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実は「東京裁判史観」を披瀝している田母神氏の謎

2008/11/11 21:52

今日も、300万円の稼ぎ方のお勉強を続けようと思う。



田母神氏の例の「論文」(http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)中には、



 我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932年1月には3千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、1945年の終戦時には5千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。


という言葉がある。



ここには、大変に由々しき主張が隠されているのであるが、その問題性を指摘する前に、まず、数字のレトリックから検討の対象としよう。


 満州帝國は、成立当初の1932年1月には3千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、1945年の終戦時には5千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。


と、田母神氏は主張するのだが、田母神氏による人口統計の引用には仕掛けがある。

満洲の人口増加について考えるのであれば、1932年〜1945年のデータのみをもって、何かの結論を出すべきではないだろう。

1908年〜1931年のデータと比較してみよう。


『ウィキペディア』によれば、


 1908年の時点で、満洲の人口は1583万人だったが、満洲国建国前の1931年

 には3000万人近く増加して4300万人になっていた。

  (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%9B%BD


ということである。つまり、「農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野に」、1908年から1931年までの23年間で、3000万人の人口増加がみられたということなのである。満洲国成立以前の満洲では、既に毎年130万人以上の人口が増え続けていたのである。

であるとすれば、


 満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かっ

 たからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけ

 がない。


という田母神氏の主張は、実際には、成立しない。


もっとも、満洲の人口をめぐる私の知識は、『ウィキペディア』の記述以上のものではない。上記の指摘の妥当性は、現在の私には、本当のところ、わからないと言わざるを得ない。

しかし、当の田母神氏ご自身も、満洲の人口問題について、私以上の知識の持ち合わせがあるとは思えない(「論文」と称するにもかかわらず、典拠も示されていないくらいだから)。


満洲に関しての記述に続く、


 朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約

 2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。


という主張に関しても、水野直樹氏によれば、朝鮮半島の人口データに関しては、「1925年に簡易国勢調査が朝鮮でも行われたため、それ以降は正確度の高い数字を得ることができることになった」ということになる。つまり1925年以前の人口データの信頼性には、研究者により、疑問が付されているのである。

もちろん、朝鮮半島の人口動態に関しては、私はまったくの門外漢であり、水野氏の主張の当否は判断出来ない。
しかし、田母神氏ご自身が、私以上に、その問題に関し知識をお持ちとも思えない。


 朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約

 2倍に増えている


という田母神氏の記述の信頼性は、相当に低いと言わざるを得ないのである。



つまるところ、都合よく解釈した人口データを根拠とした田母神氏の、


 戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって

 破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努

 力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格

 段に向上したのである。


という主張からは、説得力は失われてしまうわけだ。





さて、ここからが本論である。



田母神氏の「論文」のモチーフは何かと問われれば、一言で言えば、「東京裁判史観」からの、「大日本帝國の擁護」ということだろう。



しかし、田母神氏の主張である、


 我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。

 当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみ

 である。

 我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。


という記述は、まさに「東京裁判史観」に立脚したものと言わざるを得ないのである。


満洲事変後の満洲の取り扱いにおいて、大日本帝國政府は、満洲国の「建国」という道を選択している。田母神氏には、その意味がまったく理解出来ていないらしい。

あくまでも、満洲国は独立国家なのである。まぁ、確かに、満洲国の「独立」など名目上のものに過ぎない。実態としては、確かに大日本帝國の「植民地」であったと言えるだろう。

しかし、それを言っちゃぁ、大日本帝國政府の立つ瀬がないのである。


手元にある、靖国神社・遊就館の図録(わが愛読書である)の[満洲事変]のページの「国際連盟脱退」の項には、


 国際世論には、民族自決の精神に基づく満洲民族の国家承認という観点は 

 なかった。


という説明文がある。

大日本帝國政府の公式見解を尊重するなら、満洲国とは、あくまでも「民族自決の精神に基づく満洲民族の国家」でなくてはならないのである。


 当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみ

 である。

 我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。


というような田母神氏の記述は言語道断と言わねばなるまい。

満洲をめぐって「植民地」などと記述することは、まさに「東京裁判史観」そのものではないか。

とんでもない話なのである。




…という、実に何とも重要な問題に、当の田母神氏はおろか、審査委員の皆さんも、賞のスポンサーも、田母神氏を称揚する「東京裁判史観」批判者の皆さんも、一向に気付いていらっしゃらないらしいのである。


「天下の奇観」というのは、このような光景のための言葉ではないだろうか?





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