umasica :桜里さんのマイページ

本日はゴキブリ現れずの神は何語で話すのか日記

2006/12/04 21:48

(本日も愛好者向け、だけど読むのは簡単、内容はどーなんだか)


不可視の神。

どのようにその存在を知りうるのだろうか。存在の確認はいかにして可能なのだろうか。


なぜ、「不可視」なのだろうか。

つまるところ、神が可視的なものであれば、共通認識としての神の姿が人類に共有されているであろう。眼が見える者ならば、神の姿を知っている、ということになるわけだ。誰でもがその姿を描くことが出来るはずだ。巧拙はあっても、モデルは同じなのである。絵に描ける神の姿。撮影も出来ることだろう。目に見えるものならば。

現実には、神は、視覚的認識の対象ではないらしい。神との遭遇を語る者はいても、その姿に共通点があるのかないのか。共通点があれば、神をめぐる争いが生じるはずもない。もっとも、複数の神が存在するのだとすれば、見出された姿の相違は説明可能となる。
神の複数性を容認するのであれば、問題は生じない。それぞれ異なる人物が、それぞれ別の神と遭遇した、というだけのことに過ぎない。
神は視覚的認識の対象ではあるが、多くの人間に出会うチャンスが用意されているわけではないということになる。

唯一の神の存在が語られる時に、問題は始まる。
唯一の神が可視的な存在であるとすれば、その神の姿を見た者は、限定されることになる。神の姿の多様性は否定され、誰かの見た姿のみが真の姿でしかありえない。
もっとも、前から見たのか、見たのは後姿だったのか、検討の余地はいくらでもあるであろう。証言をつき合わせ、じっくり比較検討出来れば、その姿を突き止めることは可能なはずだ。
あるいは化粧好き、あるいは衣装変更大好き、要するに変身好きの神であれば、その姿の多様性が説明出来るかも知れない。
しかし、そんなことしてどうしようというのか、お色直し好きの神よ!?

いずれにせよ、可視的な唯一神であるならば、その姿に関する共通認識が人類の所有物となっているはずだ。既に十分な時間があったように思うのだが、まだ足りないのだろうか、合意の形成には。もっとも、現代の世界を見渡して、そのような合意の形成への努力を続けている人間を私は知らない。人類はあきらめたのであろうか。飽きたというだけなのか。忘れてしまったのか。それとも神の方がどこかへ行ってしまったのか。初めからいやしなかったのか。


不可視の神がそこにいるのだとすれば、その存在をどのように人類は知りうるのか。
姿はなくとも声はする、ということなのか。
しかし、これは難しいぞ。
声だけで、人物を特定することは簡単なことではないではないか。似たような声の持ち主は多く存在し、その口癖や話のスピード感、話の内容、そしてその姿によって、やっと話者の特定は可能となるのである。
その声が神のものであるのかどうか、声だけでどのように確定出来るのか。
聴覚的認識の対象で神があるということがはらむ難問である。それに、第一、何語で神は話すのであろうか。
それが唯一神であり、特定の民族神ではなく人類に普遍的な神なのだとすれば、特定の言語で神が話すというのは、どこか想定としてはおかしい。もっとも、相手に合わせ、神は言語を使い分けているという説明は可能であるが。

声はしないけど、頭の中には聞こえるのか? 
電波?宇宙人の声?
聞こえるという人を知らないわけではないが、本当に神の声?


Binder: いぢわる、あるいは神の姿(日記数:1266/全体に公開)
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最新コメント

  • Comment : 1
    あつこ
    あつこさん
     2006/12/05 01:01
    言葉に ついては、バベルの 塔 を つくる 前。。。皆同じ言葉を 話して いた とか。。。
    あるいは、聖霊降臨の ところに 書いては あります けれど。。。
    皆それぞれ 違う 言葉を、話して いたのにも かかわらず、理解できた
    とか。。。

  • Comment : 2
    かのこ
    かのこさん
     2006/12/05 01:15
    幼少期、私は・・・様々な‘異次元‘をみていたらしい・・・?幼少期、少女期・・・、そして沖縄時代。あの頃の私は、本能的な行動パターンと動物的感の塊の様な時代を通り越して、いつも声なき声・・・、透明な大気中に浮遊する・・・原子の塊に自分の魂を乗せていた。   何とか、そんな・・・場所から逃れたくて様々な隠れ場所を作ってはみても、自分の与えられた‘居場所‘からは・・・、決して逃れられず苦しみ続けたけれど・・・、時と供に少しずつ・・薄らいでゆき・・、気づくと、自分の与えられた道の端を歩いている私が居た。      世界には、人が未だ想像もし得ないような、世界が、今も・・・この宇宙の何処かの空間で、私たちの知らない言葉で・・・発信し続けているのかもしれない・・・。                      私たちの生きる、この世界に動、植、鉱物、水や光や空気・・・多くの謎解きの時間が与えられている訳は、私たち人類に課せられたことのような気がするのです・・・。                   様々な物事に遭遇してきた私は、その、能力が中途半端であったが故に・・・、多くの苦しみも同時に持たされることとなった。        逃げることしか出来ずに、長い時間を無駄に浪費するばかりでした。人間と会話する事が辛くて・・・物や大気や反応のこだましないものたちとの会話ばかりに、のめり込むようになり・・・。        そして、あるひ、突然のように・・・現実世界を再び、認識しはじめたのです!それからの、長い長い時間の果てに今の私の土台となる石を発見したのです!                        それは、まだ、苔だらけで・・・ちっとも綺麗ではないけれど・・・。                             けれど、唯一ついえる事は・・・もう、二度と・・・中途半端な、存在としての、もう一人の‘私‘は欲しくはない・・・。幻聴や幻覚・・・だったら、お医者様が治してくれるものであったと、思えるのだけれど・・・。今日は、余計なお喋りをしてしまいました・・・。お許しください。

  • Comment : 3
    s06007
    s06007さん
     2006/12/05 08:28
     これ、「神」や「宗教」批判として読むと強烈な様に思います。神が本当にいるのか、信じている人にこの疑問を突きつけるとおかしな答えしかたぶん出てこないのではないでしょうか。
     神様はいるかもしれませんが、絶対我々人間(あるいは全生物かもしれませんが)ではわからない様にしている気がします。

  • Comment : 4
    まみちゃーな
     2006/12/05 09:59
    何しろ、神はロゴスですから・・・。でもそのロゴスって何語だったんでしょう?

  • Comment : 5
    あつこ
    あつこさん
     2006/12/05 20:54
    ロゴス は、ギリシャ語です。聖書の70人訳が、始めに できましたので、今使われて いる 聖書は、聖ジェローム が、ヘブライ語から
    ラテン語に翻訳 したもので、ヘブライカ が 定本に なって います。
    他の 文献ですと、アポクリフ 所謂 、外典 と いうものが、存在していますが。。。この お話は、また そのうち。。。

    はじめに 言葉 ありき、言葉は、神で あった。
    この 言葉 が、ようするに ロゴスを 日本語に 訳した 部分です。

  • Comment : 6
    まみちゃーな
     2006/12/05 21:09
    あ、言葉が足りませんでした・・・。
    ロゴスという単語が何語かではなくて、神のロゴスが何語だったのかな?と思ったんです。
    失礼しました〜。

  • Comment : 7
    umasica :桜里
     2006/12/05 23:19
    皆様、コメントありがとうございました。

    なんだか、皆さんのコメントの上に、12月5日の日記が出来上がった感じです。

    「聞こえる言葉」とでもいうイメージからの展開、ってところでしょうか。

    宗教批判とか、神が実在するかどうかという問いのあり方ではなくて(わかりようのないことですからね)、神が存在するとすれば、どのような形で存在するのだろうか、というところから、「非神学的に」神を考えているわけです。
    あるいは、哲学世界で、認識論とか存在論とか名付けられる領域の問題を、神をダシにして(?…罰当たりな話ですかね)考えてみているというところでしょうか。
    以前のコメントにも書きましたが、こんなことは2000年前のインド人がとっくに論じ尽くしたテーマという印象も持っていますが、21世紀に生きる私が、今の言葉で考えたって、オレの勝手でしょ、くらいのところでやっております。

  • Comment : 8
    bon
    bonさん
     2006/12/06 00:04
    不可視の神........不可知の知!

  • Comment : 9
    あつこ
    あつこさん
     2006/12/06 00:11
    コメント6 の 方へ、当時書きあらわせた、単純に、聞いた 人の
    使う 言葉に 対応 して いる はず です。旧約は、ヘブライ語 で
    コーランは、マホメッド が、神から 直接 伝えられた。と いう
    事で、アダム の 使った 神の 言葉に 違いない とされ、多くの
    アラビア語の 研究者が、辞書、文法を 調べ ました。
    聞いた、あるいは、聞いたかも 知れない その人 の 言葉に 対応
    出来なければ、無意味 でしょう?全ての 言葉に 対応する と
    考えても 良い はずです。私も どちらか と 言うと、哲学的な
    アプローチ に なる かと 思います。。。

  • Comment : 10
    まみちゃーな
     2006/12/06 00:31
    あつこさんへ
    いえいえ、そういう意味じゃなくて・・・。
    天地創造の際のロゴスです。

  • Comment : 11
    あつこ
    あつこさん
     2006/12/06 00:47
    ああ そういう 事ですか、聞く 人や 者 の 存在が なければ、
    言葉の 必要性は、皆無 です。ロゴス そのもの が、人の話す
    言葉と いう 意味ですし。あるいは、意味とか 理由とか思想に
    ついて 考えたい と そういう 事ですか?

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