「フィンランドで「救国の戦犯」に光」というタイトルの記事が、産経新聞から配信されていた(→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090323-00000607-san-int)。
3月23日付、22時2分ということなので、紙面としては24日付になってるのかも知れない。
実は昨夜、「現代史のトラウマ」のアクセス・ログの検索語をチェックしていたら、「フィンランド」や、かつての戦時の大統領名「リュティ」によるものがあった(例えば→ http://www.google.co.jp/search?hl=ja&safe=off&q=%E3%82%BD%E9%80%A3%E3%80%80%E3%
83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%80%80%E4%B8%8D%E5%8F%AF%E4%BE%B5%E6%9D%A1
%E7%B4%84%E3%80%80%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%86%E3%82%A3&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=)。検索元にアクセスしてみたら、上記の記事があったわけだ。
検索を頼りに、周辺の話題を読むと、かつての戦犯の復権という文脈から、「東京裁判史観批判」にご執心の田母神一族(?)が盛り上がっているのが見て取れた。
私自身、「フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛」シリーズを書いた身である(→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/cat33391329/index.html)。盛り上がる人々に対し、ひとこと言っておきたい。
その前に、上記の記事を読むと、紹介されているテュートラ博士によるリュティの伝記の出版年は1994年となっており、「復権」の動き自体は新しいもの(つまり「ニュース」)ではない。そもそもが、1956年のリュティの死に際し、その葬儀は「国葬」として執り行われているのである。フィンランド国内におけるリュティの評価がまったく低かったわけではない、ということになるだろう。ただし、対ソ関係の上での配慮も必要であったのである。
そういう意味では、まさに冷戦後の世界が、伝記出版を可能にしたわけだ。
上記の記事が、現在のニュースとして書かれる理由があるとすれば、2009年が、「冬戦争」から70周年に当たるということにあるだろう。
記事自体にあるように、リスト・リュティは、対ソ戦争時におけるフィンランドの政治指導者であった(首相、そして大統領)。
「冬戦争」および「継続戦争」という、2度のソ連を相手にした戦争は、どちらもソ連による都市無差別爆撃によって開始されているものだ。あくまでも攻撃側はソ連であり、フィンランドは被侵略国なのである。
「冬戦争」時には、ソ連はナチス・ドイツの同盟国であり、共にポーランドを侵略・分割しており、フィンランド攻撃の結果として、ソ連は「国際連盟」を除名されている。
「冬戦争」終結後のフィンランドにとり、ソ連の脅威に対する軍事的援助の確保は依然として重要事であった。その時点でそれが可能なのはナチス・ドイツであった。そして、実際にフィンランドは、ナチス・ドイツからの軍事援助を確保するのである。
しかし、1941年6月22日、ナチス・ドイツはソ連への侵攻を開始する。結果として、ソ連は連合国側の一員となり、フィンランドは枢軸国側に組み入れられてしまうことになる。
そして戦後世界においては、フィンランドが国際連合の敵国条項の適用対象とされ、リュティが戦争犯罪人として取り扱われることになるのである。そもそもが、フィンランドを主語にして事態を考えれば、不当な話なのである。
その間の詳細は、「フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛」をお読みいただきたい。
いずれにしても、政治指導者としてのリュティの努力はフィンランドの独立の維持に注がれており、その努力は実ったのである。
フィンランドは、ソ連による軍事侵略の撃退に成功したし、ナチス・ドイツの占領下にもならなかった。後にワルシャワ条約機構に組み込まれることになる東欧諸国にとり、ソ連がナチス・ドイツからの「解放者」であったのに比し、ソ連との休戦後の対独戦争(ラップランド戦争と呼ばれる)をフィンランドは独力で闘い抜いた。
その過程の背後に存在したのが、軍事的指導者としてのマンネルハイムであり、政治指導者としてのリュティであったのである。
「産経新聞」の記事にあるように(ここを田母神一族の人々には見落として欲しくないのだが)、戦後の「戦犯裁判」はあくまでもフィンランドの国内法(臨時立法によるものではあるが)によるものであった。「東京裁判」とは、まったく性格が異なるのである。もちろん、その背後には、戦勝国であり軍事大国であるソ連の存在がある。リュティの「戦犯」認定は、あくまでも軍事大国に隣接する小国家という条件の下での政治的なものなのであり、フィンランド人自身にとってのリュティ評価は、その死に際しての「国葬」という待遇に現れていると考えるべきだろう。
記事中にある、
テュートラ博士は「継続戦争の開戦、ナチスとの取引、戦争責任裁判、服役の
すべてがリュティにとり祖国への献身だった。ロシアで権威主義が台頭する
中、わが国にとり彼の生きようを検証することはさらに重みを増してくる」と語っ
ている。
という言葉の背後には、独立の維持に大きな貢献をした政治家としてのリュティへの評価として、フィンランド人に共有された認識があるはずだ。
さて、「東京裁判」である。
被告を裁いたのは、日本ではない。日本人により、日本という国家により裁かれたのではない(そこがリュティとは異なる)。
「東京裁判」の「被告」は、連合国に対する責任を裁かれたのであって、大日本帝國に対する彼らの責任が裁かれたわけではない。
大日本帝國に対し、彼らに責任があるとすれば、亡国という事態を招いた政治的・軍事的指導の責任ではないだろうか? 大東亜戦争の結果、大日本帝國は、あるいは日本は、国家としての独立を失ったのである。
リュティのフィンランド国家・国民に対する功績は明らかである。リュティの存在により、フィンランドは困難な状況下での独立の維持を確保し得たのである。
「東京裁判」の被告はどうであろうか? 大日本帝國に訪れた「亡国」という事態は、彼らの「功績」なのだろうか?
もちろん、、彼らの責任は、日本国民により裁かれなければならない。
リスト・リュティ













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通常モードでの久しぶりの日記となった。
サブタイトルは、
「田母神一族の盛り上がりに水を差す愛国者の姿日記」??