クドァ=ラナイにおける「モモとアロー」伝承について
クドァ=ラナイ島東部海岸に居住する、キビツー族の伝承についての報告は、殆ど知られていないのが現状である。
これまでのところ、今は失われた、ハイアイアイのダーウィン研究所の付属施設であった、ハイアイアイ考古研究室の紀要(4巻38ページ)に記された、ウマシーカによる1957年の報告のみが入手可能な状態である。
ウマシーカ及びハイアイアイ考古研究室とクドァ=ラナイのキビツー族との関係について付言しておく必要があるだろう。
キビツー伝承によれば、キビツーの故郷は、ハイアイアイ群島のハイダダイフィ島とされている。その情報により組織された予備調査に際し採集されたのが、上記報告にあるものである。
残念ながら、本調査を前にして、研究室も島と運命を共にしてしまったため、いまだに研究の進展はないのが実情である。
キビツーとハイダダイフィのフーアカ=ハッチ(フアハ=ハチ)族との系統関係についても、フーアカ=ハッチの人類学的研究の進展が望めなくなってしまった今となっては、不明のままに残されている。
ただし、クドァ=ラナイの東海岸から望むことの出来る高峰に、ハイダダイフィの主峰である、シャウアヌーンダとほぼ同じ「シャウヌーンダ」の名が付けられているなど、実際の関係を窺わせる事実も報告されている。
特に、キビツーの守護神として祀られているモースタダの彫像を見ると、ハイアイアイのナキハナムカデの形態的特徴をそこに見出すことが出来るなど、ハイアイアイとクドァ=ラナイとの関係を否定し難い側面を無視することは出来ないだろう。
さて、表題の「モモとアロー」伝承について、検討することとしよう。
モモとアローという名の少年が、クドァ=ラナイの海岸に漂着したのを老夫婦が発見するところから、物語は始まる。
伝承によれば、モモとアローは、ピンク色の大きな果実を船としていたことになっている。
二人は老夫婦に育てられ、やがて成人する。
クドァ=ラナイの東方海上の島に、ウォニと名乗る怪物の棲むことを聞いた二人は、闘いを挑むことを決意する。
鳥と犬と猿と共に、島に渡った二人は、苦闘の末、ウォニの平定に成功する。ウォニの地から、様々な略奪物を持ち帰り、育ててもらった老夫婦へのお礼とした。
これが、ウマシーカによる報告の概略である。
ウマシーカによれば、モモとアローを主人公にした伝承には別伝もあり、それによれば、モモとアロー自身のそもそもの出自がウォニ族であったことになっているという。
ギリシア悲劇を髣髴とさせる伝承のように思われるが、ウマシーカによる報告では、それ以上の詳細は明らかになっていない。
我々にとって興味深いのは、言うまでもなく、モモとアローという主人公の名であり、それが異族の征服をし、功名を上げるという説話の構造であろう。
誰もが、「桃太郎」説話との関連を考えずにはいられないのではないだろうか。
興味深いことには、鳥の名はキジュイ、犬の名はイヌゥ、猿の名がサーアッルであったとされているところだろう。
キビツー文化と日本文化の関連は今後の研究課題として魅力的である。
報告によれば、食事の際には、キビツーは二本の木の枝を削ったものを使用し、食物を挟んで口へ運ぶのだという。
また、食事の際に欠かせないとされる発酵性アルコール飲料を「スァーケ」と呼んでいるという。
研究の進展により、これらの関連性の真相が明らかになることを期待したいところである。
ウマシーカの示唆によれば、日本文化の起源としてのキビツーという可能性と共に、日本人漂着民のもたらした文化として、それらの事実を解釈することが出来るのではないかということだ。
いずれにせよ、今後の課題として、豊かな成果が期待出来ることを確認しておきたい。
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ということで、本日の日記はポエムです。
ハラルト・シュテュンプケ『鼻行類』を参考文献として、最後にご紹介して、本日の日記を閉じることにします。
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