紳士の哲学 ~ 二次元と三次元の境界
―哲学とは、考える事を楽しむ学問である。古代ギリシアにおいては、あらゆる学問は哲学からの派生とみなされていた。要は、考えること、探求することは哲学なのである。
ではどうだろう、紳士にも哲学すべき事があるはずだ。普段のMLも言うなれば、一つの真理を追求するための対話、議論である。しかし、授業中というやや不自由な空間、限られた時間では議論の発展にも限界がある。そこで、日記という媒体を使い、授業中という枠では扱いきれそうに無い議論に対して、非常に知識は少ないが、意見を提示していきたい。ここに、"紳士の哲学"を、"紳士の紳士による紳士のための哲学"の開始を宣言する。
考えは文章化することで徐々にまとまっていく、そういう趣旨でつれづれなるままに書き進めていく。いわばレポートであり、不相応な表現だが、高尚な言い方をするならば論文である。
異論は認める、閉鎖的では議論に深みは生まれない。わざわざここに書き記すのもそのため、という部分が大きい。文章力の欠如、全く飾らない文章により多くの部分で読みにくくなるが、暇つぶし程度にでもなれば幸いである。真面目に不真面目に、ネタに本気で、そんなクオリティで、いざ哲学―
様々な議論はそれ単体では成り立たない。そのため多くのものを定義する必要がおのずと生じる。回りくどい表現だが、要は、基本的な内容から徐々に考察を深めていく必要があるということだ。ではまず何を考えるべきか。
基本的に紳士の会話に上るのは二次元の話である。紳士の哲学でも中心はそちらになるはずである。では、二次元と三次元の違いを再考するところから始めてみよう。因みに副題は、みんな大好き東方からババア八雲紫のスペル名を元ネタとして拝借。
先ず導入である。二次元と三次元の違いだが、次元が違うというのはまずその通りである。しかしそんなことを議論するのは政治家でも出来る。そんなのは、読み方が違います、とかそんなレベルの議論だ。紳士は格が違う、そんなレベルの議論に付き合ってる暇は無い、そうでしょう?
現在においての二次元、三次元という呼称は、厳密には次元の違いを示しているとは言えない。単純に次元の違いを示すのであれば、平面に存在すればそれを二次元のものと呼べるし、逆も然りである。しかし、これが現状の使われ方に即さないことは確定的に明らかである。
例えばフィギュア、これを三次元と呼ぶか、呼ぶこともあればそうでないこともある。つまり上記概念は不確定である。決定打を与えるならば、アイドルなどのポスターだ。さすがにこれを二次元とは呼ばないだろう。
しかし、基本的には次元が違うという点が根幹を成すのも事実である。上記のような例が問題になるのは、その対象の表現するものと媒体が違う次元となっている場合である。例えば、フィギュアなど二次元の立体化は、二次元という枠の中での立体化である。要は、次元というものが、ジャンル分けの意味と、本来的な意味とをどちらも内包してるが故といえる。
もう少し細かくまとめる。ジャンルというわけ方とは、その対象が表現しようとしているものがどちらに属するものかという話だ。ポスターでは、そこに描かれている(写されている)ものが表現しようとしているものである。それが二か三かという部分である。
次に本来的な意味とは、媒体が二か三かという点になる。フィギュアならば三、画像はニ、等となるのである。
実例に戻る。問題として提示した例はジャンル、本来的な意味とで次元が違う場合である。これらは2.5次元とでも表現すべきかもしれない。しかし一方で考慮すべきは、風潮として、ジャンルとしての次元分けの方がメインとされている点である。
私自身も上記考えを基に話は進めていきたい。3Dでもフィギュアでも、媒体を無視した部分で次元は決定する。
ではジャンルというわけ方という部分をもう少し深めたい。なんと無しに出てきたが、これはどういうことだろうか。私の考える二次元の特徴から定義づけをはかりたい。
二次元というのは我々の望む世界である。空想の世界ともいえる。こう表現したのは、自分の意思を反映して創造される人工物であるためである。しかしただの人工物と違うのは、人間が圧倒的上位の立場にいるという点である。我々が二次元の世界のものを支配し、好きに動かせるのだ。物理法則を無視させることだって出来る。そこはただの人工物との違いだろう。
これを現行の問題に適応して考える。二次元への児ポ法規制が提唱されている。しかし、我々の意思でいくらでも改変される世界、二次元に我々の世界のルールは完全には適応できない。「この作品の登場人物は全員18歳以上です」などは典型的な例である。故に、この法が恣意的な部分で行使される危険性を孕んでいると騒がれるのだ。
駆け足になってきたが、議論をそろそろ収束させたい。二次元の世界に行きたいという者をよく見かける。多くの人はこれを笑うが、これは二次元の定義からいくと何もおかしいことではない。二次元は、作成者が好きなように構築した、いわば理想郷であり、そこに憧れを抱くのは定義の段階から大いにありうることなのである。胸を張れ、紳士諸君、何も恥じることは無い!
二次は虹、三次は惨事である。混沌とした世の中、雨上がりに我々の眼前に現れる希望、それが虹(二次)である。一方で、忘れてはいけないのが、美しい虹だがそこに我々が届くことは無いのである・・・
第一幕 完
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