ウチのおばあちゃんが先週の月曜日に亡くなったので、遺族ならそちらの方で目頭が熱くなるべきでしょうけど、元西鉄、阪神、大洋でプレーした「カトチャン」こと加藤博一さんが56才の若さで肺がんで亡くなった時の方が、目頭が熱くなりました。やはり、子供の頃からスポーツ観戦マニアだったからでしょうか?(苦笑)
加藤博一さんは、派手なプレー、すごい記録の持ち主ではない選手でしたが、底抜けに明るいキャラの選手でした。僕は博一さんがプレーしていた頃は、
ずっと巨人ファンでしたが、博一さんは憎めない選手でした。まあ、現役21年間もプレーしたのに、一度もリーグ優勝どころか、優勝争いに加われないBクラスのチームばかりでプレーしていたからかもしれません。(苦笑)
1990年に引退した後は、トークが上手だったのでフジ系の解説者となり、「プロ野球ニュース」のリポーターなどとして活躍しました。芸能界にも友人が多く、元阪神ということもあって、島田紳助、和田アキ子などの関西系の芸能人とよく一緒にテレビのバラエティにも出てました。
どの番組かは忘れたが、島田紳助とテレビに出た時に、こういう面白いやりとりがあった。
紳助「加藤博一選手、現役21年間で打ったホームランはなんと21本でした。せこいですね。1年間に1本という計算です」
博一「23本、23本だって。21本じゃないよ」
紳助「西武の清原は、ルーキーの年に31本でした。入団して4ヵ月後には、あんたの生涯記録を抜いたんでしょ?」
博一「だって、オレはホームランバッタじゃなくて、足が速いのが売りだったから」
紳助「博一選手の23本のホームランのうち、2本はランニングホームランでした」
博一(爆笑)
ここで博一が言っていたように、1983年に大洋に移籍してからは、高木豊、屋鋪とともに「スーパーカートリオ」を形成し、引退するまで足で相手を揺さぶり続けた。大洋(今のベイスターズ)ファンならよく覚えていると思うが、博一のテーマソングは「蒲田行進曲」だった。
紳助は博一のことを世界の盗塁王、福本と比較して、
「世界の福本、町内の博一」
と茶化していた。でも、こういうふうに茶化されてもただ苦笑いして、
「だって、本当にそうだからね」
と笑っているような、滅多に怒ったことのない人だった。
映画「プロ野球を10倍楽しく見る方法パート2」では、横浜大洋とロッテオリオンズのオープン戦の時に、野球選手全員にマイクを付けるという面白い試みがあり、その時の博一のトークは面白かった。試合は、前半にロッテが猛攻で20点ほどを取ってしまい勝敗を決してしまうという、最高につまらない展開になったが、レフトを守っていた博一は、外野席にいる子供たちに、
「学校楽しいか?いじめられていないか?足し算出来るか?」
などと話しかけて、白けた試合を盛り上げようとした。
「プロ野球ニュース」の企画で博一の自宅を訪問して、子供たちと一緒に出演した時にもこんなやり取りがあった。
リポーター「現役時代のパパのプレー覚えている?」
2人の子供「パパは三振してばかりだった」
博一(苦笑い)
リポーター「現役時代、ホームラン何本打ったんでしたっけ?」
博一「えっとね、あれはね・・・、500・・・」
リポーター「そんなに打ってないでしょ」
博一(苦笑い)
現役の時の活躍よりも、引退した後のトークの方が印象に残っているが、21年もクビにならずにプレイ出来たのは、やはり何らかの魅力があったのだと思う。このことに関して、博一自身は、
「僕は、ただ、性格が明るくて要領がいいのだけが取柄だったから。あまり悩まずにプレーしていたからね。バカだから、悩んでもしょうがなかったのかな」
と苦笑いしながら言っていたことがあったと思う。
ただ、野球のようなチーム競技の場合、大洋の博一、巨人の中畑、日ハムの岩本、西武の石毛のような、明るく楽しいムードメーカーが必要なことは間違いない。酷い逆転負けをしても、
「まあ、今日は運が悪かっただけだ。明日、頑張ればいいんだよ。切り替えていこう」
と言える選手は必要だ。その点、僕が、今、応援している東北楽天にはそのようなムードメーカーが欠けていると思う。
加藤博一さんは、そろそろどこかのチームのコーチになりたがっていたようですが、結局、それが果たせないままに亡くなってしまいました。本当に心残りだったと思います。心からご冥福をお祈りします。合掌。
現役時代の加藤博一のプレー。ニコニコ動画より。5分ごろから加藤博一選手が出ます。



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残念です。
スポーツ選手は早いケースが多い様な気がします。