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老眼と自己決定 (26) エホバの証人、あるいは輸血拒否の論理 2

2009/08/13 20:47

「エホバの証人」の信仰を論じる場合、「輸血拒否」は、本来、中心となるべき話題ではないだろう。「輸血拒否」は彼らにとって、彼ら自身の信仰・教義体系から生み出された態度の一つではあっても、彼らの信仰の焦点などではないはずだ。

 

ただ、現代のいわゆる先進国において、「輸血」という医療行為に対し社会のマジョリティが示す態度と彼らのそれとの隔たりの大きさが、マジョリティに違和感を抱かせてしまうことにより、彼ら自身の意図を超えて、マジョリティにより構成される社会からの問題視として帰結しまっているのだと思える。

 

前回にも指摘したように、「輸血」という医療技術自体が、第二次世界大戦期前夜に確立し、第二次世界大戦での負傷者の治療と共に普及へと向かったものなのである。

前回は、とりあえずの思いつきで、20世紀生まれの高度医療技術の一つとしての「輸血」と、患者による医療内容の選択としての「輸血拒否」という構図で、問題を整理してみたのだが、そのような形での議論が既になされていることがわかった。高度医療技術と、医療内容に対する患者の自己決定権の組み合わせという構図である。

 

 

 

文化人類学者の星野晋によれば、


 協会(ものみの塔聖書冊子協会−引用者)が輸血を受け入れないという立場を示したのは1945年のことである。

  (「輸血拒否の主体は誰か−文化人類学的視点から見た輸血拒否−」 日本臨床麻酔学会誌 26巻3号 2006年3月)


ということだ。「エホバの証人」は、1870年代に米国で生まれた教派であるが、当然のことながら、当初から「輸血拒否」を信仰の一部としていたわけではない。「輸血」という医療技術の出現への対応として、1945年になって初めて、「輸血拒否」という態度が彼らのものとなったのである。

 

 

「エホバの証人の輸血をめぐる問題」と題された、麻酔科医師による論文によれば、


 実際には専門以外の分野を看板に書く医師はほとんどいないが、法的には医学部を卒業して医師免許を取得した者であれば、誰でも「内科」とか「外科」という看板を勝手に掲げることが可能である。
 しかし、「麻酔科」だけは例外である。麻酔は非常に専門性の高い技術であり、一歩間違えれば生命に直結する手技であるため、決められた病院で通 常2年以上の研修を受け、厚生省の医道審議会である「麻酔科標榜資格審査会」で認められた者しか「麻酔科」の看板を掲げることはできない。この資格を「麻酔科標榜医」という。医師には麻酔も含めて治療上必要な処置を行うことが許されているが、麻酔科を正式に名乗るためには麻酔科標榜医である必要がある。
麻酔科医の役割は多岐にわたるが、手術室での業務は麻酔を施行し、手術中、患者の管理の責任者となることである。薬品や輸液、血液の使用は麻酔科医にすべて任されている。術者は手術に集中し、とてもその他のことを配慮する余裕がないからである。


ということになる。

つまり、「非常に専門性の高い技術」を要求される麻酔科医の「手術室での業務」に、「薬品や輸液、血液の使用」も含まれているわけである。この<事実>の背後にも、「輸血」という医療技術の「高度医療」としての側面を見出すことが出来るように思える。

 

 

 

前掲論文では、麻酔科医師の直面させられる問題として、


 信教の自由は最大限尊重されなければならないが、医療を受けるにあたっては医療従事者との接触は不可避である。同じ宗教を信じる医療従事者のみが関与するのであればそれほど問題にはならないのかも知れないが、そのような病院は現在存在しない。「エホバの証人」患者を診療するにあたって、私達が納得できない教義の問題点を以下列挙する。
自分の信仰を家族(特にこども)にも強制する。
 これにより聖マリアンナ大学で輸血拒否小児死亡事件がおこった。これについては後述する。
赤血球輸血のみを拒否する理由が非合理である。 
 これについての詳細も後述する。
医師の良心を苦しめる
 「死んでも良いから輸血しないでくれ」というのは医師の職業倫理を否定することになる。いくら「免責書」をもらっても、良心のうずきが癒されるわけではない。

 

という3点が示されている。

に関しては、


 「エホバの証人」の多くは、人工心肺、臓器移植、赤血球を含まない血液製剤の輸血は受け入れている。臓器移植には白血病の治療である骨髄移植も含まれているのであるが、骨髄には当然ながら赤血球を作り出す細胞が含まれており、出来たての赤血球も存在しているわけである。骨髄移植が許されるのに赤血球輸血が許されないとする理屈が全く非論理的である。
1996年以来、医療機関連絡委員の一部を含むエホバの証人たちが、匿名で現在の輸血拒否の方針に疑問を表明し、その数は増加している。彼らは「血液拒否改革エホバの証人連合」を形成し、彼らの言葉によれば、矛盾と一貫性に欠ける複雑な規則に縛られた輸血拒否の方針が、聖書の根拠も明らかにされないままに厳しく施行されている状態に対して、内部からの改革を提唱している。
 事実としてエホバの証人は過去において、ワクチンを輸血と全く同じ理由(すなわち「血の神聖を犯す」という理由)によって、忌避すべきことを信者に教えたが、三十余年後には同じ機関紙の紙面に正反対の主張をし、現在は認めているのである。輸血についても同様に今後、方針が変更になる可能性は十分にあると考えられる。


と、その詳細が示されている。

 

これまで私は、エホバの証人による輸血拒否について、「自己決定権」という側面から論じてきたわけであるが、現場で直接に対応に当たる麻酔科医の言葉として、


 私の経験からすると、手術の前に、最大限尊重はするがやむをえない場合には輸血をする方針であることを話してその場では納得された患者でも、あとで知人と称する人達に説得されて、輸血は絶対しない旨の承諾書にサインしなければ手術を受けないと翻意された例を何度も見ており、多くの信者は本心からではなく、やむを得ず輸血拒否を表明させられているのではないかと感じている。


という経験と推測があることを無視することは出来ない。最終的決断は、確かに患者当人のものであるにせよ、「自己決定」に積極的に介入する他者の存在があることも見逃せない。ただし、この場合、患者に「輸血」の受け入れを求め続けることもまた、「自己決定」への「他者の介入」となってしまうわけである。

 

 

 

 

   自分の信仰を家族(特にこども)にも強制する


という として示された問題点については、前回の私の観点とも一致するものであり、次回、あらためて考えてみたい。
 

 

 

 

 

 

 

「輸血拒否の主体は誰か−文化人類学的視点から見た輸血拒否−」

 → http://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsca/26/3/296/_pdf/-char/ja/

「エホバの証人の輸血をめぐる問題」

 → http://www.hbs.ne.jp/home/kterasa/sotsuron.htm
 

 

 

 

 

 



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Binder: 現代史のトラウマ(日記数:651/全体に公開)
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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2009/08/13 23:13
    …と、昨日とは打って変って「自己決定」をめぐるマジなお話。

  • Comment : 2
    Mr.Dark
    Mr.Darkさん
     2009/08/14 02:19
    原理主義者の思想は自然科学をも否定する頑迷な側面を表します。
    「話せばわかるっ」とはいかないのが難しい…

  • Comment : 3
    umasica :桜里
     2009/08/14 12:11
    Mr.Dark 様


    >原理主義者の思想は…
    >「話せばわかるっ」とはいかないのが難しい…


    気になるのが、
     ↓ ↓

    事実としてエホバの証人は過去において、ワクチンを輸血と全く同じ理由(すなわち「血の神聖を犯す」という理由)によって、忌避すべきことを信者に教えたが、三十余年後には同じ機関紙の紙面に正反対の主張をし、現在は認めているのである。

     ↑ ↑

    っていう話。
    熟慮の結果、熟慮に基づく議論の結果、
    主張を変化させることが出来るというのは大事なことだと思う。

    しかし、
    かつての主張を「なかったこと」にしてしまうのには賛成出来ない。

    オーウェルが『1984年』で描いた世界だし、
    かつての共産党支配下でのやり方と同じ。

    そこに「いかがわしさ」を感じてしまいますね。

  • Comment : 4
    青原さとし
     2009/10/19 11:20
    ご無沙汰してます。
    このシリーズ、とてもおもしろいですね。
    ぐいぐい惹かれました。「輸血」を文明社会の産物として
    拒否するか否かの問題ですね。
    ある意味、臓器移植、人工授精、遺伝子組み換え食品
    といったものを拒否するさきがけとも捉えられますね。
    それに戦争が密接に関わっていたとは。
    今の文明を常識として捉えることに
    どっかに罠があるのかもしれないですね。

    またいずれ!

  • Comment : 5
    umasica :桜里
     2009/10/20 07:20
    青原さとし様


    星野晋氏の論文が、文化人類学者らしい過激さで面白かったです。

    いずれ詳しく内容を紹介し、論じてみようと思っているのですが、
    要するに、エホバの証人を「異文化」として捉えれば、

     輸血の強要は、
      イスラム教徒に豚肉を強制的に食べさせようとするのと同じだ

    なんてことを主張していたりします。

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