失っている。まさに戦災当事者による研究ということになる。

 

 

 

続いての発表は、木戸衛一氏(大阪大学大学院准教授)による「ドイツにおける空襲研究をめぐって」であった。

司会役の大岡氏による問題提起中の、

 2. 〈空襲・戦災の比較史〉−共通の歴史理解のために

 3. 空襲記憶のゆくえ−〈「空襲後」史〉の国際比較
に応えるものと言うことが出来るだろう。

 

前回のシンポジウム「世界の被災都市は空襲をどう伝えてきたのか − ゲルニカ・重慶・東京の博物館における展示/記憶継承活動の現在」でも焦点となったことであるが、戦後(空襲後)の政治的環境が空襲体験の継承の仕方に大きな影響を与えてしまうという事実がある。フランコ政権に敵対していた都市であるゲルニカへの無差別爆撃に関して、当地で言及することが出来るようになったのはフランコ政権崩壊後のことであったし、蒋介石の国民政府の首都であった重慶に対する日本軍の無差別爆撃に関しても、共産党支配下の中華人民共和国では話題となりにくいものであったということが、昨年のシンポジウムではそれぞれの当事者によって語られていたのである(→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-5976.html)。

そのもう一つの具体例として、戦後ドイツの経験があるということが、木戸氏による報告では明らかにされたわけだ。

 

戦後のドイツとは、東西に分断されたドイツである。共産主義者の世界と資本主義下の世界。ソ連に主導された世界(ドイツ民主共和国=東独)と米英をパトロンとした世界(ドイツ連邦共和国=西独)、ということだ。

ドレスデンを領域に抱えた東独では、あの戦争における被害体験とは、米英による無差別爆撃によるものに他ならない。ソ連による国境線の移動に伴う東方地域からの追放者の被った悲惨な運命こそが、戦後の西独における戦争被害体験の語りの中心となった。つまり、そえぞれに語りうる戦争における被害体験の背後には冷戦構造があった、ということなのである。

しかし、東独の吸収という形となった東西ドイツの統一は、統一後のドイツにおける東独時代の研究業績の軽視を生み出すことにもなり、その一例として東独の軍事史家グレーラーによる『ドイツに対する爆撃戦争』(1990)が紹介されていた。

全体として、1960年代に始まり現在に至るドイツにおける空襲研究の展開が、大岡氏による問題提起を踏まえながら、木戸氏により手際よく示された報告であった。

 

 

日本とドイツの共通の事象として、あの戦争における被害者としての側面と共に加害性という大きな問題がある。空襲の被害を強調し語ることが、時に、加害性の隠蔽として作用してしまうのである。それが意図的に行われることさえあるだろう。

その意味で、「無差別爆撃」という軍事的手法を世界に先駆けて組織的に採用したのが日本(南京そして重慶で)とドイツ(まずはゲルニカで)の爆撃機部隊であったという事実は、常に思い起こしておきたい。その上でこそ、米英の実行した「無差別爆撃」の問題性は語られるべきだろう。日独の採用した軍事的手法の延長に、米英により実行された無慈悲な無差別爆撃が存在するのである。

同時に、被害者の姿の見えないところで、つまり加害の事実から遠く引き離されたところで実行される「爆撃」という手法は、21世紀のイラク戦争まで続いていることも忘れずにおきたい。

シンポジウム参加者が、大岡氏による、

 1. 〈空爆の世界史〉における東京大空襲の位置−第二次大戦後を見据えて

 2. 〈空襲・戦災の比較史〉−共通の歴史理解のために

 3. 空襲記憶のゆくえ−〈「空襲後」史〉の国際比較
という問題提起を念頭に据えた上で、それぞれの報告に接していたことを考えれば、上記の私の認識も広く共有されていたものに思える。

 

 

 

最後の質疑において、「無差別爆撃」推進の論理を支えていた、


その効果としての銃後の敵国民の戦意の喪失


は実際に達成されたのかどうかという問題が論じられたが、日独共に、無差別爆撃による被害が戦争終結(降伏)をもたらすことはなかったという事実こそが、その答えとなるのであろう。

 

 

 

 

 

 

 


Binder: 現代史のトラウマ(日記数:665/全体に公開)
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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2009/07/29 23:39
    …というわけで、報告終了。

    最後の質疑での質問者は私。
    もう一つ質問したのだけど、その質問については、そのうちネタに。

  • Comment : 2
    Mr.Dark
    Mr.Darkさん
     2009/07/30 15:48
    誰の目から見ても明らかな国際法違反である無差別空爆は、どのような経緯を経て実行に至ったのでしょうね。
    捕虜虐待や住民虐殺といった一兵士の過ち、というレベルからかけ離れた、国家的規模の計画的犯行に対して、政府や軍の内部にも反対派は多数いたであろうことは容易に想像できます。
    戦後政策の重い足枷となることもわかっていたはずでしょうがね。

  • Comment : 3
    umasica :桜里
     2009/07/30 22:25
    Mr.Dark 様


    >誰の目から見ても明らかな国際法違反である無差別空爆は、
    >どのような経緯を経て実行に至ったのでしょうね。

    第一次世界大戦での前線兵士の損耗率の高さから、
    戦争での犠牲者の減少が目指され、
    それには直接銃後の敵国民を攻撃することによって、
    敵国民の継戦意欲を低下させるのが手っ取り早いだろう。

    …という発想が、第一次大戦後の軍人に持たれるようになった。
    ということのようですが、その目論見は、まったく八ズレだった。
    ってのが、第二次大戦の経験。
    だけど少なくとも作戦遂行に当たっては、
    高空からの爆撃という手法は自軍兵士の犠牲を少なく出来る、
    というのでなくならない、ということのように思えます。


    → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-5976.html
    → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-d699.html
    → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-ca7d.html
    → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-dcda.html

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