| 件名: | 潜在意識 |
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| MLNo. | [ept:1825] |
| 差出人: | さいとうさん |
| 送信日時: | 2002/12/14 04:12 |
| 本文: |
SANPOを愛するさいとうです。
ぺんぎんさん。 >実践と認識はコインの裏表では? そう思います。 さいとうが「実践」を強調しすぎなぐらいに強調してるのは、 じつはみなさんの「実践」は弱いんじゃないかなと思ってるからでして、 「転回」って言うのかな? 「観念崩壊」に導くには、 ちょっとショックを与えるぐらいでちょうどいいかなって、 思ってるわけです。(^_^;) 「知識」そのものは来世に持って行くことはできない。 輪廻の大海を渡るには、 潜在意識をコントロールするしかありません。 この潜在意識にアプローチすることをおもに、 さいとうは「実践」と言ってるわけなんですけどね。 実際のところ、 釈迦牟尼が弟子達に中心的に説いたとされるのはジュニャーナヨーガ、 哲学のヨーガとも呼ばれるもので、 これは思索によって煩悩を破壊するというもの。 ただし、 そのためには並外れた集中力と、 潜在意識にまで教義を降ろしておく必要があります。 ところで、 以前さいとうがとある女子大生と話した時、 その子の大学に哲学の先生がいて、 すばらしい講義をしてくれるんだと聞いたことがあります。 でもその先生の人格は全然尊敬できないんだとのことでした。 ぺんぎんさんはそんなことないと思うけど、 そのようであってほしくないとも思うわけで。(^_^;) 表層意識での「認識」と、 潜在意識が主導権を握る「行動」との間には開きがある、 という事実。 もし潜在意識で真理を「認識」できるなら、 それは「悟り」であるとも言えるでしょう。 条件反射的に反応してしまうのが潜在意識。 表層意識では「分かっちゃいる」、 「けどやめられない」というのも潜在意識の性質。 ゆえに仏道修行者は、 意識することなく自然に法則に沿った行動ができるという、 「我即法(われそくほう)」の境地を目指すわけです。 |
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