引退(いんたい、英:retirement)とは、
官職や
地位等から退いたり、スポーツ選手などが選手としての身分を離れたりする事である。プロスポーツ選手の他、スポーツを行っている
学生・
生徒らが最終学年となって高校・大学受験・就職活動等で試合出場の機会が無くなり、所属する
クラブや
部活動から離れる事も引退と呼ばれる。
また、
鉄道の
車両などが役割を終えたときも引退と呼ぶ。
プロスポーツの場合、あらかじめ引退が予告される事があり、その場合、
引退試合とされることがある。
大相撲の引退においては取組としての引退試合はなく、引退宣言後の
断髪式が有名である。
スポーツ
プロ野球
プロ野球選手が引退する際、その手続きには次のような種類がある。但し、引退の為ではなく、
移籍、傷病の治療等を前提にこれらの措置が執られる場合がある。
任意引退
原則として契約期間中又は保留期間(契約更改の為の期間)中、選手の希望により
[日本プロフェッショナル野球協約第59条]行う引退のことを言う。
現在では任意引退とは日本のみならず世界各国のプロ野球に所属することが出来なくなるが、
野茂英雄が
メジャーリーグに移籍した際にはまだ他国のプロ球団については規定がなかった為、日本において任意引退選手となって移籍している。この他に練習生制度があった時期には、長期間の故障やマイナーリーグに野球留学をする際に一度任意引退選手公示された者もいる。
任意引退した選手が現役に復することも可能であるが、原則として任意引退は選手の希望によるものであるため、プロ野球界に復帰する場合には最終所属球団に復帰しなければならず、他球団に復帰する場合には最終所属球団の許可が必要である。例えば前述の野茂についてもメジャーリーグを引退した現在も日本球界に選手として復帰するためには最終所属球団である
近鉄バファローズを引き継いだ
オリックス・バファローズの許可が必要である。
また、純粋に選手からの希望ではなく球団との合意の上で余力を残して引退し、監督・コーチへ就任する場合や功労選手に対する慰労・敬意の表れとして自由契約ではなく任意引退とすることもある。
なお、プロ野球選手であった者が
アマチュア野球の選手・指導者に転身するためには最終所属球団からの自由契約となる必要があるため、任意引退後に改めて自由契約公示がなされる場合がある。アマチュア野球の指導者となるために任意引退選手から自由契約公示がなされた例としては
1979年に任意引退となった
外木場義郎(
2004年に
広島東洋カープから自由契約公示)、
1985年に任意引退となった
定岡正二(
2006年に
読売ジャイアンツから自由契約公示)などの例がある。
自由契約
日本プロフェッショナル野球協約(以下、野球協約)の規定により、球団との契約を解除されたり、球団が保有権を失った選手のことを「どの球団も自由に契約できる選手」ということにより自由契約選手という。この自由契約選手になることそのものが即座に引退に直結するものではなく、いずれの球団であっても自由に契約を結べる選手であるということに過ぎない。しかし、他球団も含めて何れかの球団との契約を結べなかった場合には実質的に引退することになる。なお、ひとたび契約締結できずに翌シーズンに入り、実質的に引退となった場合であっても何れかの球団と契約を結ぶことで現役に復することもある(2003年シーズン終了後に
中日ドラゴンズから自由契約公示が為された後、2004年シーズン途中にオリックスで復帰した
栗山聡など)。
一番多い形態としては保留選手名簿に記載されないことによる自由契約である。日本プロ野球においてはシーズン終了後に球団が次年度も引き続き契約する意思のある選手のリストである保留選手名簿をコミッショナーに提出し、12月2日にコミッショナーはこれを公示するが、この名簿から外れた場合、自動的に自由契約選手となる。なお、各球団はこの保留選手名簿の提出、コミッショナー公示に先立って当該選手に対して次年度は契約を結ばないことを告げる
戦力外通告を行っている。これはプロ野球選手会との協定によるもので、保留選手名簿の公示が為される12月2日以前にトライアウト、入団テストなどが行われることが通例である為、公示までに契約を結ばないことを明らかにすることで当該選手が翌年も他球団に所属できる可能性を残す為である。
また、自由契約選手公示を行うことはシーズン中であっても可能であるが、その場合にはトレード禁止期間であってもこの自由契約選手公示を行うことで実質的にトレードが行えるようにならないよう、自由契約選手公示に先立ってウエイバー公示
[日本プロフェッショナル野球協約の原文による。ウエイバーとは権利放棄(waiver)の意であり、一般的にはウェーバーと表記される。]が為される。この公示が為された後の7日間、下位球団から順に当該選手の契約譲渡を受ける権利を有することになり、どの球団も契約する意思を示さなかった場合に限って自由契約選手となる。
なお、英語においては自由契約選手もフリーエージェント(Free Agent)と表記されるが、これはいわゆるフリーエージェント制度によるものとは別個のものである。
失格選手
失格選手とは野球協約により、日本野球機構の構成員(選手は言うに及ばず、監督、コーチその他の職も含まれる)たる資格を失った選手を言う。失格選手には有期、無期、及び永久の三つがあるが、このうち永久失格選手は原則として処分が永久のものであり必然的に引退を余儀なくされる。永久失格となる要件としては、所属球団を故意に敗れさせる
敗退行為などが挙げられており、これにより引退した例としては
1969年から
1971年の間に起こった
黒い霧事件によって永久失格となった6人の選手がある。永久失格は一般には永久追放といわれることが多い。
なお、2005年までは永久追放された場合には現役に復する余地がなかったが、2005年の野球協約改正により、処分より15年が経過し、改悛の情が認められる者については処分を未来に向けて解除する条項が新設されたため、現在では失格選手となった場合であっても現役に復する余地はあるが、これにより現役に復した選手はいない(現実問題として、15年のブランクを経て現役復帰できる実力を維持しているケースはほとんどありえない)。
また、無期失格選手となった場合も資格を失っているのであるから、必然的に引退を余儀なくされる。これにより引退した例としては失踪した
高山忠克、
バール・スノーなどが挙げられる。ただし、無期失格選手の場合、
野球賭博などに関連していなければコミッショナーの判断により失格を解除できることから、現役に復する可能性はあるが、これにより現役に復した選手はいない。
支配下選手登録抹消
支配下登録にある選手がそのまま死去した場合、支配下登録を抹消する。これは当該選手がすでに死去している為の措置であり、引退とはやや趣旨の違うものである。
大相撲
大相撲においては、現役
力士として
取組に挑むことを辞めても、引き続き角界に身を置く場合を「引退」と表現し、現役を退き
角界に残らない場合や、親方が
定年前に角界から離れる場合を「
廃業(はいぎょう)」と呼んでいた。
公式には
1996年(
平成8年)
11月17日以降、その後の去就に関わらず現役を退くことを「引退」、親方を
定年前に辞めることを「
退職」と表現するように改めた。そのきっかけは、同年10月に現役中だった
旭道山和泰が突如
衆議院議員立候補を決意、当時の
境川理事長(元
横綱・
佐田の山)に廃業届を提出したからであるが、その時の「廃業」の語感・イメージが悪いからとされる。
幕内を30場所以上務めた力士に対しては
引退相撲が行われる。力士の
後援会等が主催し、ふれ太鼓、
相撲甚句、髪結い実演等、1日に渡って盛大な催しとなる。その内最も有名なものが
断髪式で、力士の大銀杏を交替で多数の人々(数百人規模になる事がある)が少しずつ鋏で切り取り、最後に師匠(何らかの理由で不可能な場合は一門を代表する親方などが代わって行う。詳細については
断髪式の項を参照のこと)が
止め鋏を入れて完全に切り取る儀式である。また横綱の場合は断髪前に最後の
横綱土俵入りを行う。また、現役時代の好敵手や息子を相手にして実際に相撲を取ることもある。なお、プロ野球に見られるような「引退を公表した上で『引退試合』と銘打った公式戦に出場」ということは大相撲ではありえない。これは「死に体になった人間が出るのは相手に失礼」ということからであり、
大鵬や
小錦などの例が有名である。
琴ノ若や
潮丸のように師匠の定年をもって引退して部屋の後継者になることが確定している場合でも、実際に引退表明するまでは決して「師匠の定年で引退」とは公言しないのが普通である。
行司でも定年退職すると引退相撲が行われることがある。特に
立行司は
軍配を次の立行司に継承させる儀式を行う為に開催することが多い。
サッカー
サッカーの場合、引退と定義する一つのケースとして
日本サッカー協会への選手登録を取り消した場合が挙げられる。これは野球と違いプロとアマチュアの垣根が低い為であり、
日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)以外の国内クラブでの活躍により再びプロ選手となる事もよくあるからである。
選手が引退をするケースには、本人の意思により契約を更新しない場合と、所属クラブから
11月末までに来季契約をしないという通知(いわゆる「0円提示」)が出される場合がある。前者はプロ野球における「任意引退」、後者は「自由契約」に類似するが、保有権は生じない。
選手によってはその後、日本サッカー協会による「移籍リスト」に掲載されて
トライアウト等により自由に所属先を探すことになるが、リストの有効期限内に引退となるケースも多い。又協会への登録は残したまま所属不定の為に事実上「引退」となるケースもあり、翌年のトライアウトには「所属なし」の選手として参加する事も多く見られる。
プロバスケットボール
プロバスケットボールの場合、
日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)と
日本バスケットボールリーグ(JBL)が存在し、それぞれ引退の定義が異なる。
bjリーグの場合、選手契約が満了あるいは解除となり、競技を続行する意思がない場合に引退とされる。
JBLの場合は引退選手リストに登録される、あるいは移籍選手リストに登録されて移籍先が決まらなかった場合に引退とされる。ただし引退選手リストに登録されても海外移籍など現役を続ける場合もある。
プロボクシング
プロボクサーの場合、
JBCによるプロ
ライセンスが失効となった時点で引退となる。ただしJBCライセンスが失効した場合でも海外でライセンスを取得した場合は当該国での試合が可能になる。
プロライセンス失効となるケースは以下の通り。
-
「引退届」が受理された場合。
-
原則的に37歳となった場合。
-
* 2001年のルール一部改正により、現役のチャンピオンは王座から陥落するまで、また、トーナメント戦に出場している者はそのトーナメントで優勝・敗退するまでライセンスの失効は猶予される(最初に適用された選手は寺地永)。
-
* 2003年のルール一部改正により、WBA、WBC認定の世界王者、OPBF認定の東洋太平洋王者、あるいは日本王者となったキャリアを持つ者、WBA、WBC認定の世界タイトル挑戦経験者、そして現役の世界ランカー(WBA、WBCの15位以内)に限り、37歳を過ぎても試合に出場することができる。ただし、この特例の申請はその選手の最終試合から5年以内とし、コミッションドクターによる特別診断をパスすることが条件となる(特例を適用された選手には西澤ヨシノリ、リック吉村らがいる)。
-
網膜剥離や脳内出血など健康上重大な問題が発覚し、JBCから引退勧告を受けた場合。
-
* ただし、網膜剥離の完治者については、厳重な医療診断の上で、世界戦または世界戦に準じる試合のみ出場が可能(辰吉丈一郎がこの特例を受けた)。
-
JBCルールに違反し、日本国法律に抵触し、その他ライセンスを交付される資格に欠けると裁定された場合。
世界王座経験者など一定の功績を上げた選手は、ライセンス失効後に引退式と称して
エキシビションマッチが行われる。
引退を表明しても「引退届」を提出せず、ライセンスの期限を待つ選手や、ライセンス更新は続けているものの試合出場はなく実質引退となっている選手も少なくない。
また、一度ライセンス失効になって引退となった場合でも、JBCがライセンス再付与を認めれば現役復帰が可能となる。
競走馬の場合、
日本中央競馬会 (JRA) では競走馬登録を抹消した時点で引退となる。
引退式については、
#
GIを勝利した馬
#
牡馬・
騙馬で
重賞を5勝した馬
#
牝馬・障害競走で重賞を4勝馬
# 以上いずれかの条件を満たした馬と合同で引退式を行う場合(
シービークロスが有名)
など、競馬発展に多大な功績を残した馬で希望すれば競馬開催日に行うことができる。ただし、引退式にかかる経費は
馬主の負担となる。
騎手の場合、騎手免許取消願が受理された時点で引退となる。
定年制は設けられておらず、引退は体力の限界を判断した場合、成績低迷により騎手としての収入が少なく生活の維持の為には収入が安定する調教助手への転向が必要と判断した場合など、自らに委ねられる。
中央競馬の
調教師には定年制が導入されており、70歳を過ぎた最初の2月末を以て調教師免許が自動的に失効となり、調教師としての資格を返上することになる(そのため、
内藤繁春調教師は定年の無い騎手に転向しようと騎手免許試験を受験した)。また実績に乏しい調教師は定年が間近になってくると、管理する馬が集まらなくなる傾向にあり、また、優勝劣敗の厳しい勝負の世界であるがゆえに、管理馬の成績不振を直接の原因として厩舎経営に行き詰まるなどして、そのため定年前に自ら調教師免許を返上して厩舎を解散、引退する調教師も少なくない。
地方競馬の調教師については、主催者により千差万別である(定年制の有無など、競馬場毎に規定が定められている)。
なお、
競馬法に違反する事件・行為などにより、資格を管理する組織(日本中央競馬会・
地方競馬全国協会)から騎手・調教師の免許の取り消しの処分がなされ、資格を喪失する形で強制的に引退となった場合には、引退という言葉が用いられる事は少ない。特に競馬
マスコミなどでは『競馬界
追放』などの表現がなされ、これが引退を事実上意味するものとなる。
プロレス
プロレスラーの引退は、事実上の引退でない場合が多い。エースであるレスラー等は興行上休む事が許されない為に、怪我等をしても無理を押して出場し続ける事も多く、体調上の問題から引退を宣言する場合も多いが、引退後体調がよくなると復帰を宣言する場合が多々ある。その為に
大仁田厚など複数回の引退宣言を行った選手もいる。引退時の興行は観客の入りもよく、ご祝儀的な事でもある為、その後の復帰等については批判も多い。体調不良で引退→体調回復で復帰という流れは、日本のプロレス界では
テリー・ファンクが作ったといわれている。テリー・ファンクが復帰した際には「引退試合」で涙したファンを中心に大きな批判が起こり、人気は大幅にダウンした。
小林邦昭は引退する際に「絶対に復帰しない」事を明言したが、1試合限定復帰(後述)をしている。また、
川田利明は「俺がプロレス辞める時は『引退』ではなく『休業』という事にしてくれ。」とコメントしている。かつての
全日本女子プロレスでは「25歳定年制」が布かれていたが、他団体やフリーで現役続行あるいは復帰するケースが多く、現役から完全に退いた場合も含め「引退」よりむしろ「卒業」と表現している。これは定年制が有名無実化した後も同様であった。なお、日本で引退興行を大々的にやった最初のレスラーは
吉村道明だが、引退後の吉村は復帰どころか、プロレス界とのかかわりもほとんど持たなかった。
また、プロレス特有の事情として、ストーリーラインの都合上で「1試合限定復帰」という
アングルが組まれることがある。有名な例では
坂口征二や
バディ・ロジャースなど。
…
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