クライスラー(
Chrysler LLC)は、
アメリカ合衆国の
自動車メーカーで、
ビッグスリーの一角。2009年4月30日に
連邦倒産法第11章の適用を申請したが、同年6月1日に米破産裁判所がクライスラーが提出した再建計画を承認し、破産申請からわずか1カ月での「スピード再建」を果たした。再編後の新クライスラーは「ジープ」など優良事業や資産を引継ぐ。また株主には、全米自動車労組(UAW)とフィアット(伊)、米政府が就く。
概要
設立
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1925年6月6日に
ウォルター・クライスラーが前年に発表した6気筒エンジン自動車
クライスラー・シックスを製造販売する会社として、当時のマックスウェル、チャーマーズ両社を統合の上に設立した。
その後、
1928年に「
プリマス」と上級車種を擁する「
デソート」
ブランドを設立、翌
1929年には
ダッジ・ブラザーズ社を買収してラインナップを充実させ、GMとフォードに次ぐアメリカの
ビッグ3のひとつに成長する。またこの頃より
ヨーロッパや
日本への輸出を積極的に行い、その販路を拡大した。
先進技術の導入
設立後よりフレデリック・ジーダー(Frederick Zeeder)らの有能な技術者を擁し、クライスラーは技術面でGMやフォードに先んじた姿勢を取っていた。大衆車では例がなかった4輪油圧
ブレーキシステム、「フローティングパワー」と呼ばれる新方式のエンジンマウント、木骨を使わない全鋼製ボディの採用、エンジン位置を前進配置させて直進性を高める重量配分、油圧式パワーステアリングなど、1920年代後期から1950年代までにクライスラーが市場に先駆けて導入・実現した重要な新技術は非常に多い。
その自負のもと、
1930年代初頭には、先進技術(前傾型重量配分、スケルトン構造ボディ)と流線形の斬新なデザインを合わせた新型車「エアフロー」を導入したが、先進的過ぎたために市場に受け入れられず、商業的には成功できなかった。しかしこれ以降アメリカやヨーロッパ、日本では流線形のデザインが主流となっていく。
パワーステアリングやエアバッグを初めて導入している。
第二次世界大戦
1930年代には
戦車や
ウエポンキャリアなどの軍用車の製造にも進出した。以後軍用車部門は同社の収益の多くをあげる重要部門に成長し、
第二次世界大戦中は戦争特需で同社の経営の安定に大いに貢献した。
また、第二次世界大戦中は一般向けの乗用車の開発が中止され、新車の販売も極度に制限されたものの、終戦後の
1940年代後半は、帰還兵による特需で乗用車の売り上げを伸ばした上に、
1950年に勃発した
朝鮮戦争による特需で、再び軍用車部門の売り上げが増えることとなった。
ヘミエンジンとモパー
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1950年代に「
ヘミエンジン」と呼ばれる高性能エンジンを導入し、
NASCARなどのアメリカ国内の
モータースポーツに積極的に参加。
マッスルカーの流行につれ、これらの車は
Mopar(
モパー/モゥパー)の愛称で親しまれ、クライスラー
ブランドの高性能なイメージを市場に植えつけることに成功した。
またこの頃は、アメリカ経済が絶頂期にあり年々販売台数が伸びていたことや、輸入車との販売競争もほとんど存在しなかったもあり、
テールフィンがつき、高馬力エンジンを積んだ利幅の大きい大型車(
フルサイズ)が人気を博し、高性能な大型車が得意なクライスラーにとっての絶頂期でもあった。
拡張路線
この頃、クライスラーを率いていたリン・タウンゼンド(Lynn Townsend)の元で
1960年代初めには、まず
スペインの商業車メーカー、
バレイロスの経営権を掌握、続いて1963年に
フランスの
シムカを強硬な資本介入で乗っ取り、さらに1967年には
イギリスの
ルーツ・グループを買収し、これら3社を「クライスラー・
ヨーロッパ」として組織し、フルラインナップでの展開を行った(これらは
1981年に
PSA・プジョーシトロエンへ売却)。
これらに先立つ
1960年には、
オーストラリアに生産拠点を設けた(のちに
日本の
三菱自動車に売却)他、既に現地で生産を行っていたシムカの設備を利用して
ブラジルでも
トラックを含むフルラインナップの生産を開始するなど(
1980年に
ドイツの
フォルクスワーゲンに売却)、本格的な世界進出を開始した。
経営危機
しかし、これらは「負け組連合」と称されたような各国の弱小メーカーの寄せ集め的な買収の繰り返しであり、吸収合併による合理化やスケールメリットすらもたらすことのない有様であった。
また、日本やドイツの小型車との競争が激化するにもかかわらず、当時アメリカ国内で行われた無理な生産拡大が、結果的に品質低下と販売不振による過剰在庫、
リコールの多発をもたらした。
さらに
1979年に起きた
イラン革命以降の第二次石油危機と、その後の石油価格の上昇を受けたアメリカ国内における日本車の急激なシェア拡大、それに反比例した利幅の大きい大型車の販売不振が追い討ちをかけた結果、
1970年代後半には深刻な経営危機となり、運営資金が枯渇する状況に陥った。
アイアコッカ時代
経営危機の真っ只中の
1978年に、フォード・モーターの社長をつとめていたものの、同社会長のフォード2世との対立から同年に解雇の憂き目にあっていた
リー・アイアコッカが新たに社長に就任した。
1979年にアイアコッカは、連邦政府と議会から
ストックオプションと引き換えに、15億ドルのローン保証を得ることに成功した。
しかし、アイアコッカの就任直後に運営資金が底をついたことから、第二次世界大戦以前より同社の収益の大きな柱であった軍事産業部門の売却を余儀なくされた他、大規模な人員削減を行うなど、苦難の時を迎えることとなった。
しかし、アイアコッカの就任後より開発を進め、
1980年に早くも発売を開始した
前輪駆動の小型車「Kカー」シリーズの導入と、全ラインナップの小型化、前輪駆動化の推進や、
1984年に販売された
ミニバンの導入、肥大化した組織の見直し、海外拠点や子会社を含む不採算部門の売却や閉鎖などの大々的な改革を行い、
1980年代半ばには、数年前までは倒産寸前だった同社を完全に立て直すことに成功した。なお、
1987年には黒字化を達成した。
1987年には、アイアコッカの指示のもと当時
フランスの
ルノー傘下で、「
ジープ」ブランドを所有するアメリカ第4位の自動車会社であるAMC(
アメリカン・モーターズ)を買収したが、AMCが深刻な販売不振に陥っていたこともあり、シェアにおいてビッグ3の他2社を上回ることはできなかった。
しかし、同社の販売網を組み込むことでアメリカ国内の販売網が拡充した上に、同社が展開していた「
ジープ」ブランドの各車は、その後クライスラーに大きな売り上げをもたらすことになる。
他社との提携
AMC買収に先立つ
1985年には三菱自動車と提携し、「ダイアモンド・スター・モータース(DSM)」を設立した。
1988年から
イリノイ州に建設した工場で共同生産を開始し、「イーグル」ブランドなどで発売された。また三菱自動車が日本で生産した小型車をクライスラーやダッジ、イーグルのブランドで販売した。
その後、
イタリア系のアイアコッカの指示のもとで、アイアコッカの友人で
アルゼンチン系イタリア人の
アレッサンドロ・デ・トマソが経営するイタリアの
高級車メーカー・
マセラティとも提携し、
1988年には共同開発した高級2シーター車「TC」を少数生産した。また同時期にはイタリアの高級自動車メーカーである
ランボルギーニを買収した。
1990年代には
オーストリアのシュタイヤー・プフ(現
マグナ・シュタイヤー)がチェロキーとグランドチェロキーの生産を開始し、再び
ヨーロッパ市場に進出した。ちなみに、
三菱自動車は
ギャランΣや
エテルナΣ、
デボネアなどの中型車に搭載していた
サイクロンV6を供給した。
その後
1992年にアイアコッカは引退したものの、
1994年には、三菱自動車などとの提携から学んだ小型車開発のノウハウを生かして、最低価格が1万ドルを切る安価な小型車「
ネオン」を開発し話題を呼んだ。同車はその後「日本車キラー」と呼ばれ、アメリカ市場で人気を博した。
「ダイムラー・クライスラー」時代
1998年に、
ドイツの
ダイムラー・ベンツ社と合併して
ダイムラークライスラー・AGとなった。この合併は対等合併ではあるが、事実上ダイムラーによる買収であった。しかしながら合併後、メルセデス・カーグループとクライスラー・グループの両方で好業績をあげたのは初年度だけで、以後はどちらかが不振に陥っている。
クライスラー・グループに関しては一時、「
PTクルーザー」や「
300C」などの予想外の好調な販売に助けられた時期があったものの、中・大型車中心のラインアップが災いして、
イラク戦争後の深刻な原油高の影響で再び業績低迷に陥った。2006年決算では営業損益の赤字が11億1800万ユーロ(約1770億円)に達した。
サーベラス傘下へ
2007年5月、ダイムラークライスラーはクライスラー部門をアメリカの投資会社
サーベラス・キャピタル・マネジメントに株式の80.1%を55億ユーロ(約9000億円)で売却し、クライスラーは新会社「クライスラー・LLC」となった。
2008年に
世界金融危機が本格化すると、クライスラーの資金繰りは完全に行き詰るようになった。アメリカ政府はクライスラーの倒産を防ぐために、つなぎ融資として40億ドルを提供した。アメリカ政府は更なる追加融資の条件として、クライスラー経営陣や
全米自動車労働組合(UAW)に、4月末という時期を区切って、提携相手候補の
フィアットや債権者団との間で、債務(
レガシーコスト等)削減の交渉をまとめるように通告した。
倒産直前の2009年4月末、ダイムラーは残りの株の全持分をサーベラスに売却した。
最後の数日間の間に、アメリカ政府はさらに追加融資として5億ドルを提供した。
経営破綻、フィアット傘下へ
クライスラー経営陣、全米自動車労働組合(UWA)、フィアット、債権者団などの間で、有担保債務(工場や不動産等)69億ドルの圧縮、医療保険基金への支払い義務の106億ドル削減等の交渉が続けられたが、債権者団のうち少数の中堅
ヘッジファンドなどが最後まで条件を受け入れなかったために、交渉は時間切れとなった(クライスラーとフィアットの提携交渉はまとまった)
[優良ブランド集め新会社 クライスラー、再建へ債務圧縮、ブルームバーグ2009年5月2日]。
アメリカ時間
2009年4月30日、クライスラーは
連邦倒産法第11章の適用をニューヨーク市の破産裁判所に申請した
[クライスラー、破産法申請を発表日本経済新聞、2009年5月1日]。
破産法手続により、大株主サーベラスが保有する株式は事実上失効し、新たな持ち株比率は、全米自動車労働組合(UWA)が55%、フィアットが20%、アメリカ政府が8%、カナダ政府が2%となった。フィアットは将来的に持ち株比率を35%まで引き上げることが可能で、さらに、米政府から受けた公的資金を完済すれば、発行済み株式の最大51%を取得して子会社化できる条項も盛り込まれた
[<クライスラー>フィアットが株式20%所持、毎日新聞、2009年5月1日]。
クライスラーのナルデリ
最高経営責任者(CEO)は1ヶ月〜2ヶ月後の法的手続き終了時に辞任し、新たに、政府とUAWから6人、フィアットから3人の総勢9人で構成される
取締役会が新生クライスラーの経営を指揮する。新生クライスラーは、アメリカとカナダ両政府から総額100億ドル(約1兆円)余りの公的資金と、フィアットから小型車開発などの技術支援と経営・開発面での人材支援を得て、経営再建を目指す
[出典同上]。また、5月4日までにアメリカ国内22カ所すべての工場で当面操業を停止すると発表
[クライスラーが4工場休止 週明け米全工場に拡大へ、産業経済新聞、2009年5月2日]。
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