終戦記念日

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あずーるさん

今日は何の日?


2009/06/23 16:29   あずーるさん

終戦記念日は8月なのに、なぜ沖縄だけ 6月23日に慰霊をするんだろうと思っていたのだが、 今日は沖縄戦で日本軍の組織的な戦闘が 終わった日だそうだ。 下記は、「沖縄慰霊の日(6月23日)」より 一部転載 http…(全部読む

mackyさん

慰霊の日の沖映通りとジュンク堂【那覇市】


2009/06/23 14:43   mackyさん

今日は沖縄での終戦記念日、'''慰霊(いれい)の日'''です。 その日もきっと鳳凰木がきれいに色付く季節だったんですねえ。 梅雨もひと休み(あるいは明けた?)のようで、…(全部読む

sukeboさん

秋山ちえ子の談話室


2009/06/20 11:42   sukeboさん

かつて放送されていたラジオ番組である。2002年10月4日放送終了。 毎年終戦記念日の8月15日に、戦時中の実話に基づく童話『かわいそうなぞう』を紹介・朗読していた。 ざわわ・ざわわ・ざわわ森山良子 あの年 3月(集団…(全部読む

phoenixさん

63日間


2009/06/18 22:41   phoenixさん

交配から出産まで、人間の場合だと十月十日…なんて言いますが、コレが犬の話になると63日間が標準であると言われています。本当にアッと言う間!とは言え、飼い主には長く感じるのですが。昨日お届けした通り、ぶじ2回目の懐妊に至っためろん…5月2日…(全部読む

旅人さん

1989年6月4日『天安門事件』 から20年。


2009/06/07 14:47   旅人さん

僕は当時 4歳のお話。 日本にいれば よくわからないよね。 中国哲学科にいたから よく学んだこと。 1989年 6月4日 天安門事件を皆さんは 知っていますか? 中華人民共和国 北京市。 …(全部読む

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終戦記念日について

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

終戦の日(しゅうせんのひ)とは、大東亜戦争(太平洋戦争)の終結した日とされ、日本では、1945年8月15日と認知される。終戦の日は、同時に第二次世界大戦終結の日でもある。 日本が占領下にあった1951年ごろまでの新聞紙上では、ポツダム宣言受諾の降伏文書に調印した9月2日降伏の日降伏記念日敗戦記念日(はいせんきねんび)と呼んでいた。現在、日本では、天皇国民に終戦を告げる玉音放送が行なわれた8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、一般には終戦記念日(しゅうせんきねんび)あるいは終戦の日と称し、政府主催の全国戦没者追悼式や、政治団体、NPO等による平和集会が催される。

歴史

1945年7月26日連合軍ポツダム宣言を発し、日本軍の無条件降伏を要求した。日本政府は、これを黙殺したが、8月6日広島原爆投下8月8日ソ連の宣戦布告、8月9日長崎原爆投下と重大な事態が続いた。1945年8月10日、日本政府は中立国を通じて、国体の変更を伴わないかどうかを連合国に確かめた。しかし、確答が得られぬまま、8月14日御前会議で、天皇の裁断によりポツダム宣言受諾が決定され、終戦の詔勅が発せられ、連合国に対しポツダム宣言受諾の正式な通告(実質的な降伏)がなされた。 1945年8月15日正午グリニッジ標準時午前3時)から、前日に公布された「大東亜戦争終結ノ詔書」(終戦の詔書などともいう)を昭和天皇が朗読したレコードラジオ放送され(いわゆる玉音放送)、国民及び陸海軍にポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定が伝えられた。当日は朝から「賢き辺り(=天皇)にあっては本日正午から重大発表を行なうので、必ず聴くように」と繰り返しアナウンスされた。天皇の肉声が初めてラジオで放送されことと共に、戦争終結を発表されたと、このラジオ放送は国民にとって敗戦の象徴ともいうべきできごとであり、大きな衝撃を与えたこの放送は聞き取りがたかったという回想が多いが、その一因は録音盤の素材が充分でなかった点にもあることを元録音班のメンバーが明かしている。『朝日新聞』2008年12月26日夕刊、東京版、2面。。この日をもって、アメリカイギリスとの戦闘は事実上終了した。 1945年8月16日、日本軍部隊への正式な停戦命令が行われた。 ポツダム宣言受諾の後も、大陸や北方戦線では、ソ連・中国との戦闘が暫く続いた。ソ連軍は北方四島に上陸作戦を展開し、それを阻止する為の戦闘が、中央の命令により現地陸軍守備隊によって行われた。また、戦闘停止命令の届かなかった部隊などによる連合国軍との小規模な戦闘は続いた。さらに、外地の一般市民が難民と化し多くの犠牲者をだした。また、沖縄の久米島では、日本軍による住民の殺害(久米島守備隊住民虐殺事件)もあった。これらの戦闘は、8月下旬になると、おおむね終焉した。 1945年9月2日、政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎が、連合国に対してポツダム宣言受諾の降伏文書に正式に調印した。国際法上の戦争終結は日本国との平和条約(通称:サンフランシスコ講和条約)が発効した1952年4月28日をもって正式の日付とされる ソビエト連邦のようにサンフランシスコ講和条約に署名しなかった国については、相手国と日本が別途に講和条約または同等の二国間協定を結ぶまで戦争状態が継続した事になる。ちなみに対ソビエト連邦については日ソ共同宣言締結で関係が正常化した。。 …続きを読む

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