秋の空の下、アウトサイダー作家の誕生?
さすがに、10月もここまで来ると、夏の名残もない。
夏の初めに、学生の企みに乗せられて写真展を…、というような話を書いた。
(→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/lachrimae-7864.html)
メールのやり取りの結果、11月24日〜12月5日という会期での開催が決定。
そろそろ準備も本格的に始めなければならない。
ところで、学生の作った企画書の「作家紹介」が、家族的にウケた。
その最後が、
正規のアート教育を受けていないアウトサイダー作家である。
という言葉で結ばれているのだった。
「アウトサイダー・アート」と呼ばれるジャンルがあるのだ。近年注目の対象となっているジャンルである。
『ウィキペディア』の記述中にもある、世田谷美術館の「パラレル・ヴィジョン」展には、私も足を運んだものだ。そして『ウィキペディア』の記述中にもある通り、展示作品の中での精神障害者の作品の比率は高い。
特に、子どもや、正式な美術教育を受けずに発表する当てもないまま独自に
作品を制作しつづけている者などの芸術も含む。なお、デュビュッフェの作品を
アール・ブリュットに含める場合もある。
という意味では、私の写真は仕事ではないし、「作品」として人に見せることを考えたものではないし…と考えれば、「アウトサイダー・アート」と呼ぶことも出来るのだろう。
しかし、そもそも私の撮った写真は「芸術」なのか?
そんな意図すらないのである。まぁ、他人が決めることなんだろうけれど…
しかし、やっぱり「アート・芸術」というものが、そもそもよくわからないものではないか、と言わざるを得ないわけだ。誰がそれを決めるのか?つまり、誰が対象となる何かを「アート・芸術」として認定するのか?誰にその資格があるのか?
…と考え出すと(ここでそれを考え始めてしまうところがいかにも「私」なわけだが)、何を「作品」と呼び「アート・芸術」と認めるのか、というのは簡単な問題ではないことが理解出来るだろう。
…というメンドーな話はこのくらいにして、「アウトサイダー作家」と呼ばれてしまったことは、個人的には(そして家族的には)面白いことなのであった。
「作家」であるかどうかは別として、「アウトサイダー」であることは、確かに自分の人生での選択であったという意識があるからだ。要するに、オレは日本の世間には参加しないよ、というのが若き日の我が決意であったわけである。
そういう意味で、確かに「アウトサイダー」であることは、自明のことだったわけだ。
その「アウトサイダー」としての私が、カメラを手にしシャッターを切ることを生活の一部としていた、ということなのであった。カメラにフィルムあるいはメモリー・カードが入っていれば、シャッターを切った後には写真が残されるのである。
それがギャラリーという場で展示されることによって「作品」と呼ばれ、結果として撮影者が「作家」と呼ばれることになる、というのが理解としては妥当なことなのかも知れない。
…と、まぁ、書き出したら長くなってしまったが、古本購入記を書いておくのが今夜の日記の予定であった。
で、今からそれを始める。
家族総出で、家の本(私のではない本)の処分のために、駅の向こうの古書店(チェーン店)まで出かけたわけだ。そこで買ってしまった本、というわけである(毎度の話だが)。
ジョアン・フォンクベルタ + スプートニク協会 『スプートニク』 (筑摩書房 1999) 2600円→1300円
松本昭夫 『精神病棟の二十年』 (新潮文庫 2001) 400円→200円
井上嘉大&D.T.Wプロジェクト 『忘れられた大日本帝国 1936』 (英知出版 2005) 2667円→1250円
加藤恭子 『昭和天皇と田島道治と吉田茂 初代宮内庁長官の「日記」と「文書」から』 (人文書院 2006) 2500円→1050円
田中孝彦 青木人志 編 『〈戦争〉のあとに ヨーロッパの和解と寛容』 (勁草書房 2008) 2800円→1550円
ここまでが古本。
その後で駅上の書店で新刊本として、
ロベルト・エスポジット 『近代政治の脱構築 共同体・免疫・生政治』 (講談社選書メチエ 2009) 1800円
も買ってしまった。ナチスの安楽死計画への言及があるにとどまらず、全体として私のテーマと重なる内容となっているようだ。
古書中の『スプートニク』は、帰宅してからあらためて見たら、
本書「スプートニク」は、解説を除き、すべて作者ジョアン・フォンクベルタ氏によるフィクションです。
と書いてあった。その解説の執筆者は荒俣宏氏であった。
ウマシカ氏による「陸軍冬期戦研究所」バナシの大掛かりなものなのであった。感動した!!
『精神病棟の二十年』は、
私は昭和三十一年、21歳の時に精神分裂病に罹患した。当時私は大学受験を控え、東京目黒の下宿で、勉強にうちこんでいた。
以来七回、前後約六年間にわたり、東京、札幌、旭川の精神病院に入退院をくり返してきた。旭川のT精神病院を最後に退院したのが、昭和五十年九月、その日から五年が過ぎた。
精神病院の一日一日は、私にとってすべてが空しく、無意味で、苦々しい時間であった。
その失われた歳月はたとえようもなく惜しいが、もはや返ってはこない。
私はいま四十五歳である。生地に近い旭川市の小さな出版社に勤め、営業マンとして働いている。一度離婚して以来、約十年ほど独身生活をしていたが、最近再婚もした。
これから後、自分の病気が決して再発することがないことを希っている。信じている。祈っている。
私ぐらい愛について魯鈍な者もいなかったのではないだろうか。私は愛を受け取ることばかりに長じていて、愛を与えることはまるで幼児より下手だった。…
という文章で始まる、松本昭夫氏による自身の記録である。
これから後、自分の病気が決して再発することがないことを希っている。信じている。祈っている。
という、「希っている。信じている。祈っている」と重ねられた表現に、ご自身の年月が集約されているように思える。
『忘れられた大日本帝国 1936』はDVD2枚付きの資料集として、『昭和天皇と田島道治と吉田茂』はタイトルが内容を語っているだろう。
『〈戦争〉のあとに ヨーロッパの和解と寛容』は、第一次世界大戦後、第二次世界大戦後、冷戦終結後、という三度の「戦後」をテーマとした論文集。頭の整理に。
で、話は冒頭に戻る。
帰宅後に、これを書くためにココログの記事を久しぶりにチェックした際に、文中でサヴァールの演奏の紹介をしていたことに気付いた。
Jordi Savall, Hespèrion XXI - Lacrimae Pavan, J.Dowland (1563-1626)
→ http://www.youtube.com/watch?v=g2uA4msplTg&feature=related
写真展を企画した学生によれば、サヴァールの姿はウマシカ氏に似ているらしい。
鼻の形が違うような気がするが、ヒゲ、メガネ、マユゲ、ヘアスタイルについては、確かに似ているようにも思えた。
で、最後に、サヴァールの演奏のオマケ。
Diego Ortiz: Recercada quarta sobre la folia / Jordi Savall
→ http://www.youtube.com/watch?v=egQ5TtE7E9I&feature=related
Anonymous: La Folia ( XV century ) / Jordi Savall
→ http://www.youtube.com/watch?v=uUeLAF54m_U&feature=related
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