日々、果敢な闘いを展開していらっしゃるウヨクの皆様によれば、リベラルはサヨク、民主党はリベラルだからサヨク、ということになるらしい。
もちろん、その闘いの当面の目標は、自由民主党政権を擁護し、「リベラル」な民主党政権成立を阻止することだ。
まぁ、以前にも指摘したことがあるけれど、自由民主党は、英語圏に向けては「リベラル・デモクラティック・パーティー(Liberal Democratic Party=LDP)」と名乗っている政党である。自由民主党をこそ、正統派のリベラルと考えねばならない、のではないだろうか?
実際問題としても、自由民主党に結集した政治家の皆さんが、自らの集団を「自由民主党=Liberal Democratic Party」と呼ぶことにしているのは、コミンテルンの陰謀ではなく、自由党と日本民主党を母体に持つ、その歴史によるものだ。1955年11月に、自由党と日本民主党の合体(いわゆる「保守合同」)により発足したのが、現在に至る自由民主党なのである。
どう考えても、リベラルの名は(「実」はともかくも)、民主党ではなく自由民主党にこそふさわしい。
その自由民主党のルーツとなる、そのものずばりの「自由党」は、戦前の2大政党の一つであった「立憲民政党」系の政治家によって、敗戦後の日本で結成されている。
1946年の衆議院議員選挙で第一党となり、総裁である鳩山一郎の首相就任が確実となったのだが、当の鳩山が、占領軍による公職追放により、政界から排除(パージ)されてしまう。そこで鳩山に代って登場したのが、あの吉田茂なのである。
吉田茂こそは、戦前・戦中より、リベラル=自由主義者として、当時の米国駐日大使ジョセフ・グルーにより、高く評価されていた日本人なのである。
吉田茂は、西園寺公望、牧野伸顕、樺山愛輔と並んで、親英米派の自由主義者として、グルーから大きな信頼を得ていたのであった。
この親英米派の「自由主義者」達は、同時に「宮中グループ」とも呼ばれる昭和天皇の側近でもあった。
(敗戦後の天皇自身の言葉によれば)戦前・戦中は立憲君主として振舞うことを何よりも心がけていたという天皇から誰よりも信頼されていたのが、彼ら「宮中グループ」であったということも忘れてはならないだろう。立憲君主としての立場上、自身の意思を表明することは叶わなかったにしても、昭和天皇の信頼は「軍国主義者」の上に注がれていたのではなく、彼ら「自由主義者」のものであったのである。
つまり、昭和天皇もまた「自由主義」の側の人間として、少なくとも駐日大使グルーには理解されていたのである。そしてその「理解」があったからこそ、敗戦後の日本においても「象徴」という形で、天皇の地位は保たれることになったということも、この国の「自由主義=リベラル」の伝統を考える上で忘れられるべきではない。
戦前・戦中の、いわゆる軍国主義に抗したグループを大別すれば、共産主義者と自由主義者ということになるであろう。共産主義者達は治安維持法下、刑務所に収容されていたわけで、実質的に(それが成功しなかったにせよ)軍国主義に立ち向かったのは自由主義者達であった。その傍らには昭和天皇の姿もある。
それが敗戦に至るこの国の歴史の<事実>である。ウヨク流(あるいは田母神氏流?)の表現をすれば「近代史の真実」ということになろう。
その上で、戦後の彼らの軌跡を振り返ってみよう。戦前・戦中の反軍国主義者としての「リベラル」の戦後は、反共産主義者としての戦後であったのである。冷戦構造の中、吉田茂は、政治家としてその反共主義を貫くことになる。
そもそもリベラリズムは、経済思想としても政治思想としても、共産主義(サヨク正統派!)に対峙する思想なのである。
ここにこそ、我が国のリベラリズムの伝統があると考えるべきであろう。
この国と歴史の伝統を、少しでも大事にする気があるならば、リベラリズムをこそ擁護せよ!と言うべきなのである。
戦前・戦中・戦後と、その日本の「リベラル」を体現していた人物の孫が、現在の自由民主党(Liberal Democratic Party)の総裁なのだ。
「リベラル」を攻撃することによって、麻生太郎氏の率いる自由民主党を擁護しようという発想は、とんでもなくナンセンスなものなのである。この国の歴史と伝統を尊重する気があるのなら、このことをまず理解しなければならない、はずだ。



春のアラシ・変身物語 (2)
春のアラシで「さおりん」が増殖 (2)
春のアラシの観察 (14)
春のアラシの傾向と対策 (3)
春のアラシの相手より枝落とし (28)
