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クオリア問題という問題構成を新たにすること

投稿者:kokinさん  2008/11/02 07:26  MLNo.9478   [メール表示]

野元です。おはようございます。

クオリア問題において、どこまでが序段(序章)なのか、桜里さ
んと私とでは、その線引きの仕方が異なるようですが(笑)、こ
のMLもそろそろ10000の投稿を迎えようとしているわけな
ので、クオリア問題の「序」というものがどのように設定される
べきか、といった点なども含めて、何らかの整理(自分なりのま
とめ)のような作業をしておきたいと思います。第一章を迎える
ためには、序の整理が必要なのではないでしょうか。まとめを踏
まえた上で、その後やるべきことは、クオリア問題という問題構
成を新たにすることだと思われます。

ベルクソンやドゥルーズが重要視したのは、<解>ではなく、<
問い>なのだということ、<問いの設定>の仕方、<問題構成>
そのものだということでした。ドゥルーズの主著『差異と反復』
においては、「〜とは何か」という問題設定はまったくなされて
おりません。彼の方法論は、「〜とは何か」に対する「解」では
なく、哲学のドラマ化(劇場化)です。今、要請されているのは、
クオリア問題のドラマ化なのかもしれません。(カントの「図式」
に相当するドゥルーズの「ドラマ化」について詳しく知りたい方は、
『無人島1953-1968』P195(ドゥルーズ、河出書房新社)を参照
してください。)

問題構成については、以前、[qualia:8808「問題の再構成が必要
だ」http://www.freeml.com/qualia/8808
で述べましたが、今となっては、不十分な問題構成のような気が
します。さらなる吟味が必要です。

今日は、物質(あるいは生命)を通底する本源的な特性としての
<自発性>から書きはじめて、対象世界における記号性の問題、
言語の発生などを経て、最近、投稿した言語の問題(萬葉、古今
の時代における脳の変容など)に至るまでのまとめを書こうと思っ
たのですが、かなりの長文になりそうなので、やめることにしま
した。おそらく、このようなこと(問題の整理)はそれぞれがそ
れぞれの立場でやればいいことなのでしょうから。




しばらくの間、投稿を休みことにしました。またそのうちにお会
いしましょう。ときどき、顔を出すかもしれません。今後とも、
このMLが有意義なものであることを期待します。



 読み込み中...

  • MLNo.9483   umasica :桜里さん  (40) 2008/11/05 22:10  [メール表示する]
    野元様


    「クオリア問題という問題構成を新たにすること」
     (MLNo.9478 http://www.freeml.com/qualia/9478)
    によれば、

    >しばらくの間、投稿を休みことにしました。
    >またそのうちにお会いしましょう。
    >ときどき、顔を出すかもしれません。
    >今後とも、このMLが有意義なものであることを期待します。

    とのことでした。

    その決断を高く評価いたします。


    かつて私は、
    野元さんの「エクリチュール脳」という思い付きを前に、
     ↓ ↓

    文字言語において顕著なことのひとつは、
    その「編集可能性」であろう。
    いわゆる「推敲」という行為である。

    もちろん、
    音声言語においても既に、
    「ああでもないこうでもない」という形での思考は可能なのであり、
    そこに、
    思考の編集可能性をもたらすツールとしての言語、
    は存在していたわけである。

    しかし、音声言語はその特性上、
    現れた瞬間に消え去るという意味で定着不能であり、
    思考を対象化することにおいて、
    後に出現する「エクリチュール」としての文字言語に比較すれば、
    大きな弱点を抱えていた、と考えることが出来る。

    文字言語においては、
    思考は定着可能であり、
    その対象化の可能性の上に、
    音声言語とは比較にならぬほど大きな、
    編集可能性という事態が成立する。

    要するに、そこでは、
    その時点での自らの思考が、
    視覚を通して、
    対象化可能になり、
    繰り返し参照化可能になるのである。
    自らの思考が外部存在となるのだ。

    そこに音声言語から文字言語への飛躍がある。

    「エクリチュール脳」として設定される脳の状態を考える上で、
    どちらに焦点を合わせるのかが問われるだろう。
         (飛躍なのか連続性なのか)


    もちろん、思考を外部化することにより達成されるのは、
    自身による批判への大きな可能性である。
    「編集」は、自身への批判行為そのものなのである。
    書き連ねられた自身の文章を前にして、
    自己陶酔という事態に陥る時、
    編集可能性=推敲という行為は忘れ去られ、
    自己陶酔の記録が、
    永遠に参照可能なものとして残されてしまうのだ。
    「エクリチュール」オソルベシ!
     (MLNo.9388 http://www.freeml.com/qualia/9388 
                             2008/09/05 12:33)


     ↑ ↑
    と書いたものですが、覚えておいででしょうか?



    今後は、じっくり時間をかけて、
    徹底した推敲の上に、
    説得力ある論を構築なさって下さい。

    不用意な表現の排除から始めて、
    論理的破綻の有無、引用の適切性などの確認を怠ることなく、
    ご自身が何を主張したいのか、
    何よりそのことをご自身に問うことを忘れずに、
    常に表現としての妥当性に留意しながら、
    新たな論の構築を目指していただくことが出来れば、
    「このMLが有意義なものであること」への野元さんの貢献も、
    確かなものとなることでしょう。




    実は、このところ、MLの過去の投稿を読んでおりました。
    どこまで遡っても、
    どのような批判も、まったく理解しようとしていないように見える、
    野元さんのタフネスは驚異的でした。

    その中で、
    2年前の沖野さんの投稿に、

    >矛盾点は探しますよ。
    >矛盾があったら議論が成り立っていないということですからね。
    >むしろ議論することの本質は
    >矛盾点を探し出す行為だと言えるかもしれないと思うくらいです。
    >前も言ったように、ボク自身の話に矛盾があれば
    >それは論理的に指摘してもらいたいと思います。
    >自分の考えを言い、
    >その矛盾点をあぶり出してもらい、
    >そしてそれが部分的な矛盾であればそこを修正する、
    >ということで理論は発展するのだと思います。
    >ボクは
    >野元さんの考えの何もかもを否定しているつもりはないのですが。
     (MLNo.7888 http://www.freeml.com/qualia/7888 
                             2006/07/15 16:16)

    という言葉を見つけました。

    この姿勢は、私も共有するものです。
    そして多くの参加者にも共有されているように思えます。
    別に野元達一氏に対し、
    個人的に恨みを抱く人間は、ここには、いないでしょう。
    しかし、
    不用意な思いつきの羅列でしかない投稿を歓迎する人間もいない。
    そのことだけはご理解していただきたいと願っております。



    最後に私からプレゼント。
     ↓ ↓
    【MAD】 キタキタ最強NO.1 完全版 【魔法陣グルグル】
     (http://jp.youtube.com/watch?v=taV3l3XoJVA&feature=related)



    では、いずれまた。お元気で。


               以上、umasica :桜里、でございました。







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