『藤井フミヤ』

藤井 フミヤ(ふじい-、1962年7月11日 - )、血液型はA型。デビュー当初から


身長が低いことをネタにされていたが、現在は164cmまで伸びたと写真集で語っている。


福岡県久留米市出身。久留米市立南筑高等学校卒業。本名及び旧芸名は


藤井 郁弥(読み同じ)。弟は藤井尚之。国鉄』職員の父と美容師の母のもとに


第1子として出生。中学生の時、キャロルに出会い音楽を始める。久留米市立


南筑高等学校卒業後、国鉄門司鉄道管理局鳥栖駅で半年間の見習期間の後、


同早岐駅に配属。国鉄在職時は国鉄労働組合(国労)に所属し、国鉄改革時と


重なりパージの対象にされたと本人が後に語っている。国鉄退職後の1983年に


チェッカーズのリードボーカルとしてデビュー、数多くのヒットをとばした。歌唱力


のみならず外見や言動も注目され、彼の先進的なファッションを真似する若者


が増加した。また、オリジナル作品をシングルとして発売した以降の殆どの作詞


を担当。他のメンバーと共に楽曲製作の中心的存在となった。なお、チェッカーズが


デビューした頃は国鉄が国鉄分割民営化を控えた大変な時期だっただけに、


郁弥の大活躍は当時国鉄の金沢鉄道管理局管内に配属されていた現役車掌兼


シンガーソングライターで『ザ・トップテン』や『ザ・ベストテン』の常連であった、


伊藤敏博の活躍と共に、国鉄マンにとっては希望の星であった。1992年に


チェッカーズは解散、翌1993年から『藤井 郁弥』を『藤井 フミヤ』と改めソロ活動を


開始した。同年リリースした『TRUE LOVE』は、4週1位となり、200万枚を超える


セールスを記録した。1996年には、『Another Orion』が3年ぶりに1位となり90万枚を


超えるセールスを記録した。歌唱力を武器に歌手活動を行うかたわら、


『FUMIYART』名称で個展を開催したり、愛・地球博の名古屋市パビリオン


『大地の塔』をプロデュース(世界最大の万華鏡としてギネスブック認定)したりと、


幅広く活躍する。数多くのテレビドラマにも出演。楽曲提供では、猿岩石への


『白い雲のように』(作詞、作曲は弟の尚之)や、MISIAへの『星空の片隅で』


(作詞・作曲)などがある。地域への協力も数多く、出身地の福岡県久留米市へ


久留米市歌『ふるさとのささやき』の作曲、くるめ市民カードのデザイン提供、


FBS福岡放送のロゴマーク作成、母校久留米南筑高校の制服デザインなどがある。


また、地元福岡県のプロ野球球団福岡ソフトバンクホークスの応援歌『勝利の空へ』を


生で歌う為、毎年開幕頃(スケジュールによる)は試合観戦に福岡ヤフージャパン


ドームを訪れている。(もちろん敗戦してしまうと観戦だけである。)私生活では


1990年6月29日、長年交際していた女性(一般人)とフミヤの地元である久留米


水天宮にて結婚、フミヤと妻の間には息子・娘がひとりずついる。実弟尚之と、


兄弟でF-BLOODを結成し、時折活動している。ファッションと髪型には妥協を


一切許さない主義であり、非常にこだわった片燐を見せ付けている。尚之が


一時期長髪だったが、フミヤから「髪を切るな」と言われた事があり、3年間伸ば


したと言う逸話がある。1997年10月1日に鹿児島県初のコミュニティFMの鹿児島


シティエフエムの愛称である"FRIENDS FM 762"は藤井フミヤにより名付けられた。


藤井はジングルにも登場し「オレのFM、キミのFM、フレンズFM762(フレンズ


エフエム ななろくに)」とアナウンスしている、。そして取締役にも就任している。


元不良であったと、テレビ、雑誌等で語っている。だが、最近の若者はおとなし


そうな子でも、ナイフを持っていたりするから怖いと言っていたことがある。




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