私が臨床経験から感じるクオリアとは、決してニューロンの時空的発火パターンでないように判断されるので、そのことを書いてみたいと思います。
カウンセリングを行っていて感じたことです。
不登校の子どもに楽しかった頃のその子どもの写真を見せて、その子どもからその写真にまつわるいろいろな楽しい話を聞き出せました。子どもは楽しそうに自分の説明をしてくれました。そのカウンセリングの際に、ひょっとしたことから、その子どもが学校を認知するようなことがおきました。すると子どもの表情がさっと変わり、子どもの動きがさっと変わり、写真をびりびりに引き裂いてしまいました。その子どものしたことはそのままにして、子どもと別な話を始めると、まもなくして子どもは別の話に乗ってきて、楽しく話すことができました。その際に平気で破った写真をきちんと並べ替えて見つめていました。後ほど、なぜその写真を破ったのか尋ねたところ、その子どもは「ただ無性に、自分に腹が立って、破りたくなったから破っただけだ」と答えました。子どもの記憶には、短期記憶は残っている段階で、学校を意識したことは残っていませんでした。
この子どもの行動は、いろいろに理解されるでしょう。私は子どもが自分の写真を見て、自分のあらゆる物を思い出し、自分について感じ取っていたと思います。それこそクオリアであろうと思います。そのクオリアが、当の子どもが意識しないようなことで、変化をして(この際に、脳内の脳神経細胞の発火が変化したはずと言われるでしょうが)、自分の概念を攻撃してしまった事実。また、その認知はしたが、意識しないようなことが無くなったら、自分についてのクオリアが元に戻ったという事実。この間に大脳新皮質の中での神経細胞の自分に関する発火は殆ど変わっていないと思われます。大きく違うのは情動です。学校という情動刺激で情動が大きく変化したために、自分についてのクオリアが、喜びと表現できるような物から、怒りの対象に変わり、又喜びのような物に戻ったという事実は、クオリア自体が大きく情動の影響を受けるような物であることを示唆していると思います。
赤沼