昨日は、武蔵野美術大学の美術資料図書館で開かれている、展覧会「世界の表象 オットー・ノイラートとその時代」に関連して催されたシンポジウムを聴きに行って来た。
といっても、オットー・ノイラートが何者であるのか、ご存知の方は少ないと思う。実際、私も知らなかったのである。
しかし、統計データに添えて、例えば全国の都市の人口なら、地図上に人の形の大きさでそれぞれの都市の人口を示す手法には、なじみ深いものがあるだろう。牛乳生産量なら、牛の数、あるいは牛乳瓶の本数により、生産量そのものも各地方の生産量の比率も一目で理解されるような図。
あの、今では当たり前になっている手法の生みの親が、オットー・ノイラートなのである。
アイコンのデザインや、ビルの中の様々な絵文字の類(トイレの場所とかエレベーターの場所とかを表示する)もまた、オットー・ノイラートのアイディア抜きには、現在のような形では存在しなかった、というように考えることが出来る人物、なのだ。
ただし、彼自身はデザイナーではなく、彼のアイディアの実現には、版画家でもあったゲルト・アルンツの存在もまた欠かすことが出来ない。
アルンツにより、あのミニマムな形象がデザインされ、それが継承されることにより、現在では、まさに比喩以上に「絵文字」として流通している様々なヴァリエーションに出会うことが出来るようになっているのである。
ノイラート自身は、戦間期に、当初はウィーン、後には亡命先のオランダそしてイギリスで活動した、思想家であり運動家であり…と様々な肩書きで語られる人物である。
労働者階級に世界を理解させること、それが彼の課題のひとつであった。
統計データによる世界理解。その手段としての展覧会。
統計データが視覚的に理解出来ることが、そこでは望まれる。
数字の羅列、あるいは文章による説明では、労働者階級に様々な統計データを通して世界を理解させるという目標には到達出来ないだろう。
そこで、統計データの視覚化が課題として浮上する。
そこに版画家アルンツの手法が生きて来るのである。
版画家としての作品の特徴は、表情を欠いた人物の姿である。シンプルな白と黒の世界に住むシンプルに表現された人物達。抽象化されていながら(それが表情を欠いた姿に映る)、具体的に(それぞれに服装などを通して)どのような階層や職業の人間であるかが理解出来る表現。
その版画表現が、ノイラートの目的にマッチしていたということになる。
その手法を、当初はウィーンメソッドと呼び、亡命後はアイソタイプと名付けた。
その手法は、現在の私達にもありふれたものとして目に触れるように、戦間期の世界でも既に広がりを見せていた。
ナチスドイツの経済政策の啓蒙書、ソビエト連邦のプロパガンダ、ニューディールの宣伝出版物にも取り入れられていたのである。
世界を視覚的に理解させること、それを政治が国民に要求する時、欠かすことの出来ない手法となっていったわけだ。
私にとって興味深いことは、ノイラート達の焦点の一つは、インターナショナルな表現の可能性の追求にあったように見えることだ。
つまり、20世紀の人間が見れば、それが男性であるか女性であるか、トラクターの生産量であるのか自家用車の生産量であるのか、一瞥して理解される表現であったということである。国境を越えても流通しうる視覚表現(絵文字)としてのアイソタイプというわけだ。
まず、近代化された世界、近代化されつつある世界というものを考えた時に、国民の登場という歴史上の出来事を理解しておくべきだろう。
国家の主権者としての国民の登場である。つまり、エリートのみが国政に参与する体制である限り、世界理解、統計データの理解をも含む世界理解は、エリート集団内での必要事であったに過ぎない。被支配者としてのマジョリティーには縁のない世界であったのである。
そのマジョリティーが国民として編成し直されるのが、近代化と呼ばれる過程での出来事である。マジョリティー(現実には階級としての労働者達)にも、世界理解、統計データの理解をも含む世界理解が必要事となっていくのである。
その課題を前にして、生み出されたのが、ノイラート達によるウィーンメソッドでありアイソタイプであった、ということになる。そして、ここでは詳しく触れられないがポール・オトレと共に目指した「世界博物館」への活動の重要性も忘れられてはならないだろう。
これはノイラート達が、労働者階級の利益の側で活動したということをも意味するものだ。
先に興味深いと言ったのは、第一次世界大戦後のその時代は、同時にナショナリズムの時代でもあったということである。
民族自決原則の下に、中部ヨーロッパには多くの国家が誕生している。
国民の登場、労働者達マジョリティーの国政への関与の開始時期と、民族国家の登場は重なっているのである。
その時代の渦中で、インターナショナリズムを掲げたノイラート達の姿、その活動は、ナショナリズムとの対決を迫られざるを得ない。
やがて世界はナショナリズムそのものの表現である第二次世界大戦へと突入し、ウィーンからの亡命先であったオランダもドイツ軍の侵略の対象となり、ノイラートは再び亡命せざるを得なくなるのである。
ナショナリズムの現実との対決は、インターナショナリズムの必要性という信念をより強くさせたに違いない。
そのような意味で、まさに時代の生んだ表現、時代の必要とした表現として、「世界の視覚化」が位置付けられるだろう。インターナショナルな表現、規格化された表現の試みとしてのウィーンメソッドでありアイソタイプであった。
その実物資料の数々に出会うことが出来るのが今回の展覧会である。
展示の構成自体が、ノイラート達の展示理念の再現ともなっており、見事なものであった。























絵文字入力パレット



※入力欄では、コード文字で表示されます。





見に行かれなくて 残念です。
でも 桜里様の 文章で、すっかり
イメージ化できました。