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イラク: 村から男たちが根こそぎ拘束された

差出人: act63…さん
送信日時 2004/06/02 22:35
ML.NO [URUK_NEWS:0521]
本文:

※ 転送歓迎
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イラク情勢ニュース  2004年6月2日 水曜日  

[飛耳長目録]
  ☆新たな疑問: なぜ、どのように彼らは拘束されたのか?
       エレクトロニック・イラク イラク日記 2004年5月29日


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 ☆★新たな疑問: なぜ、どのように彼らは拘束されたのか?
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●On Their Way To Abu Ghraib
アブグレイブに収容される途上で  by Mike Ferner
エレクトロニック・イラク イラク日記 2004年5月29日 (訳)
http://electronicIraq.net/news/1532.shtml

 アブ・シッファ(イラク)発: どうしてこんなことが起こりえたのか? 
このところ、ほとんどすべての者がそう質問する。だが今では、アメリ
カ軍が何百人もの男たちをアブグレイブ刑務所から解放するなかで、
「そもそも、なぜ、こんなにも多くのイラク人がそこに閉じこめられてい
たのか?」という新たな疑問が議論になりはじめている。

 バグダッドから北に30マイルほど離れたこの農村での話は、その
疑問に多くの光を投じてくれる。

 2003年12月16日午前2時、雨の夜に、20戸あまりのアブ・シッ
ファのすべての家が米軍によって戦車とハンビー(軍用多目的車両)
で取り囲まれた。彼らは農民たちの畑を取り囲み、耕作地の塀を壊
した−−農民であるモハメド・アッ・タイは、拘禁された者の話を裏付
けるために村を訪れているクリスチャン・ピースメーカー・チーム(CP
T)の調査派遣団に、こう説明しはじめた。

 タイは話した−−米陸軍第4歩兵師団の兵士が、2人の弁護士と
15人の教員、盲目の男、警察幹部、10代の若者、弱って兵士に担
がれなければならない年老いた男を集めた。全部で83人の男たち
が、その夜、姿を消した。村にいる事実上すべての男性が。

 その夜のできごとの説明は続いた−−彼らは各戸のドア、各部屋
のドアを破った。夜には通常、寝室のドアは施錠されるため、彼らは
ドアを蹴破ったり、武器で破壊したりした。そのあと、彼らは男たちを
ひどく殴りつけながら集めた。ある年寄りは彼らに眼鏡をつぶされ、
そのために彼らはその老人の手を引かなければならなくなった。

 米兵たちがアブ・シッファ村への急襲作戦を終了する前に、彼らは
弁護士のイマドから1400万ディナール(1万370ドル相当)を盗んだ
−−とタイはつけ加えた。彼の父親カメルからも、彼らは450万ディ
ナール(3300ドル)を盗んだ。彼らはイラク人警察幹部のジアドから
も400万ディナールを盗み、他の家からも合わせて10万〜15万デ
ィナール(75ドル〜110ドル)を盗んだ。そして彼らは5台の車に分
乗した。勤務中に死亡した警察幹部に関係する2人は、のちに戻さ
れた。

 急襲作戦の理由はカイス・ハッタンを逮捕するためだった、とタイ氏
は説明し、ハッタンは翌朝アメリカ軍に投降する予定だったと補足し
た。その後のインタビューで、アブ・シッファ地区を担当する同師団第
1大隊の指揮官ネーサン・サッサマン中佐は、ハッタンは彼らの手下
だったが、彼が自発的に投降するか疑わしかったことを確認した。

 サッサマンの話では、ハッタンは捕捉されたサダム・フセインと一緒
に発見されたバース党の文書に名前が出てきたために、手配リスト
に載ったという。それから三日もせずにアブ・シッファが急襲された。
彼はハッタンのことを、バース党の5人の現地指導部の1人で、重要
人物だと説明した。

 サッサマン中佐の急襲作戦では、83人ではなく73人(全員成人)
が集められるはずだった。彼は部下が大量のIED(自家製爆破装
置)の原材料と兵器、1トンにもなる爆発物を保管する数エーカーの
集積地を発見したと話した。彼はまた、そのうち3人の拘束者は健康
上の理由で釈放したとつけ加えた。

 捜索していた人物が捕捉されたあとになって、なぜそれほど多くの
村人が集められたのかという質問に、彼は次にように答えた。アブ・
シッファと関係のある大量の兵器と爆発物がレジスタンスの中心であ
り、彼の基地がその地域から迫撃砲攻撃を受けた事実が実証された
のだ、と。

 CPTの調査派遣団は、モハメド・アッ・タイおよび数人の隣人から、
12月の夜明け前に村が襲われて以後の6週間にわたって、79人の
大人が面会の特権を受けることのないままアブグレイブに拘束されて
いた、と聞かされた。彼らは病気の拘束者が一人釈放されたと言っ
た。子どもは逮捕されなかったというサッサマンの主張とは対照的
に、タイは3人の子どもがバグダッドにある特別成年収容所アル・カ
ルフに移送されたと指摘した。

 農夫ともう一人の村人は、難しい状況だったとはいえ、面会が可能
だったと話した。それは容易なことではなく、行列はひじょうに長いう
えに、家族でさえも子どもたちから20フィートも離れた列の後ろに並
ばされた。

 拘束された弁護士カメル・フーマイスの妻ハニアは、悲しい口調で、
47日間も夫に会えなかったと補足した。私は挑んでみた。アブグレイ
ブに2度行ってみた。そして泣きながら追い返された。襲われた夜、
米兵は彼女の家の車を取りあげた。車のキーが彼女の手から剥ぎ
取られたとき、小指が折れて、まだ赤く腫れていた。

 アブ・シッファの男たち全員が連れ去られた急襲作戦は、その村を
襲った話のわずか一部分でしかない。

 12月16日の話をしたあと、アッバス・アブドワヒドが拡張家族の15
人と住んでいた空き家を手始めに、タイは調査団を村の一軒一軒に
案内した。その家には41歳の小学校教師と数人の農民が住んでい
たが、彼らは今アブグレイブにいる。煉瓦(レンガ)塀にあいた大きな
穴、屋根を突き抜ける太陽の光、ブラッドリー戦闘車両から家の角に
押しつけられて潰されたオレンジと白色のタクシー、それらは大晦日
の夜に米軍から2度目の急襲を受けたアブ・シッファの状況を声もな
く思い出させる。

 タイは言った−−今度は男は誰も逮捕されなかった。一人も残って
なかったから。再度やってきた目的は、ブラッドリーの砲手が25ミリ
機関砲と7.62ミリ機関銃の火ぶたを切ったとき明らかになった。日
干し煉瓦とセメント・ブロックでできた家に大小の穴が開いた。

 1月2日に米軍がまたやってきた。タイは私たちに、もう一軒の空き
家の裏側を見せてくれた。そこには4人の兄弟が住んでいたが、今
は全員アブグレイブにいる。ハミス、アブド・カディル、モハメド、ジャシ
ムの4兄弟が住んでいた家まで、ブラッドリーの轍(わだち)がまだ見
える形で残っていた。

 タイは、前回の急襲と同様、レジスタンス勢力は誰もいなかった、と
話した。もう一度、兵器の威力を見せつけたあと、米兵は立ち去っ
た。住めなくなった家、ペチャンコにされた離れ、25ミリ砲弾の包装
の山、撃たれて蝶つがいが外れた鋼鉄製のドア、銃弾で開いた穴か
ら出るひどいサビとシミ、これらがその夜の暴力を物語っていた。一
人の村人が、米兵が彼らに月の表面のようにしてやる−−耕作には
不向きで、ちょうど砂漠のような−−と警告したと話した補足したと
き、CPT調査団は理解した。

 米軍はなぜ二度も戻って家屋を壊したのかという質問に、第1大隊
の上級参謀ロブ・グウィンナー少佐は、その家はまだ人が住めたか
らだと反論した。そうした家に住民は生活している。彼の上官である
サッサマン中佐は、2度目以降の急襲はアブ・シッファ地区から米軍
基地に迫撃砲攻撃があったことへの反撃だと主張した。ペンタゴンの
犠牲者報告は、1月2日に、28歳のエリック・パリウォダ大尉が第1
大隊の基地で迫撃砲攻撃のために殺されたと述べている。

 アブグレイブの収容者への虐待は、ジュネーブ条約に関する痛まし
い教訓を世間に提供した。私たちはその教訓につけ加えることがあ
る。人々がどのように駆り集められ、アブ・シッファのような場所で家
屋がどのように壊されているのかということだ。どちらも条約に違反し
ており、違反することは禁止されている。

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 ファーナー(Mike Ferner)は今年、前回戦争前の取材から以後の進
展を記事にするため、<荒野に呼ぶ声>のメンバーと一緒に2ヶ月
の期間イラクに戻った。ベトナム戦争に海軍病院衛生兵として従軍し
た彼は、平和を求める退役軍人のメンバーであり、元トレド市議会議
員である。

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