狸は鼬、鼬は狸
〔鼬〕 イウ
いたち。體長一尺許、色赤褐或は黄。四肢短小で敏捷。蛇・鼠などを食い、また人家を窺つて雛を盗む。
『修訂 増補 詳解漢和大辞典』 冨山房 昭和29年
成り行きで、今夜は「鼬」で始まる。
大辞典の「鼠部」に収録されている語だ。
狸や猫、狢は、「犬部」である。猫も「犬部」だったりするわけだ。
ちなみに、
〔犬〕 ケン
いぬ(狗)。〇家に畜ふ獣の一。(一説に犬は大いぬ。狗は小いぬ)。〇(國訓)卑劣な物事に冠して用いる。「−侍。−死。」
というのが「犬」の正体(?)だ。
漢字の構成から考える限り、狸と猫・狢の距離は近く、狸と鼬との距離は遠い。
まぁ、漢字に込められているのは、昔々の中国人の世界観であり、現代の日本人がそんなものに拘束される必要はない、と言ってしまうことも出来る。
けど、まぁ、本来ドーデモイイことをネタに書いているだけの話なので、ドーデモイイ話ではある。
猫的には猫が「鼠部」の漢字であったら、どこか都合の悪さを感じてしまうに違いない。しかし、「犬部」というのにも納得が行き難いところはある。
犬も鼠も独立しているのに、なぜ猫は「犬部」で、狸と紛らわしいのか?
昔々の中国人の世界観には、やはり、納得し難いところがある。けど、まぁ、正直なところドーデモイイ話だ。
しかし、そのドーデモイイ話を続けてしまう。
「たぬき男いたち男」を漢字で書けば「狸男鼬男」である。「犬部」と「鼠部」が合体しているわけだ。「犬部」と「鼠部」で統一的な人格を維持するのは、さぞや大変なことだろう、という気がしないでもない。いや、「犬部」同士でも、猫と狸の統一的人格ってのは、その維持に苦労しそうである。猫と狢はイケるかも知れないけれど、どんなものだろうか?
話を戻そう。
狸は鼬、鼬は狸
鼬は狸、狸は鼬
これが問題だったわけだ。
現実と非現実。その境は、はたして何処に有るのでしょう。私は、決して終る事の無い「リスの檻」の中に閉じ込められた間々、ひたすら無意味な回転を続けています。現実が隠している、もう一つの現実。けして誰も知る事のない、私だけの時空間。そこに「神」は存在します。「舞え舞え カタツムリ 舞わぬものならば・・・」 私は始めから、答えの無い問いかけに脅かされています。「神」は何を要求しているのでしょう。私が追えば「神」は逃げ、私が逃げれば「神」は追って来ます。私はもう、すっかり疲れ果てて仕舞いました。この際限の無いイタチ遊びから「いたち男」は産まれました。タヌキは背中の薪に火を点けられ、唯オロオロするばかり。 間抜けの「たぬき男」は、まさに私そのものです。そんな訳で「たぬき男いたち男」は世に現れました。
…というのが、かつての「狸男鼬男」ならぬ「たぬき男いたち男さんのプロフィール」として書かれていたことだ。「たぬき男いたち男」誕生の秘密(?)である。
しかし、ところで、話は変るが、昨日の日記に、そのたぬき男いたち男氏からのコメントがあったのだが、
「狸」の肉料理は「牡丹鍋」に次いで「高級料理」の典型だヨ。
「皆さん」是非とも、召し上がって下さいな。ウマイですぞぉ!
精力絶倫男になりたい方は「ユンケル帝王液」を飲む前に先ず、
こちらをお勧めして置きます。効果百倍にして経済的負担なし。
間違いなく「女」も泡を吹いて喜ぶってモンですぜ。旦那サン。
…なんて書いてあるのだった。
「狸」と「猥」もまた、よく似ているのである。
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