> 私は、百歩さんにとっての哲学はできないけれど、
> 考える事は止めてませんけどね。
いや。それは、考えではない。
いっそ、何にも考えてないくらいまで、考えないようにしてくれる?
>呟き尾形くん。こんち。百歩っす。
> 事実無根の事実の捏造は止めていただきたいとこ
> ろです。
って、そのセリフばっかりじゃん。
なんも考えてない証拠。
じゃあ、聞くが、どうして俺が事実無根のねつ造をしているの?
わからないだろうけど、聞いておく。
>
> > ばかだなあ〜
> はい。自覚はあります。
してねえよ。ぜんぜん。しているとしたら
自覚がぜんぜん足りん。
タリンどころか、ぜんぜんしてません。
> まぁ、百歩さんにとっての哲学はそうなのかも知れませんね。
大バカ者!!!!
百歩の哲学ではなくて、『哲学の世界』がそうなっているの!
そんなんでよく、『哲学を語ろう』なんて言えたな!
哲学に対する侮辱だ!
こんなやつと哲学を語らないといけないなんて、
こっちがはづかしい。
ほんと、なんとかしてみせる。
> 私は、哲学は、問う学問だとは思っていますが、
違う。学問が『問う』ことであって、哲学は、問わなくてもいい。
その『問』を作ることが、哲学だ。
>闇雲に無根拠に疑う
> のではなく、事実を事実として誠実に受け止める誠実さを持つ必要
> があるかと思っていました。
別に、哲学に『事実』は関係ない。
科学じゃないからね。
事実よりも、そこに考えがあるか?ないか?のほうが重要。
事実を誠実に受け止めるなんてのは、個人の勝手。
呟き尾形くんなんか、口じゃそう言って言っても
自分じゃ、それすらできないし
できない人に、事実無根です〜ってセリフしかはけないが
そんなことは、今回は関係ないので以下省略
それと、誠実の使い方も間違っている。
(事実としても、意味としても、日本語としても)
哲学は、「考え方を考えること」だとしたら、
目の前で、考え方が思いつかない人に、
いくつでも、考えを提案できる人だ。
その中には、道徳に反するものも考え付くことも当然なのさ。
とにかく、考える。思いつく。考えられるすべてのことをね。
いいことも、悪いことも、関係なしに、ありとあらゆることをね。
そこに行きあたらないと、意味がない。
そして、ありとあらゆる考え方の中から、
考え方の思いつかない人に、
いくつか考え方を提案することは、可能なことだ。
これは哲学ではないけれど、哲学の持つ『癒し』とも言える。
例えば、提案したことが、法律違反や悪徳であったとしても、
目の前の人が、それで『わかった!』としたら、
それは、いいことをしたと言える。
もちろん、法律違反を犯せと言っているんじゃない。
実行しろってわけじゃない。
考えられない人に、『考えられる』ようにしてあげる。
そのために、自分も考えてあげる。
答えじゃなくていい。
考えられない人が、考えることができるようになるのなら、
僕も、バカだのアホだの平気で使う。
実際、バカかアホかなんて考え付いているようでは、
それはもう考えてない証拠さ。
人の話を鵜呑みにしてはいけない。
なので、呟き尾形くんは、本当に考えていない。
ま、こうしたことは本来は、心理学やカウンセリングでやる。
というのが、最近の傾向であり、
過去では、宗教とか近所の人とか、友人とかがしていたこと
(いまでも行われている)
なのだが、
『哲学』にもできることなのだ。
だから、カウンセリングは受けたくない
宗教も持ってない
友達もいない
近所づきあいもない。
それらひとつ、ふたつ、または、すべてがあっても、話せない。
なあ〜んて方々には、MLというのは便利だよ。
と、ひとつの道を示せる。
それは、みなてつでも、してあげられることだし、
してあげたらいいと思うよ。
哲学がわからない初心者だって、できることだ。
そろそろ、しつこくてうんざりしてきるだろうが、
これは、『哲学がわからない人』に『わかってもらう』ために書いている。
俺の哲学は、含まれていない。
過去の有名・無名の哲学者たちが、すべてやってきたことを
やっているだけさ。
> つまり、辞書にある内容は一つの事実であるということです。
> その事実を事実とした上で「なぜ?」と自問自答するわけです。
> アプローチを変化させようが、真実にたどり着けるはずですからね。
そうとわかっていて、なんで、辞書のところで止まっているんだい?
修行が足りん。
> >
> > ま、そこはわざと説明なんかしない。
> > 説明して『はい、わかりました』なあんてのは、
> > 哲学の楽しみを放棄しているに等しいからね。
> 説明をきいてみないt、説明しないのか、説明できないのか、
> 考えていないのか、決め付けていないのかすら分からないんですけどね。
だから、思考回路が止まっているんさ。
自分で考えればいいじゃん(笑)
今回は、俺の意見を聞いて!って話じゃない。
哲学とはこういうものだ。
という、講義だ。
本といっしょで、目の前にある文章を読んで、
自分で、行間を読み説いてみなされ。
と、いっても、呟き尾形くんの日本語能力じゃ、
行間を読むなんて、どだい無理だってことは
今回のことで、よぉぉぉぉぉぉぉぉく、わかったので。
そのうち、説明してやるよ。
で、何の説明だったけ?
>
> > 今は苦しいかもしれんが、勉強して(笑)
> > 自分で哲学に気がつかないかぎり、永遠に哲学はわからない。
> 百歩さんにとっての哲学はどんなものか理解に苦しみますが、
> 自分で哲学に気がつかない限り、永遠に哲学はわからない
> というのは同感です。
だったら、理解してくれなくてぜんぜんOKだから、
できる人たちの邪魔はしないで。
それができないんだったら、
俺がオーナーするから、みなてつから出て行って。お願い。
> > ま、どっちでも可(笑)
> なるほど。
> 百歩さんにとっての哲学は、自己矛盾を可とするものでしたか。
> 私にはかなり難しいところです。
ばかだねぇ〜
屁理屈。
>
> 私は、哲学とは無矛盾であることを目指すものだとばかりおもって
> いましたが、例外はあるのですね。
> 勉強になります。
ばかだねぇ〜。今日はもう、こればかっり(笑)
そんなこと勉強するな!
矛盾なんてもんは、考え方のひとつにすぎない。
例外なんてもんは、哲学の世界に、あって、ないものだ。
(って言ってもわからないだろうから、説明つけると、
『矛盾』という言葉はあるが、盾で矛をつくことも
矛で盾をつくことも、考え付くことである。
商人が、『この矛は、なんでも貫く』と言い
そのあとに『この盾は何も貫かない』と言った。
物理的に、矛で盾を突いてみればいいんすよ。
そしたら、矛で盾がつければ、『この矛は何でも貫く』が
正しいかもしれない。
正しいかもしれない。というのは、本当になんでも貫くのであれば
そこらへんの、岩とか、人とか、木とか、家とか、山とか、川とか、海とか
市場とか、テレビとか、信念とか、ビルとか、飛行機とか、初心とか・・・
ともかく、世界中に存在する、ありとあらゆるものを貫く。
その中には、貫けないものがあるかもしれない。)
消耗もするだろうし、古くなって錆びるかも
永遠に形をとどめていることはありえない。
だから、『この矛は何でも貫ける』のは哲学じゃない。
でも、人々はこの話から『矛盾』という言葉を作った。
これも、哲学ではない。
この言葉が、日本、中国、韓国で日常的に使われている。
そして、共通認識している。
ここで、はじめて『思想』になる。
形あるものは、滅びるからね←これが哲学
それと、
哲学の世界に例外はない。
ただし、例外のないものはない。これは哲学。
哲学は、無矛盾なんか目指すわけねえだろ!バカ者。
考えることを考えつくす。
初心者は、『思いつくだけ、思いついてみる』
それだけ、考えていればいいよ。とりあえず。
それすら、簡単じゃないからね(笑)
哲学のわからないひとは、そのことを覚えておいてね。
考え付くことを、すべて考えてる。
そこに、道徳とか矛盾のことは考えなくていいからね。
>
> >> > 道徳を大事にするのは、宗教学であって、哲学じゃないんだよ(笑)
> >> 聞いてもどうせ回答がないでしょうが、お聞きしておきます。
> >> たとえば、どちらさんの哲学者がそのようなことを述べたのでしょう?
> >
> > まず、俺(笑)哲学者じゃないけど。
> 予想通り、回答いただけませんでしたか。
> なんにしろ、「道徳を大事にするのは、宗教学であって、哲学じゃ
> ないんだよ」というのは、百歩さんの個人的見解であり、特に客観性
> は存在しないように判断せざるを得ないので、とりあえず、そのように
> 解釈しておきます。
いや、『道徳とは何か?』で語ってやるから
それまでのお楽しみ。
哲学がわかってない人に向かって日本語で語るには、テーマが重すぎるが
呟き尾形くんにとっては、興味があるんだろう。
ともかく、この場は、これから哲学をやるひとのために
『哲学とは何か?』を話すことに集中したい。
>
> まぁ、私は道徳を大事にするのは、哲学であって、宗教学は大事
> にするというよりも、道徳の基準(ないし根拠)をつくるものだとばか
> り思っていました。
ああ、哲学がかわいそうになってきたよ。
ま、いるんだよねぇ=哲学の学会にも、こうした勘違い野郎はさぁ
今更、驚かないけど。
毎度、嫌になるねぇ〜
ま、道徳については別トピで。
まずは、『哲学』をちゃんと、見つめて、考えてあげてください。
『みんなで哲学を語る』のなら、それが先決。
道徳の話に持ち込むのは、マナー違反っす。
つうことで百歩した。