みんなで哲学を語ろう

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自由と放縦の違い

投稿者:呟き尾形さん  2003/08/08 07:43  MLNo.2835   [メール表示]

こんにちわ。みなさん。呟き尾形です。

 放縦。
 勝手気ままに振る舞うことの意ですが、さて、この放縦という言葉、どこと
なく、自由という言葉と似ている部分はあるように感じませんか?

 でも、実際、自由と放縦の違いってどんなものだと思われますか?>みなさ


 以上、呟き尾形でした。


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  • MLNo.2938   hakidame_akumaさん  (0) 2003/08/25 23:57  [メール表示する]
    はきだめ悪魔です。
    尾形さんて確信犯的ですよね。(笑)
    昔の私なら混乱してましたけどもう大丈夫ですよ。(笑)

    我々が認知して扱う犬は、概念です。
    しかし現実に存在する犬は、概念ではありません。

    ここが基本なんですけど。
    ですから、我々が認知に対しエラーが起きると
    幻影や白昼夢を見たりするわけです。

    > みんなで哲学を語ろう
    > ------------------------------------------------
    > こんにちわ。はきだめ悪魔さん。みなさん。呟き尾形です。
    >
    > ”[ept:2898] Re: 犬が0匹存在する”へのレス。
    >
    >> この件に関して思う事は、
    >> 言葉自体が、概念として存在していると言うことです。
    >  ええ、概念として存在している。おっしゃる通りだと思います。
    >  それが、1匹であろうとも、2匹であろうとも、0匹であろうとも。
    >
    >  で、ことを難しくしているのは、概念として存在していることも存在だし、
    > 犬いるのも存在です。

    で、尾形さんのおかしいのは現実と概念の切り分けができていない事です。
    以前のメールで、家族殺されて正体を無くす様な話を書いておられましたが、
    「奥さんが0人居る」では納得できていない訳じゃないですか。

    「認知できればそれは存在」それは概念上の話です。

    >  バグではないし、むしろ、言葉の仕様だともいえるでしょう。

    まさに、そうです。人間の認知の仕様上の問題点です。


    >  私は、前者の存在も、後者の存在も、同じ存在していることには変わりはな
    > いと考えています。
    >  しかし、
    >> 「犬が1匹存在する」という表現をする事自体が、
    >> 事象を概念化しているのですね。
    >>
    >> 「存在」事態を「1」に置き換えているわけです。
    >> ですから、
    >>
    >> 「確かに犬は1匹存在しますが、1は何処に存在しているのでしょうか?」
    >> と言う問いかけは概念と現実の変換上のバグに近い話なのです。
    >  そうでしょうか? 1は概念として存在しているのではないでしょうか?
    >  犬自体は犬という言葉によって概念化されてます。
    >
    >  バグではないし、むしろ、言葉の仕様だともいえるでしょう。


    (笑)バグであれ仕様であれどっちでも良いですよ。


    >  そして、私達は犬そのものを概念化しないことには認識すらできません。
    >  まさしく、はきだめ悪魔さんがおっしゃるとおり、
    >> 外部の事象を意識化に入力する際に、
    >> 全てのモノが概念上の存在になってしまうと言うことですね。
    >  だと思います。
    >
    >>>  ちなみに、私は0に限らず、すべての数は概念なので、概念としてしか
    >>> 存在しないと考えます。
    >>
    >> このご意見には、賛同できます。
    >> だからこそ、現実を概念化し認知する場合は補正する必要があるんですね。
    >  それは良かった。
    >  犬が1匹存在する。は1はそもそもある現象が置き換えられたものであるこ
    > とは、
    >> 外部の事象を意識化に入力する際に、
    >> 全てのモノが概念上の存在になってしまうと言うことですね。
    >  という、はきだめ悪魔さんの発言から解釈することが出来ます。概念ですか
    > ら、物理的に存在することはありません。つまり、
    >> この件に関して思う事は、
    >> 言葉自体が、概念として存在していると言うことです。
    >  というこで、存在するというのは、必ずしも物理的にある。ということのみ
    > をさすわけではありません。


    >  このように考えると、犬が0匹存在するもなんらおかしくはありませんね。
    >  0はそもそもある現象が置き換えられた概念です。概念ですから物理的に存
    > 在するかどうかは別の話です。

    概念と存在の関係の話なんかしてませんよ。(笑)

    認知は概念で行われるため、現実そのまま認知することは難しい。
    これは、思考や言語自体がもつ仕様上の問題点であり、
    思考によって導き出された方法論は最終的に現実とすり合わされなければ、
    現実の方法論としては使用できない。

    という様な話を最初から最後までしているだけで、

    概念上では、云々・・。
    概念上では、云々・・。
    概念上では、云々・・。
    概念上では、云々・・。
    概念上では、云々・・。
    概念上では、云々・・。
    概念上では、云々・・。
    概念上では、云々・・。
    概念上では、云々・・。
    概念上では、云々・・。

    という意見交換をしたいわけではありません。

    >  そして、存在するというのは、かならずしも物理的にある。ということのみ
    > を指すわけではありません。事象をもって存在するという意味で使われるのが
    > 一般的ですし、事象を含まない存在というものは、片手落ちです。

    概念上ではの話は良いんです。
    概念上では存在するのではなく、概念上にしか存在しないだけですから。


    まさに「空集合」を「存在する」という思考そのものが片手落ちだと思いますが?
    空集合の何処に事象が含まれて居るんですか?

    概念上では、云々・・。
    概念上では、云々・・。
    概念上では、云々・・。
    概念上では、云々・・。
    概念上では、云々・・。

    と言うのを止めて、概念上にしか存在しませんと言い換えてください。

    >  犬が0匹存在する。というのは、犬が0匹という事象が存在する。といえる
    > わけです。間違いでもなんでもなく、意訳すれば、犬がいないことと補正され
    > ますからね。

    じゃぁ、現実では最初から「いない」でいいじゃないですか。(笑)
    なんでわざわざ居ないモノをひっつかまえて、
    0匹という事象が存在する。なんて言わなきゃならないのでしょう?(笑)


    >  なんにしても、「ない」という概念が数にできるのは、本当はものすごいこ
    > となんだけど、当たり前すぎて、凄いことと評価はされにくいのでしょうね。
    >
    >  で、これは歴史的な事実ですが、人類は0という概念を発見することで飛躍
    > 的でかつ、実践的なさまざまな技術を得ることが出来ました。私はこの事実か
    > ら、0の概念を排除するのはむしろ、退化のように思えますし、哲学が不便に
    > なるとかんがえています。

    概念上の0や負を否定したのでは、無いってば・・・。
    現実と空想の区別がつかなくなっている方法論が多いので、
    補正が必要ですね。と言って居るだけですよ。

    >  なにはともあれ、
    >> その際に概念的な虚像を持ってしまう。
    >> 人間の認知固有の問題なのでしょう。
    >  このことについて、もっと深く考える必要があります。すべての概念は虚像
    > なのか、それとも虚像ではない概念があるのか。ということです。
    >  虚像ではない概念の条件とはなにか、はきだめ悪魔さん風にいうなら、認知
    > する場合の補正という場合の、補正とはいったいなにか。ということですね。
    >  私が興味深いと感じているのは、まさにここです。

    ・・・・・・・。
    まじめに言ってるんですよね?

    すべての概念は虚像だとしたらどうなります?
    我々は因果律から離れた存在になり、時間も空間も超えて生活していますって。


  • MLNo.2941   呟き尾形さん  (16) 2003/08/26 13:05  [メール表示する]
    こんにちわ。ゆうこうさん。みなさん。呟き尾形です。

    ”[ept:2931] Re: 議論の仕方?”へのレス前半です。

    1.議論の成立について
     まず、最初に明確にしておきます。
     私はゆうこうさんの意見に対して反対意見を主張をしているわけではありま
    せん。
     ただし、ゆうこさんの定義される異議においては、たしかに私は異議をとな
    えております。
     で、
    > 「意見の食い違い」を、「異議」と言いますよね。
     いう場合もあればそうでない場合もあります。
     異議とは一般に反対意見のことを指します(辞書で調べていただければ確認
    できるでしょう)。
     意見の食い違いは、双方の意見が異なることであり、必ずしも反対意見では
    なく、論旨なり論点が異なる場合に使用されることがあり、さらに、その方が
    多く使用されます。
     ですから、「意見の食い違い」を、「異議」とは、必ずしも同意ではありま
    せん。

    > 誤解してほしくないのは、まったく同じ意見同士でない限り、
    >それらが似た意見同士であれ、「異議」のある部分もあれば、
    >「異議」のない部分もあるということです。
    > 確かに、呟き尾形さんのおっしゃるように、「同じ意見」以外は、
    >たとえそれが「似た意見」同士であっても、程度の差こそあれ、
    >部分的に「異議」を含んでいると、私は考えますが、それは、
    >私以外の方にとっても同じことです。
     失礼、
    ”[ept:2921] Re: 議論の仕方?”より(ゆうこうさん)
    > 繰り返しになり、申し訳ないですが、「自由と放縦の違い」に
    >ついての私の考え・意見に対し、呟き尾形さんは、「ちょっと違う」
    >と述べておりますから、呟き尾形さんは、私の考え・意見に対し
    >て、異議を述べたことになります。
     という文脈からは、読み取れませんでした。つまり、誤解しておりました。
     う〜ん、まぁ、ゆうこうさんがそうおっしゃるのなら、それで行きましょ
    う。
     ただし、一般的には異議とは反対の意見であり、少しでも違う意見は異議と
    は言わないのでその点は誤解なきようお願いいたします。

    > 私は、議論に、「異議」や「対立」が必要であるとは言って
    >おりません。
     なるほど。それを聞いて安心しました。

    > 「私はそうは思わない。」と相手の考えに異議を唱えたにも
    >かかわらず、その理由には一切触れず、「私はこう思う。」と
    >いうことのみを一方的に語るのであれば、議論は噛み合わない
    >でしょう。噛み合わない議論は、まともな議論とは思いません。
     その点においては、みなてつは議論の場ではなく、意見交換が主体の場であ
    ることに合意いただいてますし、私はそもそも議論がする気が無かった意思表
    明はしております。
     また、ゆうこうさんが認識されている異議は、「ちょっとでも違う意見でも
    異議」とされているますが、一般的には「反対の意見」ですから、その認識の
    差であることはわかりまして、上記で合意が得られたわけです。
     それぞれの、議論、異議の示す言葉の意味の違った時の話をさかのぼってお
    話されても困ります。
     ゆうこうさんがそのように思われているのであれば、私が発言した当時は、
    ゆうこうさんの意見に対して、反対意見を述べたつもりはありません。そのこ
    とについては既に述べております。
     その点は、ゆうこうさんは、
    ”[ept:2921] Re: 議論の仕方?”
    > 議論する気がないのであれば、私もそれで構いません。
    > それでは、「まともな議論が成り立つはずがない」のも、至極
    >もっともなことです。
     と合意されている。

     私の考えとしては、今でも、ゆうこうさんの意見に反対しているつもはあり
    ません。
     ただ、同じ意見でもないので、その意見を述べた。
     反対意見ではないので、反対している根拠もあるはずもありません。
     反対意見がないわけですが、ゆうこうさんのおっしゃっていた、異議とは
    ちょっとでも違う意見であったという、異議についての意味の付与の仕方の違
    いが発覚しました。
    ”[ept:2925] 議論の仕方?”より(呟き尾形)
    > で、私見を申し上げれば、意見交換の場において、微妙に違う意見をの
    >べることを、異議、つまり、反対意見を述べたとするのは、私の感覚とし
    >ては青天の霹靂でした。
     私はこの違いがあったということを再認識し、ちょっと違う点を対立関係だ
    と無理矢理探し出しました。
     その上、議論が成り立たないことはお互い認識しあっている。私はその点を
    謝ったところ、誤る必要もないとゆうこうさんご自身がいわれているのです
    が、この意見はどういった意図があったのでしょう?

    2.議論のさかのぼり
    > そうなのでしたら、はじめから、
     中略
    >が、その「異議」の理由の部分だと、呟き尾形さん自身が、
    >おっしゃれば良かったのです。
     う〜ん、何度も繰り返しになりますが、私は、最初、反対意見を述べたつも
    りも無いし、議論をするつもりもありませんでした。
     異議の理由については、少しでも違う意見が異議であるという、私にとって
    非常識な定義から、ゆうこうさんのご意見をお聞きして、異議の定義を再定義
    し、考えて探し出した異議の理由です。
     ですから、最初から言える訳がありません。

     また、余談ですが、私は反対意見があったわけでも無いし、議論をするつも
    りも無かったといった状況で、
    ”[ept:2854] Re: 自由と放縦の違い”より(ゆうこうさん)
    >>  で、自由は自らの責任において他からの強制、拘束、支配
    >> など受けずに、自らの意思や本性に従っていること。
    >>  勝手とは似ているようで違う意味です。
    >(From:呟き尾形さん [ept:2839] 自由と放縦の違い )
    >
    > 「 [ept:2839] 自由と放縦の違い 」では、呟き尾形さんは、
    >まだその根拠を述べておりませんね。呟き尾形さんがそう
    >述べる根拠は?
     と、質問のを受け、質問の文章中に、どこにも、異議も反論も入れていない
    のです。
     引用文のように質問されたなら、ゆうこうさんと私の意見の違いよりも、私
    の意見に対する根拠を求められたと考えてしまいます。

    > 「異議が明確に上げられる」のならば、遠慮せずに
    >おっしゃって構いません。
    > にもかかわらず、呟き尾形さんは、「異議は明確に上げられ
    >ません」と、おっしゃっている。
     繰り返しますが、私とゆうこうさんの間で異議の示す意味合いが異なってお
    りました。
     異議が明確に上げられたのは、異議の意味合いが少しでも意見が違えば異
    議。ということについて合意が得られてからです。
     そうでなければ、今でも異議(反対意見)など明確に上げられません。

    3.合意と了解の違い
    > ここでひとつ断っておきますが、私は、「呟き尾形さんが、自由
    >には、責任が付いて回るものである、と考えている」ことについて
    >は、了解しておりますが、私自身が、「自由には、責任が付いて
    >回るものである」ということについて、合意しているわけではあり
    >ません。
     はぁ。そうでしたか。
     私はてっきり自由には責任がついて周っている根拠について「なるほど」と
    合意の言葉を得られたと思っていましたが、あの「なるほど」はどういった意
    味があったのでしょう? どうも[ept:2858] 戦争をする自由の文脈からは合意
    あるいは、納得の意思表明としか取れないのです。
     とりあえず、私が、自由には、責任が付いて回るものである、と考えてい
    る」ということについて了解を得られたという合意を得られたという意味で合
    意がえられたことは、了解しました。
     

    > そうです。私にとって、それは「自明」でしたし、今もそう思って
    >おります。
     ?
     では、なぜ、
    ”[ept:2869] 議論の仕方”より(ゆうこうさん)
    > しかしながら、私には、その対立の構図がはっきり見えません
    >でしたので
     と述べたのですか?
     自明なのに、霧がかかっているかのような状態になるのですか?
     正直、混乱しております。

     で、
    > ですから、「責任による拘束された勝手が合意による拘束
    >された勝手はちょっとも違わない」などと、私は述べており
    >ません。当初から、私は、対立関係がどこかにあるはずだと
    >考えているのですから。
     というのは、ちょっとでも違えば対立関係が成り立つ。ということですか?

    4.相手の考えの尊重の方法
    > 私は、「お互いの相手の考えの尊重の仕方には従わなくても
    >よい」と考えているわけではありません。
    > ただ、話し相手の考えを尊重するための、私なりのやり方を、
    >呟き尾形さんに、押し付けたくはない、ということを申している
    >のです。
     では、お互い、相手の考え方の尊重の方法は押し付けたくないということ
    で、合意が得られたわけですね。
     私にとっては、どちらでも同じ意味合いです。
     了解しました。
     でも、両者にとってどんな違いがあるのでしょう?

    5.議論のイメージ
    > やはり、議論についてのイメージが、呟き尾形さんと私では
    >若干の違いがあるようですが、簡略化して言えば、
    >
    > Aではなく、Bである。なぜならば、BはCであるからだ。
    >
    >と言うとき、CがAへの反論の根拠とならない、というのは、
    >必ずしも、「自明」ではない、ということです。
     その通りだと思いますが、
    >  議論とは意見とその異議(意見に対してちょっとでも違う
    > 意見)に対する話し合い。ということであれば、私の言葉の
    > 根拠は本来、異議の根拠を述べられるはずであるが、その
    > 内容はなかった。という意図であると解釈すればわかったの
    > ですがそういった主旨でしょうか?
     この解釈に対する若干の違いとはどのような違いですか?

     ちなみに、繰り返しますが、私は、”[ept:2854] Re: 自由と放縦の違い”の
    質問は、反論の根拠ではなく、簡略化の例でいうなら、Bの根拠を求められた
    ものだと思っていました。

     6については、テーマが異なるので、後半に回します。

     以上,呟き尾形でした。

  • MLNo.2942   呟き尾形さん  (16) 2003/08/26 13:08  [メール表示する]
    こんにちわ。ゆうこうさん。みなさん。呟き尾形です。

    ”[ept:2931] Re: 議論の仕方?”へのレス後半です。

    6.責任と合意
    >>  で、質問です。自由とは合意された勝手に対してちょっと違う
    >> としたとき、自由とは責任に拘束された勝手と述べたとき、対立
    >> 関係は生じないものなのでしょうか?
    >(From:呟き尾形さん [ept:2925] 議論の仕方? )
    >
    > 私は、対立関係は生じるのではないか、と考えております。
     ならば、なぜ、対立関係の構図が見えないとか対立関係が霧がかかっている
    と私に対して言うのですか?
     自明とは対立関係の構造が見えなかったり、対立関係にハッキリしなくても
    自明と言えるのですか?
     自明とは言うまでも無くハッキリしていることで、対象の構造が見えなかっ
    たり、対象がハッキリしていないときには言えないとおもうのですが、いかが
    ですか?
     
    > 「合意」は検証が簡単←→「責任」は検証が困難
    >
    >という対立関係が成り立つのではないかと考えております。
    > 「合意」にしても、そう簡単ではないだろうと思いつつも‥‥。
    > 呟き尾形さんは、どう思いますか?
     合意とは複数の人間の意見の一致による了解。
     責任とは自分の行為や結果に対して付随する義務や償い。
     としたとき、検証が対立関係になるとは思えません。
     合意にしても、明確な形で残るものには限らず、口約束すらも合意のひとつ
    となり、口約束の合意を検証するのは困難です。
     責任も、法律や校則など明確な形で明記されているものは検証が簡単です。
    まぁ、責任の自覚や判断については、主観的な価値観に依存するので困難な
    ケースがあるため、ゆうこうさなんは困難とされたのでしょうね。
     なんにしても、責任も合意もどちらも検証が簡単であったり困難であったり
    するわけで、対立関係というにはあまりにも不安定です。

     むしろ、無理矢理対立させるなら、判断基準が合意は客観的か責任は主観的
    かの対立関係が生じると思います。
     あくまで無理矢理です。私の本意ではないことは、明記しておきます。

     以上、呟き尾形でした。

  • MLNo.2962   ゆうこうさん  (1) 2003/08/28 19:01  [メール表示する]
     こんばんは、ゆうこうです。
     呟き尾形さん、こんばんは。

    >  放縦。
    >  勝手気ままに振る舞うことの意ですが、さて、この放縦という
    > 言葉、どことなく、自由という言葉と似ている部分はあるように
    > 感じませんか?
    >
    >  でも、実際、自由と放縦の違いってどんなものだと思われ
    > ますか?>みなさん
    (From:呟き尾形さん [ept:2835] 自由と放縦の違い )

    > 「自由」とは、合意された、あるいは合意されるべき「勝手」。
    > 一方、「放縦」とは、合意されてない、あるいは合意されるべき
    > でない「勝手」ってところじゃないでしょうか。
    (From:ゆうこう [ept:2837] Re: 自由と放縦の違い )

    >  自由と放縦の解釈については、ゆうこうさんもさいとうさんも、
    > 「勝手気ままに振る舞う・こと(さま)」 という意味において共通
    > しておりますが、実は、結構微妙なんです。
    (From:呟き尾形さん  [ept:2839] 自由と放縦の違い )

     呟き尾形さんは、どうして、「結構微妙」と思ったんですか?



  • MLNo.2975   呟き尾形さん  (16) 2003/08/29 07:35  [メール表示する]
    こんにちわ。ゆうこうさん。みなさん。呟き尾形です。

    ”[ept:2962] Re: 議論の仕方?”へのレスです。

    > 呟き尾形さんは、どうして、「結構微妙」と思ったんですか?
     自由も放縦も勝手という「勝手気ままに振る舞う・こと(さま)」 である。
    とひとくくりでまとめられなくは無いとは思います。
     間違いとは言いません。しかし、自由は何かに拘束されているという条件が
    必要になる。
     ゆうこうさんの場合は合意による拘束を提示されました。このとき、それも
    あるかもしれないな。と思っておりますが、わたしは責任による拘束だと思っ
    ています。

     じゃぁ、合意と責任の差を指摘するのは難しく、同じようなことでもあると
    考えておりました。あくまで同じようなものであり、結構この判断が微妙で
    す。
     といいますもの、お互いの合意が得られれば、当然、合意を得られた対象に
    対して責任は生じてくるのですが、合意を得られたときだけ責任が生じるわけ
    ではない。
     でも、大抵の責任は合意が得られたとき生じるものだし、微妙な差だと感じ
    ております。

     この微妙な差をもって、結構微妙だと思いました。

     以上、呟き尾形でした。

  • MLNo.2981   ゆうこうさん  (1) 2003/08/29 14:32  [メール表示する]
     こんにちは、ゆうこうです。
     呟き尾形さん、こんにちは。

    >  放縦。
    >  勝手気ままに振る舞うことの意ですが、さて、この放縦という
    > 言葉、どことなく、自由という言葉と似ている部分はあるように
    > 感じませんか?
    >
    >  でも、実際、自由と放縦の違いってどんなものだと思われ
    > ますか?>みなさん
    (From:呟き尾形さん [ept:2835] 自由と放縦の違い )

    > 「自由」とは、合意された、あるいは合意されるべき「勝手」。
    > 一方、「放縦」とは、合意されてない、あるいは合意されるべき
    > でない「勝手」ってところじゃないでしょうか。
    (From:ゆうこう [ept:2837] Re: 自由と放縦の違い )

    >  自由と放縦の解釈については、ゆうこうさんもさいとうさんも、
    > 「勝手気ままに振る舞う・こと(さま)」 という意味において共通
    > しておりますが、実は、結構微妙なんです。
    (From:呟き尾形さん  [ept:2839] 自由と放縦の違い )

    >  呟き尾形さんは、どうして、「結構微妙」と思ったんですか?
    (From:ゆうこう [ept:2962] Re: 議論の仕方? )

    >  ゆうこうさんの場合は合意による拘束を提示されました。
    > このとき、それもあるかもしれないな。と思っておりますが、
    > わたしは責任による拘束だと思っています。
    > ‥(中省略)‥お互いの合意が得られれば、当然、合意を
    > 得られた対象に対して責任は生じてくるのですが、合意を
    > 得られたときだけ責任が生じるわけではない。
    >  でも、大抵の責任は合意が得られたとき生じるものだし、
    > 微妙な差だと感じております。
    (From:呟き尾形さん [ept:2975] 議論の仕方? )

     なるほど。
     でも、「微妙」だけど、「重大」というか、その「微妙な差」が、
    結果に大きな影響を与えてしまうことも、あるのではないで
    しょうか。
     例えば、

    >  それじゃあ、本人に「責任の自覚」さえあれば、「殺人の
    > 自由」や「戦争の自由」も、当然あり得るってことですね。
    (From:ゆうこう [ept:2858] 戦争をする自由 )

    >  責任を自覚するということは、責任能力を自覚することで
    > あり、それを行使するということは、責任を取る覚悟がある。
    > ということですから、戦争や殺人の責任能力って何?
    >  ということが問題になってきます。その点の結論によって、
    > あるなしが変わってきます。
    >  当面、私は戦争の責任能力、殺人の責任能力なんて現在
    > の世界でとりようがない。ので、「ない」と考えますけどね。
    >‥(中省略)‥責任を自覚するということは、責任能力を自覚
    > することであり、それを行使するということは、責任を取る覚悟
    > がある。ということです。
    >  それ無しで責任を自覚した。というのは、お粗末あるいは、
    > 詭弁というものでしょう(笑)
    (From:呟き尾形さん [ept:2866] 戦争をする自由 )

    という部分についてですが、この間のイラク戦争で、アメリカは、
    「戦後は、イラク復興支援を行い、イラクに民主主義国家を
    樹立する。」と言っていましたが、これが、アメリカなりの、責任
    の自覚の表明だったのではないでしょうか?
     アメリカに、「戦争責任は取るの?」と訊いたら、アメリカは、
    「もちろん、取ります。」と言うでしょう。
     ですから、様々な行為について、「責任の自覚があれば、
    それは自由だ。」と言うのであれば、今回のイラク戦争において、
    やはり、アメリカには、「戦争をする自由」があったと言えるのでは
    ないでしょうか?



  • MLNo.3040   呟き尾形さん  (16) 2003/09/04 23:02  [メール表示する]
    こんにちわ。はきだめ悪魔さん。みなさん。呟き尾形です。

    ”[ept:2938] Re: 犬が0匹存在する”への部分レスです。

    >尾形さんて確信犯的ですよね。(笑)
     はい。確信犯的であるのは自覚しております。
     確信犯とは自分の信念に基いて、自らの行為を正しいと信じてなされる犯罪
    ですからね。

     実際、私が正しいと考えることは、そんなに特殊なことでも複雑なことでも
    なく、実際、視点をちょっとずらして考えると、殆ど同じ意見にたどり着くは
    ずなのです。
     もちろん、私が間違っているときもありますがね。そのときは素直に認めて
    いますし(笑)

     他人の話を聞いて、納得できても、哲学は理解できるものではないと考えて
    います。むしろ、他人の話を聞いて、他人は正しいのだろうか? 自分は正し
    いのだろうか? と、自答自問しつつ、自分で考えてはじめて哲学が理解でき
    るのだと思います。

     私にとって、重要なのはメッセージであり、そのメッセージを受け取って考
    えてもらうことです。
     そう言った意味では、私は確信犯なのだと思っています。

     以上、呟き尾形でした。


  • MLNo.3108   teru_123_456…さん  (0) 2003/09/11 22:37  [メール表示する]
    こんにちわ。尾形さん。みなさん。テルです。

    ごぶさたです。
    ひさびさに時間がとれたので、メール返信です。

    >>>『どうしてこんなに話が噛み合わないんだろう。』
    >>
    >>尾形さんって、このパターン多いですよね。(笑
    > そうなんですよ(苦笑)
    > このパターンになるときというのは、お互いの言葉の定義というか、イメー
    >ジというかこだわりに合意が得られなかったときに生じるようです。

    ああ、なるほど。
    「知覚」とか「現象」とか「イデア」とか、
    そういう言葉を話したときに、「相手は全然違うイメージを持っている」と、
    そもそも議論にならないですよね。
    議論にならないから、まず、「言葉の定義」の指摘から始めるんだけど、
    相手にしたら、もともとしたかった議論とは違う部分で、指摘されるのから
    だんだんむかついてくる。(笑
    なんか揚げ足をとられているようで。
    一方が、むかついたら、他方もむかつくのは当然の流れで、はい、泥仕合へ突入〜。

    これはありがちなひとつのパターンっすよね。

    うーん、ここまで議論が活発なMLだと、
    議論でよく使われる抽象的な用語は、辞書したページを作っておくって
    手はあるかもしれませんね。(もちろん、現実の辞書の引用をのせる)
    「当MLでは、この用語は、みんなこのルールに従って使ってます」みたいな。
    「あなたのイメージが間違っているわけではなくて、その記号は、こういう定義として
    使うことに、このMLではしています。」みたいな。

    まぁ、効果あるかわかりませんが〜。
    噛みあわない議論も、未来の議論の糧になると思えれば、精神健康上、良いかも。

    > 思うに、理解するということが、合意することと同意であるという倒錯がそ
    >こにあるのだと思います。
    > いえ、普通というか一般的には、理解することど合意することはほぼ同意な
    >んですがね。

    あとは、議論のジャンル(?)が違うことで、噛みあわないってこともあるのかなあ?
    たとえば、相手は、「物理学上の時間論」の話題で、議論したがっているのに、
    心理学的な時間論を取り上げて反論されたら、「あー、かみ合ってない!」という
    パターンかな。

    > ここは、ペンギンさんが上手に表現されておりました。
    >”[ept:2914] Re: 死神博士の言い分”より(ペンギンさん)
    >>日本の現代社会には自分の認識論的地平そのものを疑って
    >>相手と協働作業的にその地平を深めていくという手続きが、
    >>圧倒的に欠けているような気がします。
    > じゃぁ、この手続きが上手くいけば良いのかというと、実はそれだけにこだ
    >わってしまうと、西畠さんの言葉を借りれば齟齬感ばかりが置き去りにされて
    >しまうのです。

    ふーむ。なるほど。
    相手がそれを求めているときは、うまく行きそうですが、
    相手が求めてないと、なんか「おまえの認識はそもそも間違っている」
    と説教されているようで、感情的にうまくいかないでしょうねー。

    >>まぁ、そんなこともあったので、【噛みあわない】といわれる尾形氏に
    >>エールを送っておきます。
    > ありがとうございます。
    > ホンネを申し上げれば【噛みあわない】つまり、論点が合わないわけじゃな
    >い、お互い合意が得られていないだけだ! と声を出して叫びたいのですが、
    >書くにとどめたいと思います。
    > この言葉に癒されました。 感謝です。

    たまに、メールを立ち上げると、尾形さんのメールが大量にあって、
    全部読みきれていませんが、とりあえず、見守っています。
    (毎日、こんなに大量にメールだして、普段、なにしているんだろうと、
    いつも疑問に思う。笑)

    それでは。

  • MLNo.3118   呟き尾形さん  (16) 2003/09/12 19:29  [メール表示する]
    こんにちわ。テルさん。みなさん。呟き尾形です。

    ”[ept:3108] Re: ”噛み合わない”と”合意が得られない””へのレスで
    す。

    >ごぶさたです。
    >ひさびさに時間がとれたので、メール返信です。
     忙しい中、返信いただき、ありがとうございます。

    >> このパターンになるときというのは、お互いの言葉の定義というか、
    >>イメージというかこだわりに合意が得られなかったときに生じるようです。
    >
    >ああ、なるほど。
    >「知覚」とか「現象」とか「イデア」とか、
    >そういう言葉を話したときに、「相手は全然違うイメージを持っている」と、
    >そもそも議論にならないですよね。
     はい。そうですね。
     他にも、案外人間というのは、「●●はダメだ!」と相手に強く指摘してい
    るときほど、自分でもそのダメなことをしていることが多いのです(独自の解
    釈ではこれはシャドーの影響だと考えています)。
     もちろん、それは矛盾というものです。私はその矛盾も指摘します。
     すると、読み方によっては、まさしく揚げ足取りと思われるやもしれませ
    ん。

     それが、相手にとって、テルさんのおっしゃるように、揚げ足を取られてい
    るように感じられるわけです。

     もちろん、私自身も反論を読み返すと、そうなっています。
     それで慌てて、その部分を修正するわけですけど。

    >うーん、ここまで議論が活発なMLだと、
    >議論でよく使われる抽象的な用語は、辞書したページを作っておくって
    >手はあるかもしれませんね。(もちろん、現実の辞書の引用をのせる)
    >「当MLでは、この用語は、みんなこのルールに従って使ってます」みた
    >いな。
     スムーズに議論を進める上ではとても有効な方法論だと思います。
     特に、
    >「あなたのイメージが間違っているわけではなくて、その記号は、こういう
    >定義として使うことに、このMLではしています。」
     というのは、相手の意見を否定していないのがいいですね。
     とりあえず、みなてつにおいて明確にMLとして定義しているのは「哲学と
    は考えること」だけですかね。
     
     会議のような、何かを決定するための議論ならさらに良い方法論だと思いま
    す。
     でも、個人的にはMLとしての定義は、哲学以外は、避けられるなら、避け
    たいですね。
     なんだかコンビニ哲学の主旨に反しそうな気がするからです。なんという
    か、自由な発想を制限するようであまり好きではありません。
     テーマごとに定義すればよさそうな気も。あ、それだとかみ合わなくなるん
    ですよね。
     これでいて、本当は問題さえおこらなければ、ルールとかMLでの定義は無
    い方がいいと考えているのです。
     う〜ん、みなさんはどう思われますか?

    >噛みあわない議論も、未来の議論の糧になると思えれば、精神健康上、良い
    >かも。
     私は今のところ、噛みあわない議論はない。と思っているんですけどね。
     とはいえ、テルさんのおっしゃるとおり、合意を得られない議論でも、未来
    の哲学の糧になります。
     人は言葉で考えます。それを文字に変えることで、考えは強化されますから
    ね。
     沈思黙考よりも、哲学を語ったり、文字にして書くことこそ、哲学が哲学た
    るゆえんだと思います。
     特に文字にすると新しい発見ばかりです。

    >あとは、議論のジャンル(?)が違うことで、噛みあわないってこともある
    >のかなあ?
    >たとえば、相手は、「物理学上の時間論」の話題で、議論したがっている
    >のに、心理学的な時間論を取り上げて反論されたら、「あー、かみ合って
    >ない!」というパターンかな。
     はは、なるほど。
     でも、物理学って私は苦手だから、知らないことがあるとすぐに調べてしま
    います。だから、物理学において調べた内容と違わない限り、特に反論はない
    し、そうですね。以外にコメントのつけようがないんですよね。
     数学が適用され、根拠となる学問は答えが大抵はっきりしてますからね。
     相手の答えが正しければ、そりゃ正しいね。で終わってしまいます。

     でも、心理学は考えるところが多すぎるくらい多い。

    >相手がそれを求めているときは、うまく行きそうですが、
    >相手が求めてないと、なんか「おまえの認識はそもそも間違っている」
    >と説教されているようで、感情的にうまくいかないでしょうねー。
     そうですね。
     まぁ、「バカの壁」という養老武孟司氏の書いた本がありまして、その中に
    y=axという公式がありまして、脳のインプットに対するアウトプットの公
    式だそうです。
     yが反応とか興味の強さ。xが脳にインプットされた情報、aが現実の重み
    だそうです。

     たとえば、神様についてaという係数が甲さんは0、乙さんは10、丙さん
    は∞、丁さんは10とします。
     神様について書かれた全く同じ文書を読んだとすると、甲さんはその文書か
    らなにも見出すことはできません。乙さん、丁さんはなるほどなぁ。そんな風
    な考えもあるのかぁ。と新しい知識が得られ、乙さんと丁さんは話があう。と
    思いました。
     一方、丙さんはもう感動の涙で一杯になり、甲さんの反応が気に入らなくな
    ります。甲さんにとっては、それは迷惑な話ですが。
     理想を語れば、お互いにこの係数を時と場合により変えられればよいのです
    けどね。
     ちなみに、現象学を使うと、このaという係数の本質は、それこそドクサそ
    のものだということを本質直観できれば、理想にかなり近づけます。

    >たまに、メールを立ち上げると、尾形さんのメールが大量にあって、
    >全部読みきれていませんが、とりあえず、見守っています。
    >(毎日、こんなに大量にメールだして、普段、なにしているんだろうと、
    >いつも疑問に思う。笑)
     考えてみれば、このMLのメールの量って凄いですよね。私は自分の書いた
    分は読まないか流し読みで済みますけど。
     おかげさまで、自分の意見を書き、そしてみなさんの意見を聞くことで、も
    のすごい勉強になってます。

     ちなみに、普段はなにしているかというと、昼間は農作業をして、夜は家に
    帰ってテレビも見ないでいて、好きなことをしています。
     テレビを見ないというのは、自分の時間が作れる簡単な方法です。

     なんにしても、話が噛みあわないというか合意を得られない議論。というの
    は、一見、得たものが無いように見えますが、自分の意見を文字にする。自分
    の意見に対する相手の反応を見ることができる。
     ということは、出来ただけでも、ものすごい収獲はあると思います。
     嘆くほどのことでもないと思いますけどね。
     私が言うと、説得力がないかな(笑)

     以上、呟き尾形でした。

  • MLNo.3260   呟き尾形さん  (16) 2003/09/21 00:51  [メール表示する]
    こんにちわ。西畠さん。みなさん。呟き尾形です。

    ”[ept:2926] Re: 哲学とは特権的な行為か?”へのレスです。
    >>  さて、みなさんはどのように思われますか?
    >>  哲学って特権的な行為なのでしょうか?
    中略
    >上記の進化から見て、哲学は、非常に、素朴な考察
    >手段であり、学問であろうと思います。
     私も同感です。
     哲学は総合的な学問である。ということで、哲学を学んでいること自体が偉
    いわけでも、哲学的な知識があることが偉いというわけでもないと思います。

     それだけに、何でも語れて、誰でも語れる学問なのだと思います。

     以上、呟き尾形でした。

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