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哲学での意識に対する考え方への質問

投稿者:満月さん
MLNo.18003投稿日時:2008/10/15 09:42
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「みんなで哲学を語ろう」の皆様へ

はじめて投稿をさせていただきます。

わたくしは植野と申しますが、哲学についてはまったくの
素人で、良く分かりません。しかし、長年生物進化について
考えを巡らしてきました。そして、生物進化のなかで、「覚醒」
と「睡眠」がどのように明確化されてきたかを考える中で、意識
について次のような考えに至りました。

「覚醒」と「睡眠」を規則的に繰り返す生物は鳥類と我々のような
哺乳類しかないそうです。すなわち、生物進化の中でもっとも
進化した形態が「覚醒」と「睡眠」を明確に分けるようになったと
いうのです。私が、考えたのはそれは「生物の生存戦略」のため
だったのではないかということです。それを『生物生存戦略おける
「覚醒」と「睡眠」の役割についての考察』としてまとめてみました。

われわれは「覚醒時」には意識的な活動を行い、「睡眠時」には
意識が失われます。そして、この覚醒時の意識的な活動を考える
ことから、意識について考察を加えてみました。

哲学では「意識」もしくは「心」の問題は、重要な問題ではないでしょうか。
ただ、私は哲学について良く分からないので、哲学では「意識」や「心」
についてどのような解釈をしているのか教えていただけないでしょうか。
そして、哲学での意識からみて、私の考える意識についてなにか
ご意見でもいただければと思っております。

ご迷惑かと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

2008.10.15 UENO.M


  『生物生存戦略おける「覚醒」と「睡眠」の役割についての考察』

                                 植野 満

はじめに

われわれは一日24時間のうち覚醒と睡眠を規則正しく繰り返している。個人差はあるにしろ覚醒が一日に占める時間は16〜17時間であり、睡眠が占める時間は7〜8時間である。このように規則正しく繰り返される覚醒と睡眠であるがその役割については、ほとんど解明されていないというのが実情ではないだろうか。
睡眠の一般的な解釈としては、脳細胞を休ませるためである、と言われることが多いようである。ただ、この説も睡眠時と覚醒時の酸素消費量がほぼ同じで、ときにはレミ睡眠時には覚醒時より酸素諸費量が多いという事実から疑問となってくる。睡眠が脳細胞を休ませることであれば、酸素消費量は覚醒時より低くなってしかるべきではないだろうか。また、眠れない日々が何日も続いた場合、幻覚、妄想が出てきて、命も危うくなることから、睡眠がわれわれの生活において、ただ単に脳細胞を休ませること以上の重要な活動であることを示唆している。
このようにわれわれの生活にとって重要な覚醒と睡眠であるが、生物界を見渡してみると、哺乳類と鳥類以外の動物は厳密には、眠らないことになるそうなのである。哺乳類と鳥類といえば、ともに生物進化の最後に登場した生物であり、現在もっとも繁栄している生物といえよう。ここから、生物は進化とともに、睡眠と覚醒を明確化させてきた、ということが言えないであろうか。なぜ生物は進化とともに睡眠と覚醒を明確化する必要があったのであろうか。それは生物生存にとって重要な生存戦略であったのではないだろうか。生物は覚醒と睡眠を明確化することによって、厳しい生存闘争を勝ち抜いてきたのではないだろうか。ここでは、生物進化の歴史のなかから、睡眠と覚醒の役割について考察を加えることにする。


1.睡眠と覚醒の役割についての一般的解釈

睡眠と覚醒の役割について一般的にどのような解釈がなされているのであろうか。以前は睡眠の役割については脳細胞を休ませることが、睡眠の役割と考えられていたようである。しかし、前述したように、睡眠時と覚醒時の脳細胞酸素消費量が変わらないことから、睡眠の役割が脳細胞を休ませるという解釈にも疑問がもたれている。
睡眠の役割について東京大学名誉教授解剖学者養老孟司氏は「唯脳論」(青土社)のなかで次のように述べている。

『睡眠一般が何であるかは、やはり、議論の種である。すでに述べたエネルギー消費の観点からすれば睡眠は「休み」ではない。さら神経生理学的には、睡眠がいくつかの神経回路の活動を必要とする「積極的」な過程であることが知られている。しかも、睡眠はどうしても必要な行動であるから、その間になにか重要なことが行われていることは間違いない。クリックはそれを、覚醒時に取り込まれた余分かつ偶然の情報を、訂正排除する時期だと言う。そうした活動が夢に反映される。「われわれは忘れるために夢を見る」。そうかれは言うのである。』

養老氏の述べるように、睡眠中には重要なことが行われているに違いないのである。それは、断眠実験でもその重要性がわかる。東京都精神医学総合研究所名誉研究員であった精神科医山本健一氏の「意識と脳」(サイエンス社)を参考にすれば第2次大戦中、アメリカで1万人以上の兵士を使って大がかりな断眠実験を始めたが、3,4日もすると幻覚・妄想が出て中止せざるをえなかったそうである。また、ラットでの断眠実験では次のような興味深い結果が得られたというのである。その結果とは断眠により食物摂取量はどんどん上昇するにもかかわらず、体重どんどん減少し、ついには死に至るという結果だったそうである。そして、その結果の解釈について山本氏は次のように述べている。

「断眠とはバッテリーにたとえれば充電器が壊れた状態だと言えよう。充電ができなければバッテリーはやがてエネルギーを使いはたしてしまう。」

ラットが断眠によって死に至るということは、ラットは睡眠中に死を免れるような、重要な仕事を行っていることにはならないであろうか。すなわち、睡眠中に行われる仕事とは、むしろ覚醒中に行う仕事よりもはるかに重要な仕事といえるのではないだろうか。それでは覚醒中よりも重要な睡眠中の仕事とはどのような仕事なのであろうか。
その仕事を示唆する事例として山本氏は同じ「意識と脳」のなかで次のような事例を挙げている。

『「寝る子は育つ」という諺が昔からあるが、高橋清久らは深いレム睡眠中に成長ホルモンが分泌されることを発見した。成長ホルモン子供では文字通り成長を促進するホルモンであるが、成人ではエネルギーを取り込んでアミノ酸などの低分子からタンパク質などの高分子を合成するホルモンである。こうした事実は、睡眠の機能が単に無駄なエネルギー消費を止めるばかりではなく、さらに積極的にエネルギーを蓄積する、バッテリーのたとえでいえば充電の機能ももっていることを示唆している。』

山本氏が述べているように、睡眠中に成長ホルモンが分泌され、エネルギーを取り込んでアミノ酸などの低分子からタンパク質などの高分子を合成しているとすると、このような高分子の合成は睡眠中だけに行われているのかという疑問がわいてくる。高分子タンパク質の合成は生体にとって極めて重要な作業である。このような重要な作業が睡眠中のみに行われているとすると、逆に覚醒中はどのような作業が行われているのであろうか。そして、仮に睡眠中にのみタンパク質の合成が行われ、覚醒中は別の作業を行っているとすれば、このような作業区分がなぜ別に行われるようになってきたかが疑問として残される。
仮に覚醒中と睡眠中で別の作業が行われているとして、それは、ただ単に偶然に行われるようになったのであろうか。そうではなく、何らかの生物の生存にかかわる重大な理由があったに違いないのである。


2.粘菌の生活にみる睡眠と覚醒の役割についての示唆

睡眠と覚醒を判断するためには、脳波、筋電図、眼電図等を同時に記録するポリグラフで判断するそうである。これも山本氏の「意識と脳」からの参照であるが、脳波の高振幅徐波と急速眼球運動だけで睡眠を定義すれば、生物のなかで哺乳類と鳥類以外は眠らないそうである。しかし、他の動物、例えば、カエルもいかにも眠ったかのような無反応、無動状態に入り、このときは脳波の徐波化も急速眼球運動も見られないそうである。また、サカナでは夜になると砂の中にもぐって不活動となり、軽く触られても動かず、このときも脳波の変化はないそうである。
このように動物が睡眠に似た行動を示すことは多くの昆虫軟体動物、魚類、両生類、爬虫類で知られているそうである。ただ、進化の進んだ鳥類と哺乳類で睡眠と覚醒が明確化してくるということは、生物は進化とともに睡眠と覚醒の役割分担を明確化してきたとも言えないだろうか。そして、多くの動物が睡眠に似た行動を示すということは、それらの睡眠に似た行動は、やはり睡眠の先駆けの行動であり、一種の睡眠行動ではないだろうか。それでは動物全般に共通する、このような睡眠に似た行動のルーツはどこに求められるのであろうか。
動物界の睡眠と覚醒のルーツを探求する際に、これは動物とは言い難いが、そのことを示唆する興味深い事例が、粘菌の生活から伺われる。だいぶ以前になるが、テレビで粘菌の生活をみて、不思議な思いに捕らわれたことをいまでも鮮明に思い出す。そして、その粘菌の不思議な生活について考えを巡らすうちに、粘菌の生活のなかに睡眠と覚醒の不思議さを解く手がかりが隠されていることに気づくのである。
それでは粘菌生活の中のどこに、睡眠と覚醒の解明の手がかりが潜んでいるのであろうか。その解明の前に粘菌の不思議な生活について簡単に述べてみる。ただ、粘菌の生活といっても粘菌にも様々な種類が存在し、その生活様式もさまざまであることが、その後粘菌について調べてみた結果明らかになってきた。ただ、私が睡眠と覚醒の解明にヒントを与えてくれた、テレビ番組での粘菌の生活は次のようなものであった。
テレビの中の粘菌は、食物が豊富に含まれている水中(たぶん水中だったと思うが?)では、個々バラバラアメーバー状で食物摂取の行動を行い、なんら系統だった動きは見られない。しかし環境が悪化し水中の食物が欠乏してくると、個々バラバラだったアメーバー状の粘菌に系統だった動きがみられ、一箇所に集合するという行動が見られる。そして、一箇所に集合した粘菌はあたかも一個の生物のような子実体キノコのような)を形成し、子孫を残すための胞子をつくり、その胞子を空中に放出して、子孫を残そうとするのである。そして、空中に放出された胞子は、空中を漂いながら次第に地面に落下するが、その中でたまたま栄養豊富な水中に落下すると、胞子は発芽しアメーバ状となり、再び個々バラバラに豊富な食糧を摂取するという活動を再開する。
粘菌はこのような生活サイクルを繰り返すのであるが、このような生活サイクルとわれわれの覚醒、睡眠のサイクルと、どのような関係があるのであろうか。そもそも生物は単独生活を行う単細胞生物から、単細胞生物が寄り集まった多細胞生物へと進化してきたのであるが、粘菌の生活サイクル単細胞生物から多細胞生物への進化の過程を如実に示していると思うのである。粘菌は単独の生活が脅かされた場合、集合して多細胞生物様の子実体となり、胞子を散布して生き残ろうとする。そして、粘菌が単細胞アメーバー状で生活している場合、食糧摂取に夢中で、隣の細胞とは特に情報は交換していないと考えられる。しかし食糧が乏しくなれば粘菌が生き残るため、粘菌同士情報を交換しあって、ある一点に集合して子実体を形成するのである。
ここで、私が考えたのはこの粘菌の生活サイクルのうち、われわれの睡眠に相当するのは、粘菌の生活で単独に食糧を摂取している状態に相当するのではないかということである。そして、われわれの覚醒に相当するのは、食糧が欠乏して、生き残るために粘菌同士が情報を交換し、多細胞様の子実体を形成した状態ではないかというのである。すなわち、鳥類、哺乳類は睡眠中に粘菌が個々バラバラ栄養摂取しているように個体を形成する各細胞は個々バラバラに、各細胞自身の栄養摂取のような行動をしているのではないかと考えるのである。すなわち、鳥類、哺乳類は主として睡眠中に各細胞自身の活動に必要なエネルギーを生産しているのではないだろうか。そして、覚醒時には必要とされる栄養分のもととなる補食生物、すなわち獲物を各細胞の情報交換による連携した行動により捕獲するという行動を行っているのではないだろうか。
粘菌の生活サイクルから類推される覚醒と睡眠の役割は、鳥類、哺乳類は覚醒中は各細胞が情報を交換しあって、細胞の集合体である個体が生存するための行動を行っているのではないかということである。そして、睡眠中は個体を構成する細胞が生存するためのエネルギーを生み出す行動を行っているのではないかということである。このように考えれば、先に山本氏が指摘したように睡眠中に成長ホルモンが分泌され、タンパク質を合成している可能性も頷かれるのである。
このような、単細胞生物でもあり、多細胞生物でもある粘菌のような生物から、多細胞生物へと進化し、鳥類、哺乳類において睡眠と覚醒が明確化されるのである。それでは、生物はなぜ進化とともに睡眠と覚醒を明確に区分する必要があったのであろうか。次にその理由について考察を加えたいと思う。


3.鳥類、哺乳類での睡眠と覚醒の役割分担の意味

生物進化のなかで、鳥類、哺乳類において覚醒と睡眠がなぜ明確化されてきたのであろうか。鳥類、哺乳類は現在の生物界のなかで最も繁栄している生物であり、鳥類は空を支配し、哺乳類人類を筆頭として、この地上を支配していといっても過言ではない。なぜ鳥類と哺乳類は他の生物と比較して、このような繁栄を謳歌することができたのであろうか。
それは、鳥類と哺乳類が他の生物に比べて、高い運動能力を獲得することが出来たからではないだろうか。運動能力ということであれば、爬虫類のワニのように獲物を瞬間的に捕らえる動作や、カメレオンの餌であるハエなどを捉える動作は瞬間的で、目にも止まらない動作である。しかし、それらの動作は反射的なものであり、鳥類や哺乳類が獲物を追いかける、また獲物から逃げようとする連続的で複雑な行動と比べて、単純な運動としか言えない。そして、このような連続的で複雑な運動能力を、鳥類と哺乳類は覚醒と睡眠を明確にすることによって獲得したのではないだろうか。
細胞生物の体を構成する各細胞の働きを簡単に述べてみると、各細胞は次のような働きを行っていると考えられる。まず、各細胞細胞活動をATP(アデノシン三リン酸といエネルギー源にたよっているが、そのATPを血液で運ばれてきた栄養分糖質、脂質等)から作り出す仕事をしている。この作業はミトコンドリアで行われているが、この作業は細胞が活動するためには最も重要な作業ではないだろうか。ついで各細胞は作り出されたエネルギー源であるATPを消費して、各種の活動を行うわけであるが、それは次のような流れではないだろうか。
まず、脳の神経細胞であれば、運動を司る末梢の細胞から送られてきた信号を判断し、どのような運動を行うかの指令の信号を送る。また、運動を司る末梢の細胞であれば、脳からの指令の信号に従って、すみやかに行動を行うというようなことである。たとえば、指が熱い鍋に触ったとすると、指の細胞は熱いとい信号を脳に送るわけである。脳はその熱いとい信号を受け取り、どのような行動を起こしたらその熱さを回避できるかを判断して、指を縮めるとい信号を発するのである。そして、指の細胞はその信号を受け取って、直ちに指を縮めるという行動を起こす。なお、この例はあくまでも比喩であり、実際には鍋などに指が触れた場合、その信号は脳まで届かず、反射行動で処理してしまうであろうが、解りやすい例として挙げた。また、その他の重要な活動として、細胞分裂という活動がある。なお、以上に分類した活動は、あくまでも覚醒と睡眠の役割を理解するために分類した活動であり、学問的なものでないことをお断りしておく。
そして、鳥類、哺乳類以前の、覚醒と睡眠が明確に区分されていない生物は、これらの活動に明確な区分がなされていなかったことが類推される。すなわち、血液から運ばれてきた糖質、脂質からATPを作り出す活動を行っている最中でも、脳からの指令が来た場合、その作業を一時中断して、脳からの指令を行うということだったのではないだろうか。ただ、このような場合、その動作は中途半端となり、どうしてもその行動は制限され、複雑な行動は行えなかったのではないだろうか。複雑な行動を行うため、鳥類、哺乳類は覚醒と睡眠を明確に区分し、それぞれで別の活動を行うようになったのではないだろうか。
それでは、鳥類、哺乳類は覚醒時と睡眠時で各細胞はどのような活動を行うようになったのであろうか。まづ「覚醒時」の活動であるが、複雑な行動を行うために、各細胞信号が来てから速やかに活動することはもちろんであるが、信号が来ない時間帯でも、いつ信号が来ても活動出来るように、他の活動を中止して信号が来るのを待機するようになったのではないだろうか。そして、待機中は細胞分裂エネルギー源であるATPを糖質や脂質から作る活動等を中止して、その活動を睡眠時に行うようになったのではないだろうか。このように、覚醒時には胞分裂やATPを作り出す活動を中止して、細胞間の信号の伝達と指令の遂行に専念することによって、鳥類と哺乳類はそれ以前の生物に比べてはるかに複雑な行動を行うことが可能になったのではないだろうか。そして、このような複雑な行動を取ることが可能になったが故に、鳥類と哺乳類は現在のような繁栄を謳歌しているのではないだろうか。
そして、睡眠時は覚醒時に中止した、細胞分裂糖質や脂質からエネルギー源であるATPを作り出すという活動を行うようになったのではないだろうか。また、主として睡眠時に成長ホルモンが分泌されるということから、睡眠時の活動として鳥類、哺乳類は睡眠時に成長ホルモンを分泌し、細胞分裂を行っているのではないだろうか。このように、睡眠時に糖質や脂質からエネルギー源であるATPを作り出していということであれば、ラットでの断眠実験も次のように理解出来るのである。先に述べたようにラットでの断眠実験では、断眠により食物摂取量は増加するにもかかわらず、体重どんどん減少するという結果であった。この解釈は、断眠によりラットの各細胞エネルギー源である糖質や脂質からATPを作ることが出来なくなってATP不足になり、脳にATPの原料である糖質と脂質を送るように信号を送ります。このため、脳は糖質と脂質を各細胞に送るために食物の摂取量を増やし、より多くの糖質と脂質を各細胞に送り届けようとします。しかし、各細胞は断眠のため、睡眠を取ることができず、糖質と脂質からATPを作ることが出来なくなって、ますますATP不
足が進行し、逆に体重が減少するということになるのではないでしょうか。このストーリーラットの断眠実験を説明してはいないだろうか。
以上の説明はあくまでも仮説であるが、この仮説からは覚醒時と睡眠時の酸素消費量がほぼ同じであるということにも説明を与えてくれます。この覚醒時と睡眠時の酸素消費量は、覚醒時に運動を行った場合では睡眠時より覚醒時の酸素消費量は多くなります。しかし、覚醒時に運動を行わず横臥した状態では、睡眠時と覚醒時では酸素消費量はほぼ同じで、時には睡眠時でのレミ睡眠時では覚醒時より酸素消費量が多い場合もあるということです。この説明は仮説通りであれば、生物は覚醒時には運動という活動を行い、睡眠時には細胞分裂、ATPの合成という活動を行っているため、ともに異なった細胞活動を行っているので酸素消費量はほぼ同じということになります。ただ、このなかで睡眠中にATPの合成を行っているとしたが、これはあくまでも仮説であり、他の活動、たとえば蓄積した老廃物の除去のような活動も考えられるのである。ただ、言えることは睡眠中の活動は、細胞自身が生きるために欠かせない活動であることは間違いないと思うのである。そして、この仮説は実証可能と考えられます。それは、覚醒時と睡眠時のATPの量を測定することによって、覚醒時はATP
が少なく、睡眠時には少なくなっていると思うのである。この測定は非常に簡単だと思うのであるが、ただ、覚醒時も睡眠時でもATPの量が同じであるということであれば、その他の原因を考える必要があるものと考えている。
以上のように鳥類と哺乳類で覚醒と睡眠が明確になってきたということは、鳥類と哺乳類の生物生存戦略の結果ではないないだろうか。鳥類と哺乳類は覚醒と睡眠を明確にすることにより、複雑な行動を獲得し、他の生物より有利な生態的地位を獲得することが可能になったのではないだろうか。そして、有利な生態的地位を獲得することによって現在の繁栄を謳歌することが可能になったのではないだろうか。


4.覚醒時の意識についての一考察

われわれは覚醒時において明確な意識的生活を行っている。この意識であるが、一般的には脳細胞の活動によって引き起こされると考えられている。養老孟司氏は意識について次のように述べてい

唯脳論は、世界を脳の産物だとするものではない。前章で述べたように、意識活動が脳の産物だという、当たり前のことを述べているだけである。」

以上のように養老氏は意識活動は脳の活動、すなわち脳の神経細胞ニューロンの発火により生じるとしている。しかし、意識活動は脳の神経細胞の活動だけで生じているのであろうか。意識活動が脳の活動で生じていということを疑わせる事例は、睡眠におけるレミ睡眠の存在である。レミ睡眠は睡眠中にもかかわらず、急速な眼球運動が特徴で、その他の特徴として、レミ睡眠中に起こしてみると夢を見ていることが多いことが挙げられる。そして、レミ睡眠中の脳波は覚醒時と同様なパターンを示し、特に新生児では覚醒時とレミ睡眠中の脳波は区別が困難であるそうである。
このように覚醒時とレミ睡眠中の脳波の区別が困難であるということは、覚醒時とレミ睡眠中の脳の神経細胞は、同じような神経細胞ニューロンの発火が起こっていということにならないであろうか。いま、覚醒時とレミ睡眠時で同様な脳の神経細胞でのニューロンの発火が引き起こされて、脳波が発生しているとしたら、覚醒時では意識が生じ、レミ睡眠時では夢が生じるということに矛盾が生じるのではないだろうか。覚醒時とレミ睡眠時で同じような脳波が観測されるということは、覚醒時と睡眠時で同じような脳の神経細胞ニューロンの発火が引き起こされ、脳内の神経細胞同士で情報が交換されていることではないだろうか。しかるに、同じ脳の細胞同士のニューロンの発火による情報交換が行われているにもかかわらず、覚醒時では意識が生じ、レミ睡眠時では夢が生じるというのは何故であろうか。脳の活動のみで意識が生じるという養老氏の仮説であれば、レミ睡眠時でも意識が生じてもおかしくはないのではないだろうか。
これは一つの仮説であるが、覚醒時の意識とレミ睡眠時の夢を区別するものは、覚醒時には脳の神経細胞同士の情報交換とともに、脳の神経細胞と結びついている末梢の細胞と情報交換を行うことではないかと考えるのである。それに反し、レミ睡眠時では脳の神経細胞同士は情報を交換しているが、脳の神経細胞と末梢の細胞間の情報交換が遮断されていると考えられるのである。そして、ノンレミ睡眠時は脳の神経細胞同士の情報交換もなされていいのではないだろうか。それゆえ、ノンレミ睡眠時には夢も見ないのではないだろうか。
仮にこの仮説が正しいとしたら、意識活動が脳の産物であるという養老氏の前提は崩れることになるのである。そして、意識活動は脳の神経細胞と末梢の細胞が情報を交換するときの産物であるということになるのである。そもそも、養老氏の言うように意識活動が脳の産物であるという前提として、脳の細胞が特別の細胞で、他の細胞とは異なった存在であるという前提に立ってはいないだろうか。しかし現実には人の細胞はおおもとである受精卵という、たった一つの細胞が分裂して出来上がったものであり、脳の細胞もその他の細胞も平等な細胞なのである。すなわち、意識的な活動とは脳細胞だけではなく、全体の細胞の活動がなければならないのである。
この意識の例えとして、磁石の例があげられるであろう。電磁石電気を流さない場合、微小磁石バラバラな方向を向き、全体としての磁力が表れないが電気を流した場合、微少磁石が同じ方向を向くため、全体として強力な磁力が発生して、磁石となるのである。この磁石の例のように、睡眠時では微小磁石バラバラの方向を示して磁力が表れないように、各細胞バラバラな活動を行って、情報も交換されない状態なのではないだろうか。これは粘菌の例で言えば、栄養豊富な中をアメーバー状になって各細胞栄養を摂取している状態に相当するのではないだろうか。また、覚醒時では微小磁石が同じ方向を向き、全体として強力な磁力が生じるように、各細胞が情報を交換しあって、活動を行っている状態なのではないだろうか。これは、粘菌の例で言えば、一箇所に集まって子実体を形成している状態なのではないだろうか。
このように生物個体に生じる意識とは、脳の活動の産物ではなく、個体を構成する全細胞が生きるために情報を交換するという、統一的な活動によって生じているのではないだろうか。それでは、生物個体はどのようにして覚醒時の意識と睡眠時の無意識状態を制御しているのであろうか。脳科学者茂木健一郎氏は「脳とクオリア(なぜ脳に心が生まれるのか)」(日経サイエンス社)のなかで、覚醒と睡眠を制御している部位として、前脳基底部と、脳幹であるとしている。そして、そのことが解明されたきっかけは、モルッツイとマゴウンの仕事をあげている。この両者は、脳幹の刺激が覚醒反応を引き起こし、その破壊が意識の喪失につながることを示したのである。このように脳幹が覚醒と睡眠を制御しているに違いないのであるが、その機構はまだ明らかにされていないようである。ただ、覚醒と睡眠の役割の仮説によれば、脳幹から各細胞に役割の変更の指令が出されているに違いないのである。すなわち、睡眠中は各細胞の情報交換を一旦中断して、ATPを作る作業に、覚醒中はATPの作成作業を中断し、細胞間の情報交換に専念しなさいという、指令が出されているに違いな
いのである。その指令とはどのような形で出されているのであろうか。脳幹から何らかの電気信号がだされているのであろうか。それとも、何らかのホルモンの分泌によってなされているのであろうか。これは、一つの仮説であるが、脳幹電気信号を遮断するスイッチ的な装置があり、そのスイッチのON、OFFで脳幹を通して結ばれている、脳の神経細胞と末梢の細胞電気信号を制御することにより、覚醒と睡眠を制御しているのではないだろうか。すなわち、覚醒時には脳幹スイッチがONとなり、脳の神経細胞と末梢の細胞が情報を交換し、睡眠時では脳幹スイッチがOFFになり各細胞同士の情報交換が遮断され、ATPの作成作業に各細胞が専念するということになります。ただ、睡眠中でもレミ睡眠では、脳の神経細胞同士では情報を交換しているものと考えられます。このレミ睡眠中でもATPが作られているかどうかは不明ですが、今後の課題だと思われます。

いままで覚醒と睡眠の役割について述べてきたが、覚醒と睡眠は鳥類と哺乳類の生存戦略のなかで明確に区分されるようになってきたに違いないのである。そして、鳥類と哺乳類は、覚醒と睡眠を区分して異なった活動を行うことによって、複雑な行動を行うことが可能になったに違いないのである。ただ、この覚醒と睡眠の活動として述べてきたことは、あくまでも仮説にすぎない。しかし、この仮説はさまざまな事例を説明することが可能で、大まかには正しいものと考えている。今後、この仮説の検証が進むことを願ってやまないものである。






MLNo.18005
投稿者:呟き尾形さん 投稿日時:2008/10/21 07:34 [メール表示する]
はじめまして、植野さん。呟き尾形と申します。
”[ept:18003] 哲学での意識に対する考え方への質問”へのレスです。

 なるほど、いわれてみると、意識というのは、一般に覚醒の状態
にもたれるものですし、睡眠時には夢を覗いて、意識というものは
無自覚ですものね。

 そうだったのですか
 勉強になります。

 正直、動物の中で、鳥類と哺乳類けが覚醒と睡眠があるとい
ことを、植野さんのお話で知ったので、そうした視点があること自体
解りませんでした。
 しかし、考えてみれば保温動物である鳥類と哺乳類、以外の動物
は、爬虫類、両生類、魚類を始めとするほかの動物は、外部の気温
体温が依存していますものね。
 となると、睡眠や覚醒によって、体温が調整されているのかもしれない
とは思いました。

 そうかもしれません。
 ただ、哲学とは、生物学をはじめとした自然科学とはまた違った位置づけ
というか目的があります。
 自然科学は「どのように?」という問い方をしますが、哲学は「なぜ?」とい
問い方をします。
 その意味において、自然科学において意識や心はどのようなメカニズム
であるかが重要になりますが、一般的な哲学では、主体的な目的を問わ
れる場合が殆どです。
 そして、そのアプローチは、自然科学のような仮説→実験、再現→考察
というものとはまた違います。
 あくまで、論理によっての検証が重要になります。

 それゆえ、
 との質問ではありますが、一般的に哲学においはさまざまな見解が
あり、自然科学のような一つの結論というものはなく、現在も議論されて
いるのが現状のようです。
 当面は、抗議には、渡地他市の内部や外部で、起こる現象についての
直観(直感とはまた違います)であるとも言われています。
 ただし、この定義は明確なものであるというよりもかなり曖昧なものです。

 また、個人的には、意識は脳にあるとは考えておりません。
 脳を含めて、いわゆる1つの人間という生命の個体(手足の体の部位を含む)
が意識をもっており、その核が脳であると考えております。
 

 いえいえ、迷惑などとはとんでもありません。
 気楽に、いろいろ意見交換できれば幸いです。





MLNo.18006
投稿者:満月さん 投稿日時:2008/10/21 10:22 [メール表示する]
呟き尾形様へ

ご丁寧な御返事有難う御座います。

このなかで、一般的な哲学では、主体的な目的を問われる場合が
ほとんどで、あくまでも論理によっての検証が重要になるというご意見
は参考となりました。

ただ、哲学においはさまざまな見解があり、いまも議論されているのが
現状です、と述べていますが、ということは哲学とは未完成の学問と考え
てよろしいのでしょうか。

また、意識の問題は哲学でも問題とされているのでは無いかと思って
おりましたが、哲学的な課題でもないことがわかりました。私は、意識の
の問題を出来るだけ科学的な姿勢で解釈したつもりでした。

ただ、この意識の問題は、哲学で問題となる心身問題とも関連してい
問題とも考えております。私は、投稿した考え方により、意識の問題は
かなり本質をついたところまで理解したと自負しています。ただ、心に
ついてはよくわかりません。意識と心は同じでもあるようで、また違った
ものでもあるようであり、頭をなやませています。

この心を考えた場合、問題となってくるのは(この問題は哲学的な課題
だと思うのですが)「心身問題」です。まず、意識と心はなにが違って
いるのかが疑問ですし、われわれの身体と心の関係はどうなっているの
という問題もあります。

そこでぜひ呟き尾形様へ聞きたいのですが、哲学ではこの心身問題
についてどのように解釈しているのかを聞かせて頂ければと思います。
今私は、心身問題について次のように理解しています。

心身問題を考える前に、今時計の問題を考えてみたいと思います。
われわれは、さまざまな時計を用いて生活をしています。現代では
時計なしに生活は不可能でありましょう。ただ、なぜ今時計が存在
ているのかと考えた場合、それは時計の進化なしには考えられ
いのです。

時計の進化は、日時計に始まり水時計ゼンマイ時計、そして
現代では水晶時計が主流を占めています。ただ、その進化は水晶
時計はとどまらず、将来は原子時計にとって変わるかも知れないのです。
それでは、時計の進化はなぜなされてきたのでしょうか。ただ、時計
部品を組み合わせていたら、偶然出来上がったということではないのです。

時計の進化は「人々が正確な時間を知りたいという「願望」と、その
願望を実現する、様々な「部品」の組み合わせで成り立っているのです。
そして、時計における「願望」が心身問題における「心」に相当し、時計
おける「部品」に相当するのが「身」に相当すると思うのです。

時計の進化は「願望」のみがあっても「部品」がなければ決して進化は
なされないのです。また、逆に「部品」があってもその部品をただ単に
組み合わせただけでは決して進化せず、現代時計の存在はあり得ない
のです。このことを仏教では「色即是空、空即是色」とい言葉で言い表して
います、

心身問題は、この時計の例のように「心」のみでは存在せず、「身」のみでも
存在しないと思うのです。心身は不可分で一体のものだと思っています。
ただ、これだけ科学が発達したにもかかわらず、時計はただ部品が偶然に
組み合わされて、進化してきたといバカな議論をしてい科学部門が存在
ています。それは、ダーウィンの「自然選択説」と「突然変異説」が組み合わ
さった「ネオダーウィズム」です。これはぜひ改める必要があります。

さて、時計の例のように、われわれの「身」に相当する部品は身体を構成する
細胞」で問題ないと思います。問題は心に相当する「願望」はなにかとい
点が残されます。その「願望」は生命進化の法則のなかに隠されているのでは
ないでしょうか。ただ、私はその願望」をいわゆる「神」とか「霊魂」に求めよう
はしません。それはわれわれの行動のなかに隠されていると思っています。

長々と書いてしまいましたが、出来れば呟き尾形様の理解している「心身問題
についてご意見を聞かせて頂ければと思います。特に心と意識の違いについて
お教え頂ければと思います。

2008.10.21 ueno










MLNo.18007
投稿者:呟き尾形さん 投稿日時:2008/10/29 07:45 [メール表示する]
こんにちわ。植野さん。みなさん。呟き尾形です。
”[ept:18006] Re: はじめまして:植野さんへ”へのレスです。


>参考となりました。
 どういたしまして。

哲学とは未完成の学問と考え
>てよろしいのでしょうか。
 はい、その通りだと認識しています。
 そして、学問が新しい発見を探求し続けるかぎり、
その学問は未完成であるとも認識しているので、個人的には
自然科学未完成であると認識しております。

>意識の問題は哲学でも問題とされているのでは無いかと
>思っておりましたが、哲学的な課題でもないことがわか
>りました。
 たしかに、意識の問題は、哲学だけの課題ではなくなったかと
私も判断しております。
 これは、さまざまな自然科学が進歩することで、各自然科学
分野のアプローチで、意識を課題として研究できるようになった
のではないかとは思っています。

>私は、意識のの問題を出来るだけ科学的な姿勢で解釈し
>たつもりでした。
 たしかに、植野さんのお考えは、生物学というアプローチに
よって論じられているかと思います。

 さて、植野さんは、意識と心はことなるものであると認識
されているように思われます。
 そこで、もしよろしければ、植野さんが考えていらっしゃる
意識と心の違いについてご意見をお聞かせいただければ幸いです。
 いえ、正解を聞きたいというよりも、植野さんがどのような認識
をされているのか知りたいと思っております。
 と、いいますのも、案外、一人で考えるよりも、他者に説明しよう
とするプロセスで、なにか気がつくものがあると思いますし

>そこでぜひ呟き尾形様へ聞きたいのですが、哲学ではこの心身問題
>についてどのように解釈しているのかを聞かせて頂ければと思います。
 私の意見はあくまで私見なので、哲学の代表した意見というわけでも
ないことをご理解した上でお読みいただければ幸いです。


心身問題は、この時計の例のように「心」のみでは存在せず、「身」のみでも
>存在しないと思うのです。心身は不可分で一体のものだと思っています。
 このご意見には同意いたします。

>そして、時計における「願望」が心身問題における「心」に相当し、時計
>おける「部品」に相当するのが「身」に相当すると思うのです。
 なるほど。
 たしかに、「願望」を「心」に見立てることも、「商品」を「身」に
見立てることに妥当性は感じます。
 ただ、例外として、人間の場合「心」の中にある願望を追及した場合、
必ずしも、「身」の進化につながらない現象があります。
 たとえば、メタボリックシンドロームにはじまる生活習慣病や癌です。
 これは、時計道具であり、人間が生命であるが故の違いなのかもし
れませんが。

 これを考えると、私個人としては、ネオダーウィズムに一理を感じます
し、自然淘汰の摂理と整合性を感じてしまいます。
 ここは、植野さんとは見解の異なる部分かもしれません。

>長々と書いてしまいましたが、出来れば呟き尾形様の
>理解している「心身問題」についてご意見を聞かせて
>頂ければと思います。特に心と意識の違いについて
>お教え頂ければと思います。
 実は、私個人の意見としては、心身を一つのものであるという考えが
あるので、そうした意味では私は特に問題であるとは認識しておりま
せん。
 心と身体は別々に存在しているかのように考えることは可能ですが、
そのように考えられるということは、別々のものであるとい証拠には
なりません。
 たとえば、同一人物右手左手は、言うまでも無く同一人物の手です。
 しかし右手、左手と別々に存在しているかのように考えることは
可能です。
 それでも、ば、同一人物右手左手は、言うまでも無く同一人物の手
であることには変わりありません。

 その上で、心と体は天候のように、相互に影響を与え合っている存在
であると考えています。

 たとえば、通常は、「願望」があって「商品」があるわけですが、
時計の例に合わせると、時計とい商品が存在を認識することで、新しい
「願望」が生じるかもしれません。
 このように、「願望」と「商品」は相互に原因や結果に成りえるわけです。

 さて、心と意識の違いですが、通常は特に区別はつけておりません。
 ただし、あえて違いを述べるとするのなら、心は感情、意識は理性である
と考えております。





MLNo.18009
投稿者:満月さん 投稿日時:2008/11/11 14:46 [メール表示する]
呟き尾形様

植野ですが、少し出張していましたので、返事が遅れて
申し訳ありませんでした。

なお、意識と心の違いについてご意見を聞きたいとのことでしたが、
正直に言いまして、心についてはよくわからないのです。心身問題
であれだけ生意気なことを書いてしまいましたが、あれはこういう考え方
も出来るということで、勢いで書いてしまいました。

ただ、意識についての考えは、われわれを構成する60兆の細胞が、
”生きる”ために各細胞が情報を交換し、活動を行うところに生じる
ものと考えています。

呟き尾形様の指摘したように、心は感情、意識は理性であるとい
考え方ですが、私には少し難しいようです。

ただ、私の考える心とは、存在の唯一性がその謎を解く鍵になる気が
ています。存在の唯一性とは、私にとってはこの世界を認識してい
のは、私だけであるということです。この考えは私だけを考えれば独我論
ですが、独我論と少し違うのは、私だけではなく尾形様も同様にこの世界を
認識している唯一の存在ではないかと思うのです。そして、尾形様だけではなく
ペットであるイヌネコ等々でも私と同様にこの世界を認識しているのでは
ないかと思っています。

昔、なぜこのように世界がなっていることを考えたことがあります。その結論
として、世界は同時に二人以上が認識した場合、混乱がおきるのではないか
という、二律背反の関係になっているのではないかと考えたこともあります。

ただ、私にとっては心の問題は難しすぎて、まだ結論が得られていません。
このような回答しかできず、申し訳ありませんでした。

2008.11.11  植野






----- Original Message -----
From: "呟き尾形" <ZAN01231@….ne.jp>
To: <ept@…>
Sent: Wednesday, October 29, 2008 7:45 AM
Subject: [ept:18007] 心と身体について




MLNo.18011
投稿者:呟き尾形さん 投稿日時:2008/11/21 23:06 [メール表示する]
こんにちわ。植野さん。呟き尾形です。
”[ept:18009] Re: 心と身体について”へのレスです。


 いえいえ、お互い、のんびり、マイペースいきましょう。

 そうでしたか。
 ともあれ、みなてつは、わからないことについて、わからないなりに
話してみることで、自分が何を知っていて、何をしらないのかを明確
になりやすくなりますし
 もちろん、考え方は可能だとはおもいます。
 その中で、私がわからないことがあったので、質問しました。

 確かにそうした考え方は可能だとおもいます。

 そうでしたか。
 解りづらい説明でもうしわけありません。
 心は感情であるというのは、感情という理性的でない、ある種不合理、
あるいは不条理な認識のもと判断されることであり、意識は理性である
というのは、その逆で、感情的でない、合理的で言語によって説明が
可能なものであるということであるということです。
 つまり、心は、言葉で説明しきれない流動的な情であるということです。
 ますます混乱させてしまったら申し訳ないのですが、わからない部分は、
質問いただければ幸いです。

 たしかに、「本人にとって」という前提条件があれば、これは正しいと
思います。

 そうですね。
 私は、原理的に他者の認識を想像や推測することはできますが、他者の
認識そのものになることはありませんものね。
 
 たしかに、唯一の存在が複数存在してしまうと、多くの矛盾が生じるもの
と思いますし、その結果、混乱が生じるのは必然かと思います。

 いえいえ、とんでもありません。
 結論が得られないとは言いつつも、植野さんのお考えが聞けてうれしいです。


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