ジャッキー・チェン

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木原さん

俺は香港映画スター(一部)


2009/06/02 01:44   木原さん

かつて、高校のイベントの一つにイギリス研修がありました。ホームステイしながら現地の国際学校に通うのです。そこで、偶然同じクラスにいたコーネリアス君(ポーランドの方)がいいました。「君はジャッキーみたいだね」どうやら僕のことをジャッキー・チ…(全部読む

りょうたさん

今も昔も憧れの人


2009/05/13 22:54   りょうたさん

いつもより早めに帰ってテレビをつけたら映画「レッドブロンクス」をやってました。(ジャッキー・チェン主演の映画) ジャッキーがワイヤーアクションを導入した辺りから物悲しくなってしまうのでジャッキー映画から遠ざかっていましたが、一昔前のものは…(全部読む

中野区の司法書士西尾さん

キス・オブ・ザ・ドラゴン


2009/05/02 09:40   中野区の司法書士西尾さん

久々に映画を1本観ました。 リュック・ベンソン制作、ジェット・リー主演の「キス・オブ・ザ・ドラゴン」です。 キス・オブ・ザ・ドラゴン [DVD]/クレイグ・アームストロング ¥3,586 Amazon.co…(全部読む

いわしさん

急に、、、


2009/04/23 08:42   いわしさん

最近、映画の試写会が良く当たる。3月は東京ビックサイトでやったアニメ系の試写会。そして昨日、家に届いたのは24日金曜日夜の試写会。5月公開のジャッキー・チェンの試写会。新宿6時、、、、行けないことはないが。う〜〜〜〜〜む 悩むのう。。。(全部読む

HOSHIさん

振り回されない身体 ; D-LIVE!!


2009/04/22 22:23   HOSHIさん

午前中は研究関係で打ち合わせ,午後は大学院のカンファレンスだった。朝からとても熱かった。半袖で外出したのは,今年なって初めてかも。上着はちゃんと持って出ました。日中の気温が高い日でも梅雨入り頃までは,皆様も御忘れなく。 良い天気だった…(全部読む

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ジャッキー・チェンについて

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

ジャッキー・チェン成龍広東語:シン・ルン、北京語:チェン・ロン、1954年4月7日 - )は香港出身の映画俳優。身長173cm。血液型はAB型。 京劇中国武術で鍛えた身体能力を活かして、それまで暗い復讐劇が多かったカンフー・アクション映画の世界に、ハロルド・ロイドバスター・キートンなどのコメディ映画の要素を取り入れた、コミカルで明るい作風のカンフー映画を送り込み、一躍アジア圏で有名になる。その後ハリウッドにも進出し数多くの映画に主演。50歳を越えた現在でも自らアクションスタントをこなすことで知られる。代表作は『プロジェクトA』など多数。 妻は、台湾の元女優林鳳嬌(リン・フォンチアオ)。息子は同じく俳優の房祖名(ジェイシー・チャン)。初主演作『花都大戦/ツインズ・エフェクト2』で親子共演を果たしたが、同じ画面に収まることはなかった。 日本では、石丸博也がもっぱら吹き替えており、ジャッキーといえば、彼の声を連想するものも少なくない。 逆に、日本ではあまり知られていないが、中華圏ではスキャンダルや問題発言が多く、その言動が物議を醸すこともある。

経歴

幼少期・香港時代とブルース・リー

ジャッキー・チェンは1954年に香港・ビクトリアピークにて、「陳港生」として生まれた。ジャッキー・チェンの父親は、国共内戦により中国共産党の支配する一党独裁国家となった中華人民共和国を嫌って、中国大陸から香港に逃れた陳志平(チャールズ・チャン、家系図上では房道龍)である。母親は陳莉莉(リリー・チャン)である。(Charles and Lee-Lee Chan参照) 7歳から約10年間、中国戯劇学院にて京劇を学び、学院の閉鎖後、映画のエキストラやスタントマンを務めた。彼の生い立ちは、メイベル・チャン監督の『失われた龍の系譜 トレース・オブ・ア・ドラゴン』(2002年)に詳しく、ジャッキー本人も知らない兄弟の存在など複雑な家庭環境を持ったことが紹介され、本名は陳港生ではなく房仕龍であると明かされている。また、彼の青春時代については、同じくメイベル・チャンが製作総指揮・脚本を担当したアレックス・ロー監督『七小福』(1989年)で厳しい京劇の学校での生活と、最後に香港映画界へと進む姿が描かれている(ただしジャッキー・チェン本人は出演していない)。 無名時代、ブルース・リーの映画『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)では、門下生の中のエキストラや重要なスタントマンを務め、『燃えよドラゴン』(1973年)ではブルース・リー本人に首を折られるエキストラ役としても出演した。一旦オーストラリアに移住し、映画業界から離れるが、のちに香港へ戻り、映画会社ゴールデン・ハーベスト社と契約し、多数の映画に出演した。 当時の香港映画界は、ブルース・リーの夭折で低迷期にあり、ブルース・リーのそっくりさんを使った作品や、クオリティの低い二番煎じ的なカンフー映画が乱発されていた。ジャッキーも、初期作品ではブルースの後継者として期待され、シリアスな役まわりが与えられることが多かったが、大成功には至らなかった。そうした反省も踏まえ、ジャッキーは制作側に注文し、ストーリーやアクションにコミカルさを交え、自身のキャラを生かした作品を作ることを目指す。これが『スネーキーモンキー 蛇拳』(1978年)といったヒット作の誕生につながった。また、自ら命懸けのスタントをこなす姿勢も評価され、人気を得ていった。 一時期、批評家からの声に刺激され文芸路線を手がけたこともあったが、興行的な不振とファンからの要望を受け、再びエンターテイメント路線に復帰した。

ハリウッド進出

元々、ハリウッド進出の意欲は高く、『バトルクリーク・ブロー』、『キャノンボール』、『プロテクター』など米国作品に主演・出演してきたが、評価は高まらなかった。しかし、1995年公開の香港作品『レッド・ブロンクス』が全米興行収入初登場1位というアジア映画初の快挙を成し遂げ、再びハリウッドへの道が開けた。 そして1998年の『ラッシュアワー』の大ヒットで、ハリウッドスターとしての地位を築いた。このラッシュアワーシリーズの続編『ラッシュアワー2』は全世界興行成績で驚異的な大ヒットを記録する。その後『シャンハイ・ヌーン』『シャンハイ・ナイト』『タキシード』『80デイズ』など、立て続けにアメリカ映画作品に主演。アメリカを中心に世界各国での知名度が上がり、アカデミー賞のプレゼンターとしても登場するなど、世界を代表する東洋人ハリウッドスターとなった(だが逆に地元・香港をはじめとするアジア各国では、近年のジャッキー主演アメリカ映画はいずれも不入りをかこつという皮肉な結果となっている)。 2007年には日本の真田広之工藤夕貴も出演する『ラッシュアワー3』が公開され、公開週で全米No.1を獲得するヒットとなった。また、2008年4月(日本では同年7月)にはジェット・リーとの初共演作『ドラゴン・キングダム』が公開された。

日本での大ブレイク

1970年代の日本は、ブルース・リー映画の大ヒットの影響で、千葉真一志穂美悦子主演の空手やカンフーの映画が多数制作され、とくに東映は香港のカンフー映画の輸入に熱心だった。そんな中、1979年に東映のドル箱映画シリーズ『トラック野郎』との2本立てで公開された『ドランクモンキー 酔拳』が大ヒット、トラック野郎の恩恵も有り配給収入は約9億3000万円を記録。『トラック野郎』より『酔拳』が話題となり、続けて『スネーキーモンキー 蛇拳』『クレージーモンキー 笑拳』も公開され、日本でのジャッキーフィーバーが巻き起こった(しかし配給収入は『酔拳』の半分にも満たなかった)。また、『少林寺木人拳』や『蛇鶴八拳』なども話題を集めた。 その後『ロードショー』誌の「好きな俳優」投票において6年間連続1位を獲得するなど、1980年代の日本でのジャッキーフィーバーは凄まじく、当時の少年たちのスーパーアイドルであった。映画はテレビでも続々と放映され、とくに石丸博也吹き替えが、同じ東洋人であるだけに分かりやすく共感を呼び、好評を博した。いまだに「ジャッキーの声は石丸博也。字幕には馴染めない」という人は多いが、日本語の吹き替えに拒否反応を示す根強いファンも少なくない(以前、香港映画は、言語が広東語であっても、出演者本人の声ではなく、吹き替えの場合が多かったが、最近は、ジャッキーも含め、出演者本人の台詞を録音して使うことが主流となっている)。 1980年代には、『月刊コロコロコミック』にて、ジャッキーをパロディー化したキャラクター「ジャッキーちゃん」が主人公のギャグ漫画「あほ拳ジャッキー」(作・ぜんきよし)が連載された。ちなみに同作品にはブルース・リージェット・リーのパロディーキャラも登場している。 またゲームソフトにも多数登場している ジャッキー関連の初のゲーム化は1984年にアーケードゲームで登場した『スパルタンX_(ゲーム)』であるが、ゲーム自体は映画の内容とは関連性は無かった。しかし1985年に発売された、ファミコン用ソフトの『スパルタンX』のパッケージの絵はジャッキー似のキャラとなっている。 1991年には、PCエンジンファミコン用ソフトの「ジャッキーチェン」がハドソンから発売された。このゲームの発売当時のゲーム雑誌インタビューでは、ジャッキー自身のアイディアも一部ゲーム中に取り入れらてるとコメントしている。 1995年、日本のゲームメーカー、カネコが製作したアーケード用対戦型格闘ゲーム「カンフーマスター ジャッキー・チェン」に出演。このゲームのキャラクターはグラフィック画ではなく、実際の俳優を撮影し、画像を録り込んで使用していることから、ジャッキー本人がゲーム画面のキャプチャ撮影を行った。なおこのゲームにおいてジャッキーはプレイヤーキャラクターではなく、なんと最終ボスとして登場する敵役である。登場する服装は数パターンあり、クンフーの稽古着や『プロジェクトA』内で着装した警察の正装で戦う。 2005年には、家庭用体感ゲームの事業にも参加している。同年秋にゲーム事業のイベントで来日した際には、関係者から『スパルタンX』がゲーム化されていることを初めて聞き、無言で手を差し出す(権利料を払え、の意)という行為を行い、場が凍りつくハプニングがあった。直後にジャッキーは満面の笑みでジョークであることをアピールし、事なきを得た。 2006年西陣よりパチンコ機「CRジャッキー・チェン」、2007年には藤商事により「CRプロジェクトA」が製作された。 来日した際には日本のテレビ番組にもゲスト出演する事が多い。近年では、日本テレビの『ザ!鉄腕!DASH!!』でTOKIOのメンバーと数回にわたり様々なゲームで対決をしている他、テレビ朝日の『内村プロデュース』などにも出演している。 2007年秋には、上戸彩とともにオロナミンC大塚製薬)のCMに出演。 2008年4月に発売された、PS3用ソフト「プロ野球スピリッツ5」において東京ドームでプレイした際、外野後方にあるオロナミンCの看板に、ジャッキー・チェンが写っている。 現在でも日本での人気の高さは不動のものがある。しかし、仕事以外で日本に訪れることはまずなく、日本語はほとんど話せない。ただしメディアでは親日家として有名。来日の際、吉本新喜劇に出演したことがある。

その他の活動

俳優だけではなく、歌手としても活動している。1980年代には親友の西城秀樹と共に東洋の2大スーパースターと称された。陳淑樺(サラ・チェン)とのデュエット「明明白白我的心」は中華圏ではよく知られている。 日本での本格的歌手デビューは、五輪真弓による「マリアンヌ」でシングルレコードによる発売。 『ファースト・ミッション』(1985年)日本公開版では、オープニング、エンディングとも日本語のオリジナル曲(チャイナブルー、東京サタデーナイト)を本人が歌った。 現在、香港政府観光局観光大使を務め、2003年夏に行われた自身のファンクラブツアーで香港に来たファンを機内で自ら出迎える、というサービスも行っている。 韓国でも大変人気が高く、本人もたびたび韓国を訪れている。そのため韓国語も流暢に話すことができる。

今後の活動

以前は自分自身が中心であることへのこだわりを見せていたが、アクションスターとして第一線から退くことを示唆している。2000年代に入ってからは、若いスターの発掘やプロデュースに積極的に進出しており、最近の発言でも「次世代を育てることに力を入れていく」ことを明言している。近年は、事あるごとに引退を示唆する発言をしている。 …続きを読む

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