完全武装の両軍の対峙する前線を飛び越し、はるか背後の非武装の敵国民(市民)を標的に爆弾を落とす。
「戦略爆撃(特に都市無差別爆撃)」とは、そのような行為である。
爆撃により、都市住民の生活基盤を破壊し、住民の生命そのものをも標的とし、敵国民の継戦意欲を低下させ、停戦・講和へと導く。
第一次世界大戦における前線兵士の膨大な損耗率、つまり予測をはるかに超えて続くことになった戦争とその予測をはるかに超えた戦死者戦傷者の存在は、参戦したヨーロッパの人々に戦争への忌避感をもたらすものとなった。過酷なヴェルサイユ条約には、敗戦国ドイツに二度と戦争を引き起こすような気を起させぬ効果が期待されていたのだし、戦後の国際連盟の結成、各種軍縮条約の取り組み、そして不戦条約締結への努力には、世界からの戦争の排除という理想が込められていたのである。
政治家が戦争の回避への努力を課題としていたのに対し、軍人達には、(政治家が)回避に失敗した戦争への対処が新しい課題となっていた。戦争の長期化と戦死者数の抑制が、そこでの課題である。期間を短く、犠牲者数も少なく、という条件の下に勝利を確保することが、第一次世界大戦後の軍事的課題となったのである。
イタリア軍人ジュリオ・ドゥーエによる1921年の著書『空の支配』は、まさにその課題への答えとして書かれたものだ。
荒井信一の記述を引こう。
彼は大戦の経験から、これからの戦争は「もはや兵士と民間人の区別のない」総力戦であり、そこでは空爆によって民衆がパニックを起こし「自己保存の本能に突き動かされ、戦争を終わらせろと要求するようになる」と説き、住民の戦意をくじくテロ効果を強調して無差別爆撃論を提唱した。「戦時国家の最小限の基盤である民間人に決定的な攻撃が向けられるので戦争は長続きしない」、「長期的に見れば流血をすくなくするので、このような未来戦ははるかに人道的だ」とまで述べている。
ドゥーエは人口密集地の住民への攻撃手段として、高性能爆弾、焼夷弾、毒ガス弾の三つをあげている。三種類の爆弾それぞれの機能を極限にまで高め一体化したものが、後の原子爆弾であるといえよう――大型台風をはるかにうわまわる衝撃波の破壊力、人工の太陽とも言われる熱線のもたらす焼夷力、放射能の毒素力――。アメリカは今でも、原爆の投下は戦争の終結を早め、多くの人命を救ったとして正当化している。それはまさにドゥーエのテーゼの現代版にほかならない。
『空爆の歴史』 (岩波新書 2008)
同時代の、ウィリアム・ミッチェル、ヒュー・トレンチャード、そして大西瀧治郎もまたドゥーエ同様に「はるかに人道的な未来戦」への志向を抱いて、それぞれの空軍力の充実への努力を開始したわけである。
戦争の短期化と、戦死者数の減少の追求というテーマから、軍人の合理的思考が生み出した結論が、住民へのテロ爆撃としての都市無差別爆撃なのである。そこでは、より効果的な、つまり集中的で徹底した都市無差別爆撃の実行者の側が、戦争での人道的な勝利者となるはずであった。
そこには、確かに、戦闘(そして戦争)の勝利のために合理的に振舞う人々、としての軍人の姿を見出すことが出来る、ように思える。
過去の戦争から学び、総力戦の意味を考え、新たな軍事理論を構築し、戦略を組み直し、新兵器を開発し、軍の編成を新たにする。そのような努力は、精神主義者のものではなく、合理主義者のものであろう。
第一次世界大戦後に登場した戦略爆撃論者、都市無差別爆撃の主唱者達にとって、学ぶべき過去の戦争とは、言うまでもないだろうが、第一次大戦である。
その第一次世界大戦の膨大な戦死者の存在を抜きに、都市無差別爆撃というアイディアは生まれなかったし、次の戦争でそれが実行に移されることもなかったわけである。
では、その膨大な戦死者を生み出したのは何であったのか?
そして、その膨大な戦死者を生み出させたのは誰であったのか?
新兵器であった機関銃であり、精神主義から抜け出せなかった英軍司令官であり、仏軍司令官であった。
既に日露戦争で、機関銃はその威力を十分に発揮していた。繰り返される乃木将軍の正面攻撃は、ロシア軍の機関銃を前にして、戦死者の山を築くことしか出来なかったのである。
第一次世界大戦はそれから10年後の話なのだが、英仏陸軍の司令官達もまた、数年に渡って機関銃座への正面攻撃を繰り返し、戦死者の山を築いていったのであった。




第一次大戦の英仏陸軍を指揮していた司令官達の姿!!
続きは次回。