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私録「脱・金太郎あめ」
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□いつの頃か、私(熱田)の中には、「会社の中の仕事だけやっていてはいけない」
という考えが出てきました。新日鉄に在職していた頃、今から約40年前のことです。
□職場の同僚や、先輩、後輩を見ていても、何かが感じられませんでした。会社の中
ではそこそこのポジションをもらって、偉そうにしているが、その人と突っ込んで議
論してみると、人を感銘させるような特別な材料がないのです。
□「金太郎あめ」と言われるように、どこを切っても誰を切っても同じ、という状態
でした。
□それは自分自身にも当てはまることになっていたのです。40歳から50歳くらいに
なって、専門外のこととなると、とたんに理解力が極端に落ちる自分に気がつきまし
た。「これではいけない」と思いました。
□そして、50歳を過ぎて、人材スカウト会社に出向しました。
□初めて外の世界へ出てみたら、学歴に関係なく優秀な人がたくさんおられました。
それにひきかえ、新日鉄の人間は、学歴が優秀でも、どんどん頭が固くなっていって
いるような気がしました。
□そこで「脱・金太郎あめ」を目指して、仲間に呼びかけ、元新日鉄の副社長の戸田
健三さんを中心に始めたのが、「21世紀を考える会」です。平成元年、いまから15年
前のことです。
□月に1回集まって、人の話を聞いてみようということで、最初、20数人で始めまし
たが、走り出してみると、クチコミで来る人も増え、そして、毎月60〜70人が集まり
ます。それだけ日常の生活にはあきたらない「脱・金太郎あめ」を望む人が多いとい
うことです。
□「脱・金太郎あめ」といっても簡単なことではありませんでした。習った知識に縛
られて習った物差しでしか物事を見ることができない人間になっていたのです。「こ
れではいけない」と習った知識をいったん全部捨てようと試みたのです。捨てるのに
半年〜1年ぐらいかかったと記憶しています。しかし、頭の中のプログラムやメモ
リーが書き込んであるチップを捨てても、チップの跡形がいつまでも残っているよう
な感じで、跡形が消えて
しまうのには、さらに1年以上かかり、やっと白紙に戻ったような感じでした。□
いったん「頭のなかを白紙にする」と、それぞれの講師の話のポイントが、どんどん
頭の中に入ってきて、分野の違うそれぞれの話の、その底に流れる世の中の共通項が
本当に見え始めるのです。
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□「脱・金太郎あめ」は、幸之助のいう「素直な心」になることだと体得しました。
私録「脱・金太郎あめ」
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□いつの頃か、私(熱田)の中には、「会社の中の仕事だけやっていてはいけない」
という考えが出てきました。新日鉄に在職していた頃、今から約40年前のことです。
□職場の同僚や、先輩、後輩を見ていても、何かが感じられませんでした。会社の中
ではそこそこのポジションをもらって、偉そうにしているが、その人と突っ込んで議
論してみると、人を感銘させるような特別な材料がないのです。
□「金太郎あめ」と言われるように、どこを切っても誰を切っても同じ、という状態
でした。
□それは自分自身にも当てはまることになっていたのです。40歳から50歳くらいに
なって、専門外のこととなると、とたんに理解力が極端に落ちる自分に気がつきまし
た。「これではいけない」と思いました。
□そして、50歳を過ぎて、人材スカウト会社に出向しました。
□初めて外の世界へ出てみたら、学歴に関係なく優秀な人がたくさんおられました。
それにひきかえ、新日鉄の人間は、学歴が優秀でも、どんどん頭が固くなっていって
いるような気がしました。
□そこで「脱・金太郎あめ」を目指して、仲間に呼びかけ、元新日鉄の副社長の戸田
健三さんを中心に始めたのが、「21世紀を考える会」です。平成元年、いまから15年
前のことです。
□月に1回集まって、人の話を聞いてみようということで、最初、20数人で始めまし
たが、走り出してみると、クチコミで来る人も増え、そして、毎月60〜70人が集まり
ます。それだけ日常の生活にはあきたらない「脱・金太郎あめ」を望む人が多いとい
うことです。
□「脱・金太郎あめ」といっても簡単なことではありませんでした。習った知識に縛
られて習った物差しでしか物事を見ることができない人間になっていたのです。「こ
れではいけない」と習った知識をいったん全部捨てようと試みたのです。捨てるのに
半年〜1年ぐらいかかったと記憶しています。しかし、頭の中のプログラムやメモ
リーが書き込んであるチップを捨てても、チップの跡形がいつまでも残っているよう
な感じで、跡形が消えて
しまうのには、さらに1年以上かかり、やっと白紙に戻ったような感じでした。□
いったん「頭のなかを白紙にする」と、それぞれの講師の話のポイントが、どんどん
頭の中に入ってきて、分野の違うそれぞれの話の、その底に流れる世の中の共通項が
本当に見え始めるのです。
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□「脱・金太郎あめ」は、幸之助のいう「素直な心」になることだと体得しました。
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MLNo.19
□経営の神さまといわれた松下幸之助が、こんなことをいっています。
□「わたしは、皆さんが、経営という仕事が好きであること、これがまず第1に大切 だと思う。というのは、経営が好きであれば、一時的にはわずらわしいな、困った な、と思っても、つぎの瞬間には、その苦労を乗り切るのが面白いんだ、ということ で、かえって勇気が湧いてくる。ところが嫌いだとそうはいかない。だんだんその苦 しさがつのってきて、頭が痛くなってくる。そして、もう自分はこの仕事から逃げた いな、ということになってきて、その仕事を全うすることができなくなると思うので す」 □「これは、経営に限らず、芸術とかスポーツなど、他の分野についてもいえること でしょうな。たとえば画家でも、絵をかくことが好きだから厳しい修行にも耐えるこ とができて画家になることができる。けれども、嫌いだとそうはいうない。しかも、 好きな人の中でも、すぐれた画家になれるのは、ごくわずかな人たちである。まして 好きでない人が秀でるということはまずありえないといってもいい」 □松下幸之助も自身も経営が好きで好きでしかたがなかっとというのです。 □「自分は、経営上の難問を抱えて、夜ねむれないこともあった、その結果、脈が結 滞することも一度や二度ではなかった、そして、これはかなわん、しんどいな。と思 うこともあった」 □「しかし、これが、自分の生き甲斐だとおもうと、つぎつぎと智恵も湧いてきて、 きのうはおいしくなかったご飯も、おいしくなってくるのだ」と、難問を乗り越える には経営が好きなことが、いちばん重要だというのである。 熱田善男です。 |
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MLNo.20
首都圏在住のみなさま、熱田善男です。
銀座駅前大学で、「松下幸之助の金銭哲学」と題して、幸之助の一生涯を語ります。 ご関心があれば、聞きにきてください。よろしくおねがいします。 10月3日(金)午後6時30分〜8時30分 ↓会費・案内図など http://gindai.info/enq.htm ↓銀座駅前大学のHP http://gindai.info/ |
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MLNo.21
今日、日曜日の午前中、10時〜12時、私もメンバーの1人である地元の勉強会
で、CDで松下幸之助の肉声を聞いた。声を聞いただけではなく、「堂々と儲ける」 という講話を聞いたのです。 企業は儲けなアカン、それは税金を払うため、高い高い税金を払うためだから、堂々 と儲けろというのである。こっそり儲けるのはとんでもない。赤字を出して税金を払 わないのもいかん。ある大企業が何千人もの従業員を使いながら、儲からないからな いと、税金を払っていない例を聞くが、従業員が通勤のタメに歩く道路は誰が作った のか、国や自治体が作ったが、そのお金は税金や。だから企業は儲けなアカン。 これを聞きながら、税金を払えない企業の従業員は、道を歩く時は遠慮しながら端っ こを歩いてもらわないといかんと思った。 熱田善男です。 |
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MLNo.22
新聞報道によると、松下電器は、総額1千億円を投資して、世界最大級のプラズマ・
ディスプレイ・パネル工場を、今年9月着工〜来年11月量産開始で、関西電力尼崎 第3火力発電所跡地に建設する。 幸之助の後、鳴かず飛ばずの社長が続いたが、中村社長になって、やっと幸之助の経 営哲学を本当に身につけた社長が出現したと言っていい。中村さんの就任後の経営に ついては、専門家もほめそやされているので、コメントしないが、今度の大型投資こ そ幸之助流の本物の経営ではないでしょうか。昭和8年に門真地区に、本社を中心に 大型工場郡を建設して、その後の大発展の基礎をつくったのに匹敵する快挙だとおも う。 水道哲学の基に、庶民が必要とする家電製品を、良質・安価に提供してきた幸之助の 遺志を継ぐ能力を備えた社長が出てきたのだ。 熱田善男です。 |
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MLNo.23
.. 新聞によると、松下電器産業は、平成16年度中に、資材・部品の調達コスト
を、連結べーすで、当初計画に対して約2,000億円(10.5%)程度圧縮する方針を打 ち出した。具体的には共同購入品目を増やし、部品の共通化を設計の段階までさかの ぼり大幅に減らす(850万種⇒85万種)。ドメイン(事業部)をまたいで、子会社も 含めて、徹底的にやるということである。 .. 松下幸之助は、難問に遭遇したとき、座標の原点に戻して、対策を立てるのを得 意としていましたが、この資材・部品の調達コストの削減は、幸之助の「原点」主義 を、そのままおこなっているように思える。 .. しかも、幸之助の「すぐやる」主義にも合っている。 .. やはり、中村社長は幸之助の再来か。 .. 熱田善男 |
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MLNo.24
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松 下 幸 之 助 の 研 究 ################################################################# 熱田善男です。 コンピュ−ターを開発途中で中止したことがあった。 .. この話は、次のようなことだったのです。 .. 正確に、昭和何年かは、覚えていませんが、当時は大型コンピュ−ターの時代 で、日本では、7社だったか8社だったかが開発競争に血祭りをあげていました。松 下電器産業も、何1000億円というお金を注ぎ込んで、やっていました。そのこ ろ、チェイスマンハッタン銀行の副頭取が来日されました。幸之助は面談の機会を作 り、大型コンピュ−ター開発に関して、意見を聞きました。副頭取は、「日本で、7 社も8社もは多すぎる」と言われました。幸之助は、「私もそう思っていた」と応じ ました。 .. 幸之助の凄いのは、翌日、会社に出て、関係幹部を集めて、「大型コンピュ− ター開発は中止や」と、鶴の一声。 .. 松下電器産業は大型コンピュ−ターへ出なかったと、世間では見下げて言う向き もあるが、こんなエピソードが合ったのです。 .. 物の開発に成功しても、商売としては過当競争の泥沼に落ち込み、大変なことに なると確信して、それまでに注ぎ込んだお金は捨てたほうが賢い、と、怜悧な判断 を、幸之助はしたのだった。 .. 損切り、とは、それまでにかけたお金を捨てて、その後もっと出てくる損を、防 ぐことなのです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ↓熱田善男がお勧めするメルマガです。 http://melten.com/m/16188.html |
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MLNo.25
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□このお話は、「算数教室だより」04年8月に載せたものです。オリジナルは、鈴 木秀子著「家族をはぐくむ愛の贈りもの」(モラロジー研究所出版)、これから、引 用したものです。(熱田) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ □私たちは、日々の生活の中で、人々と多くの言葉を交わし、ほほ笑みを交わしま す。ところが、その言葉やほほ笑みの積み重ねが、驚くほど大きな力をもっているこ とに、案外、気づいていないのではないでしょうか。 * * * □ニューヨーク大学付属病院の小児科病棟に、ナンシーという三歳の女の子が入院し てきました。彼女の身長と体重は、一歳児の標準しかなく、まるで体中が干物になっ たような痛々しい姿で、言葉も全然しゃべれませんでした。 □入院から三ヵ月を過ぎてもナンシーは、身体はどこも悪くないのに、まったく成長 しません。 □いろいろと調べていく中で、ドクターはナンシーの入院以来、彼女の両親が一度も 面会に来ていないことに気づきました。 □そこで、ナンシーの両親に面会に来るように呼び出しをかけましたが、いっこうに 来る気配はありませんでした。 □とうとう、ドクターは両親に会うためにナンシーの両親の家を訪ねました。 □ナンシーの両親は、二人とも若く、エリートコースの中でも最高といわれるハー バード大学大学院のビジネスコースに在籍中でした。そして、今手がけている論文の 出来上がりが今後の人生を決めるのだから、今が山場であると言い、ナンシーのこと を話す時間さえないような状態でした。 □やっとのことで話を聞くと、母親は次のように言いました。 □「この論文がうまくいけば、世界中のどこへ行ってもエリートとして受け入れられ ます。だから論文が通ったあとで子どもをつくりたかったのです。しかし、ナンシー は間違って生まれてきてしまったのです。初めのうちは、私たち もナンシーにミルクや食べ物をあげていましたが、今は面倒を見る暇がないので、も うちょっとあずかっていてください」 □この言葉を聞いたドクターは、黙ってその家を去りました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 愛の呼びかけ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ □病院に戻ったドクターは、ナンシーを病棟から出して、陽当たりがよく、人の行き 交う廊下にベッドを移動させました。そして彼女の頭上に大きなはり紙をしました。 …………私はナンシーです。あなたがここを通るとき、もしあなたが急いでいるなら ば「ナンシー」と呼んで、ほほ笑みをかけてください。 もしあなたに少しの時間があるならば、立ち止まって「ナンシー」と呼びかけ、私 を抱き上げ、あやしてください。 もしあなたに十分なゆとりがあるなら、「ナンシー」と呼んで私を抱き上げ、ほお ずりをして、あなたの胸と腕の温かさを私に伝えてください。そして、私と会話をし てください。…… □すると、そこを通る医師や看護婦は、みんな足を止めて、ほほ笑みながら「ナン シー」「ナンシー」と名前を呼び、抱いたり、あやしたりしました。 □一週間が過ぎたころ、ナンシーはほほ笑むようになりました。そして三ヵ月経った ころには、ナンシーの体重は正常な三歳児にほぼ近づき、言葉も急速に覚え始めたの です。 □ナンシーは、病院中が愛情をかける対象になり、周りの人たちもみんなが幸せな気 持ちになっていったのです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ □言葉やほほ笑みをかけることは、日常の小さい行いの一つです。私たちは誰でも、 このような優しい言葉をかけられたり、思いやりのある態度や暖かな笑顔に接すると 「うれしい」と感じます。この「うれしい」という喜びの感情こ そ、人間の生きる力の源泉ではないでしょうか。 ============================== 熱田善男 ┌──YA │\/│ BQZ12305@….com └──┘ ============================== ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ↓熱田善男がお勧めするメルマガです。 http://melten.com/m/16188.html |
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