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南京事件否定論への視点(松井石根の涙)

2010/02/16 21:56

 

 南京事件に関して世間が考えるような虐殺はなかったはずですよ。

…という話に対し、どのように答えるべきであろうか?

 

 

 

「現代史のトラウマ」シリーズでは、これまで、「南京事件」あるいは「南京大虐殺」と呼ばれる1937年12月の出来事については取上げることをしていない。

 

事件の有無自体が論争の対象であるし、事件の規模、性格、経緯等をめぐって多くの議論が重ねられているという事情がある。

既に行われた議論の概要を把握するだけでも大変な作業となるだろう。…という思いもあり、積極的なアプローチをしたことはない。関連本もほとんど読んでいないのである。

 

しかし、


 南京事件に関して世間が考えるような虐殺はなかったはずですよ。


と言われれば、そう主張する当人が、どのように世間が考えていると考えているのかという問題は別としても、「はい、そのようですね」という言葉は私の口からは出てこない。

 
世間がどのように考えていると考えていようと、南京攻略戦の過程において、皇軍が不名誉な行為をしたことは事実であると私は思っている。

 

 

 

私が眼を通した数少ない関連書の一冊に、秦郁彦 『南京事件 増補版』(中公新書 2007)があるが、同書中には、旧大日本帝国陸軍将校の親睦組織である偕行社自身による調査報告に、不法処理の疑いあるもの三千名〜六千名という数字が示されたことが記されている。

犠牲者3千名〜六千名という数字が「大」虐殺という表現に相応しいものであるのかどうかという議論には、私は興味はないので(犠牲者数の確定作業自体は重要であるが)、それ以上の詮索は私にとっての当面の問題とはならない。最低限数千名の日本軍による虐殺犠牲者の存在が、いわば当事者である偕行社の調査によって確認されていることを知れば、私には十分なことだったのである。

 

 

 

今回、あらためて、


 南京事件に関して世間が考えるような虐殺はなかったはずですよ。


…という主張に接し、それが、文字通りに「虐殺がなかった」ということを意味するのであれば、「それは違うだろ」という思いを抱かさせられたわけである。
 

 

 

 
先の秦郁彦による『南京事件 増補版』中には、「南京虐殺」の責を問われた松井石根大将自身が、

 南京事件ではお恥しい限りです。……私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときは、シナ人に対してはもちろんだが、ロシヤ人に対しても、俘虜の取扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。

 慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。その時は朝香宮もおられ、柳川中将も軍司令官だったが、折角、皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまったと。ところが、このあとで、みなが笑った。甚だしいのは、或る師団長の如きは「当り前ですよ」とさえ言った。

 従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている。


…と、東京裁判の判決を受けた後に語っている事実が記されている。

巣鴨拘置所の教誨師であった花山信勝に向けて、処刑を前にした松井自身がそのように語ったエピソードが、花山の著書『平和の発見』を通して伝えられているのである。松井本人が語った言葉の文言そのままではないにしても、つまり個々の語の厳密な再現性には不満が残されるにしても、文脈として理解する限りの信頼性は高いと思われる。
 
この話のポイントは、

 慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。その時は朝香宮もおられ、柳川中将も軍司令官だったが、折角、皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまったと。ところが、このことのあとで、みなが笑った。甚だしいのは、或る師団長の如きは「当り前ですよ」とさえ言った。

という部分であろう。
南京攻略戦当時の回想として、総司令官であった松井自身が、

 慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った

ことを証言し、その理由として、

 折角、皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった

と「兵の暴行」の存在を認めると共に、その「兵の暴行」の事実に対し、

 甚だしいのは、或る師団長の如きは「当り前ですよ」とさえ言った

という当時の皇軍師団長クラスの人物が、「兵の暴行」を当然の行為として容認していたという事実までもが、松井石根自身の言葉からは読み取れるのである。
つまり、兵の暴行が突発的・偶発的・散発的な出来事ではなく、(計画的とまで言えるかどうは別として)組織的な性格を持った出来事であったという認識が、南京攻略戦直後の軍司令官自身のものであったということを、松井自身の言葉は示しているわけだ。
 
であるからこそ、東京裁判での死刑という判決に対し、

 従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている。

として、その判決を積極的に受け入れる姿勢を示していると考えるのが、妥当な解釈であると思わざるを得ない。
繰り返しておけば、

 折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった

という松井司令官の「兵の暴行」に関する認識は、東京裁判の結果なのではなく、南京攻略戦直後のものであったということが何を意味しているのか? という点を深く味わっておくべきであろう。

 

 

 

…というような話をしたわけだ。


 南京事件に関して世間が考えるような虐殺はなかったはずですよ。


…という主張に対し、それが文字通りに「虐殺がなかった」ということを意味するのであれば、私が「それは違うだろ」という思いを抱く理由を示してみたわけである。
 
 
 
 

しかし、それに対し、

 「私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい」というのは、その理由が「虐待していた」からなのか、「虐殺事件」の故なのか、どちらとも受け取れるので、多少の疑問が残る。


…という主旨の答えが返って来た。
そこで、それでも私は、南京事件を日本軍による組織的な(と評価され得るであろう)、不法殺害の事例として考えることに対して、「多少の疑問が残る」というよりは、「疑問は残らない」という心証を得ていることを伝えた。
 
 
理由としては、松井石根自身が、東京裁判の訴因第四五にある、

 南京攻撃に依る中華民国の一般人及び非武装軍隊の殺害

つまり、中華民国の一般人及び非武装軍隊に対する不法殺害としての南京事件の存在を、東京裁判の過程において否定していないと私には考えられるからだ。
 
東京裁判自体の正統性とその判決の正当性に対する疑義は、言うまでもなく存在するが、その一方で、東京裁判が「問答無用」に尽きるものでなかったことにも、注目しておくべきであろう。それぞれの被告には弁護人が確保され、弁護活動が展開されていたことも歴史的事実なのである。
起訴事項に対し、被告当人が無罪を主張し、被告当人の名誉、軍の名誉、国家の名誉、天皇の名誉を、弁護活動を通して守ろうとすることは可能であったのであり、事実、弁護団はそのように活動しているのである。

訴因第四五の、

 南京攻撃に依る中華民国の一般人及び非武装軍隊の殺害

という告発に対し、松井石根は、それ自体を否定することで、自身の無罪を主張し、自身の名誉、軍の名誉、国家の名誉を守ろうとすることは、本人が望めば可能だったはずだ。そこには、自身の名誉の問題だけでなく、軍の名誉、国家の名誉もかかっている以上、むしろ主張すべきであった、と言うべきであろう。

しかし、そのような弁論活動はされていないのである。

むしろ口供書では、松井自身が、

 …一部若年将兵の間に、忌むべき暴行を行ひたるものありたるならむ。
 …南京入城後、初めて憲兵隊長より之を聞き、各部隊に命じて即時厳格なる調査と処罰を為さしめたり。

等の文言をもって弁明を試みているのが現実なのである。

つまり、


 一部若年将兵の間に、忌むべき暴行を行ひたるものありたるならむ


という認識が松井自身のものであったからこそ、


 憲兵隊長より之を聞き、各部隊に命じて即時厳格なる調査と処罰を為さしめ

るという処置をしたと考えるのが、当然の口供書の解釈となるであろう。
 

東京裁判における、


 南京攻撃に依る中華民国の一般人及び非武装軍隊の殺害

という嫌疑が事実無根なのであれば、そのように主張しなければならない。それは松井個人にとどまる問題ではなく、皇軍の名誉の問題であり、大日本帝國の名誉の問題であり、そして大元帥陛下たる天皇の名誉にもかかわることなのだから。
しかしそれをしなかったということは、

 南京攻撃に依る中華民国の一般人及び非武装軍隊の殺害

という訴因自体を否定することは不可能であると、松井自身が判断していたからではないか?
つまり、

 南京攻撃に依る中華民国の一般人及び非武装軍隊の殺害

は、その規模は別としても、不法行為の存在を、松井自身が事実と認識していたからではないのか?
 

私は、そのように考え、「多少の疑問が残る」と判断するよりは、「虐殺事件」の存在を、松井石根自身が認識していたものと判断することの方に、合理性を見出すのである。
 

 

そのような判断理由を述べ、

 自分のスタンスは納得できるかどうか

であると言っていた相手に対し、私はそのような論理で問題を「納得」していることを伝え、私の判断に問題があると思うかどうかを問うてみたのであった。
 

その結果、


 特に問題はないと思います。


という相手の返答を得ることが出来た。

 

 

 
 

この一連の議論で、実は相手の立場は一貫したものではなかった。

南京事件の存在自体の否定(虐殺の存在の否定)をすると同時に、虐殺の規模の大小をも問題の俎上に載せようとするという、論理的には矛盾した姿勢が見られたのである。虐殺の存在自体を否定するならば、規模の大小の議論は不必要なことは言うまでもないだろう。

話が複雑になるので、虐殺自体の否定への批判に論点を絞って応対したのだが、それで「納得」したわけだから、確固たる立場など最初からなかったのかも知れない。

 
 

 

しかし、話はまだ終わらなかった。

続いて、


 しかし一般人に化けている便衣兵(ゲリラ)には南京攻略部隊は困ったでしょうねえ。


…というような、虐殺の正当化の定番のリクツが登場するのであった。
 

嗚呼…

 

 

 

 

 

(次回へと続く)

 

 

 

 

 

 

 

 


Binder: 現代史のトラウマ(日記数:666/全体に公開)
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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2010/02/16 23:50
    …と、松井石根に論点を絞っても、虐殺否定論は否定されてしまう。

    つまり、かなりちゃちな主張だったということなのだろう。

  • Comment : 2
    Mr.Dark
    Mr.Darkさん
     2010/02/17 20:37
    日本軍による中国人の虐殺があったのは間違いないでしょう。それと同時に中国軍による日本人の虐殺があったのも事実。
    「戦時下」ならばむしろ当然でしたからね。
    どちらが「いい、悪い」ではなく、事実を検証して正しく世に公表する必要がありますよね。

  • Comment : 3
    umasica :桜里
     2010/02/17 21:49
    Mr.Dark 様


    >日本軍による中国人の虐殺があったのは間違いないでしょう。

    「南京事件」に関しても、新書の数ページの記述の読解だけで、
    虐殺否定論が通用しないのは明らかなのに、
    いまだに言い張り続ける連中がいるのが困ったところですね。
    あらためて取り組んでみて、虐殺の存在の有無については、
    専門書を読破するまでもない話だと実感しました。

    >それと同時に中国軍による日本人の虐殺があったのも事実。

    「通州事件」が有名ですね。

    ただ、こちらから出かけて行って、それも首都まで攻略して…
        …その挙句の虐殺っていうのは弁解の余地なしの気がします。


    南京攻略戦後に第11軍司令官となり(武漢攻略戦を指揮)、
    最終的に北支那方面軍司令官に就任した岡村寧次の証言を読むと、
    当時の日本陸軍のどうしようもない状態が伝わってきます。
    → http://www.geocities.jp/yu77799/okamura.html

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