9月も一週間が過ぎてしまいました。
気付いてみれば、あと二週間で、ここに日記を書き始めてから一年となります。
神の姿シリーズも、山田太郎氏登場以来、ますますワケノワカラナイ展開となりつつあり、二週間後にどうなっているのか、まったく予想もつきません。
まぁ、あくまでも私の、平日の夜のお楽しみでございます。
このところ、金欠更新中で、出かけることもままならず(まぁ、暑さという大敵もありましたし)、美術館もギャラリーも、展覧会とご無沙汰なのが寂しいところですね。
涼しくなることと、財布が少しは重くなることを願うとしましょう。
この5月辺りから、仕事のパターンが変り、帰りが遅くなってしまったもので、なかなか皆さんの日記を読む時間の余裕がなくなってしまい、失礼を重ねております。
自分の日記を書いて、もう少し余力があればと思うのですが、まだ非力ですね。まぁ、慣れれば、時間の作り方も上達するかも知れません(あまり期待出来そうもありませんが)。
仕事の合間なんかを利用しての読書時間は、逆に以前より確保出来るようになりましたから、日記の内容もこれまで以上に充実させることが出来るでしょう、理論的には。「理論的には」としか言えないところが悲しいところですが…
そういえば、先週の台風襲来時には、我が家の生垣のピラカンサが、雨と風で道路側に倒れ掛かり、嵐の中、枝落としに励むハメになりました。
朝6時過ぎに起きて、外へ様子を見に行ったところ、道路を塞ぐところまではいってませんでしたが、放置することも出来ない状態でした。
2メートルほどの高さに切りそろえているのですが、この夏、剪定をサボっているうちに、さらに2メートル近く枝が伸びてしまっていて、台風シーズンまでには何とかしなければと思っているうちに、台風直撃となってしまったわけです。
しかし、普段なら脚立なしには届かない、高く上に伸びた枝が、風雨にあおられたせいで手の届く状態になり、何とか必要な枝を落とすことは出来ました。
しかし、相手はピラカンサ、トゲで傷だらけとなってしまいました。
昨日の「難民として生きること」についてですが、私の娘が生まれた時に、私の母は80歳(私は母が40代で生んだ子供でしたので)。
赤ん坊と老人がいる状況での「難民」の姿。
想像するだに苦しい状況だと思いました。
難民となるのは、民間人、市民です。自分達を守るべき軍隊が、自分達市民を守ることが出来なくなったが故に、難民として故郷を離れなければならなくなるわけですね。
記録映画として保存された過去の戦争における難民の歴史的映像の数々に加えて、現在のニュース映像の背後にも、乳飲み子を抱えた母親や、歩くことも困難な老人を支える家族の姿が、必ず、写っています。
娘が生まれた90年代には、旧ユーゴスラビアが内戦状態に陥り、独立した各民族国家から排除された、異民族としての避難民の姿を、日常的に見ることになりました。
そこに映し出されているのは、スペイン戦争や、第二次世界大戦の記録フィルムに見ていたのと変らぬ映像です。
逃げることしか出来ぬ人々の姿。
そしてまた、難民生活の終りは誰にも保障されていません。占領が続く限り、難民として暮らさざるを得ないのです。
実際、パレスチナ難民は、イスラエル建国以来、祖国となるべき土地、故郷の地を奪われたまま、60年近い日々を「難民」として過ごすことを強いられています。
そのような姿がテレビ画面に映し出される度に、老人と赤ん坊という、我が家族の組み合わせを思わずにはいられませんでした。
私はこの家族を、どこまで守りきることが出来るだろうか、と。
もちろん、そんな日々が訪れない方がいいに決まってます。しかし、望んで難民生活をしている家族もどこにもいないでしょう。
戦争が、私たちに何をもたらすのか。
様々なことが言えるかと思いますが、「難民」という視点もまた、忘れられてはならないように思っています。







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僕は文章で表現するのが苦手なので、
桜里さんの日記を読むと心のわだかまりが
整理できます。
ありがとうございます。 ヒデ 拝