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【一問多答】人は美を判断する

差出人: 呟き尾形さん 呟き尾形<ZAN01231…>
送信日時 2005/05/02 07:36
ML.NO [ept:11086]
本文:

こんにちわ。みなさん。呟き尾形です。

”[ept:11053] 【一問多答】人は美を判断するのか、それとも感知するのか?”
へのレスです。

【一問多答】の「人は美を判断するのか、それとも感知するのか?」の回答で
す。

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 みなてつメンバーの呟き尾形です。

 まず、判断と感知の違いについて考察します。

 判断とは、対象となる物事を理解し、考えを決めることです。
 それに対して、感知とは、感じることであり、気づく事です。

 一見すると、美が感知されなければ、「美」を「美」とは認識できないと考え
られます。

 しかし、私たちの「美」を認識するメカニズムは、感知されるものではなく、
美を判断するものです。
 なぜなら、人は、何かを認識するためには、感知された情報を判断しなければ
いけないからです。

 さらに言うなら、「美」は感知されるのでありません。
 対象を感じ、気づくためには、判断のプロセスが必要不可欠であり、「美」が
「美」である根拠は、直観(直感ではありません)によるもののみです。
 つまり、「美」は直観することはあっても、(判断なしに)感知はされませ
ん。
 
 私たちが「美」を感知すると錯覚するのは、「判断」のプロセスがあることに
気がつかないからです。
 感知は、判断のプロセスがなければ、「美」は、感知も直感もできません。
 ありえない話ではありますが、もし、感知だけであるなら、情報が入ってくる
だけで思考処理がなされません。

 対象の「美」を認識するためには、対象となる「美」を直観を根拠に、対象の
「美」を理解し、それを考えて対象の「美」が、自分の「美」の基準と照らし合
わせ、それが一致していると”判断”しているからです。

 結論、「美」は感知される事はい。
 しかし、「美」は判断なしに認識はされない。
 ゆえに、「美」は判断されるものである。

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それでは失礼いたします。


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