Wikipedia画像へのリンク(Honda青山ビル(本社)
設計に際しては、地震の際、窓が割れて下の通行人に危険が及ばないようにとの本田宗一郎の指示により、バルコニーに囲まれたデザインとなっている。)
本田技研工業株式会社(ほんだぎけんこうぎょう、)は、
日本、北米、欧州、南米、中国、タイ、インドなど世界各地に拠点を置く大手輸送機器及び機械工業メーカー(
航空機及び航空エンジン、
四輪製品、
二輪製品、
汎用製品:太陽電池・船外機・耕運機・小型発電機・汎用エンジン等)である。
概要
名称
主に「Honda」のブランドで
オートバイと
自動車、汎用製品を製造している。新規分野として
ASIMO(アシモ)のような
ロボットや
HondaJet(ホンダジェット)と呼ばれる小型ジェット機と
ターボファン式ジェットエンジンも自社開発している。創業者の
本田宗一郎(ほんだ そういちろう)は経営者・技術者として著名であり、社名は
本田の姓から名づけられた
[尤も創業者による会社の私物化を嫌うという観点から本田は自身の苗字を社名に入れたことは間違いだったと後年述懐している。]。日本の自動車メーカーとして9番目に設立された。本社は
東京都港区南青山二丁目に地上16階地下4階の自社ビルを有する。通称および国内の各証券取引所での表示は「
ホンダ」。
ロゴはアルファベット大文字の「
HONDA」を赤色でデザインしたもの。2000年末よりロゴを使用しない場面での社名表記として、ホンダのCI(
コーポレートアイデンティティ)に基づくVI(ビジュアル・アイデンティティ)として、ホンダ自身が「コミュニケーションネーム」と呼ぶ表記を用いるようになった。これはアルファベット表記で「
Honda」とするもので、ホンダ自身が積極的に用いると共に、報道機関に対し社名の扱いを「Honda」もしくは「ホンダ」の表記を要望している
[2000年12月21日]。
フランス語や
スペイン語などでは、冒頭の
Hを発音しないため、「
オンダ」と呼ばれる事がある。
沿革
戦前より自動車部品などを製造していた東海精機を
豊田自動織機に売却した資金を元に、
1946年、
静岡県浜松市(現・
浜松市中区)山下町(後の山下工場)に
本田技術研究所として開設され、内燃機関および各種工作機械の製造、ならびに研究を開始。
1947年にはA型自転車用補助動力
エンジンを開発した。
1948年に
本田技研工業株式会社として設立。
1949年に
藤沢武夫を経営全権として迎え、以降、技術の本田宗一郎と経営の藤沢武夫による二人三脚の経営が始まる。
1963年には後年に「
スポーツトラック」とも呼ばれることになる
T360(日本初の
DOHCエンジン搭載)で四輪自動車業界に参入した。
同年には、
欧州ベルギーに2輪車製造拠点を設立し、日本の自動車産業界において初となる欧州圏での製品(スーパーカブ・C100)の現地生産も行った。
その後も
CVCC、
VTEC、
VTEC-E、
i-VTEC、
i-DSI、
IMAにといった高い技術開発力を示してきた。
1981年に世界初の自動車用ナビゲーション・システムを完成させた。
1982年には、日本の自動車メーカー初となるアメリカでの4輪車(アコード)の現地生産を開始し、昨今の日本の企業のグローバル化の手本とも言える大規模な海外展開を、時代に先駆けて行った。
自動車・二輪車・汎用製品だけでなく、太陽電池パネルの生産やASIMOに代表される
二足歩行ロボットの開発も行っている。このロボットは、
ニューヨーク証券取引所の始業ベルを人間以外で初めて鳴らした。
また、
2003年末には、宗一郎の念願だった
航空機業界への参入への第一歩となる試作機「HondaJet」の初飛行にも成功。
2004年2月16日には
小型ジェット機用エンジンの事業化で
GEとの提携も発表。
2006年8月 ホンダ・エアクラフト・カンパニーを米国に設立し、2010年度からの機体引渡しに向けて
ノースカロライナ州グリーンズバロウにある
ピードモント・トライアド国際空港隣接地に生産拠点の建設を行っている。
2004年
7月には、
埼玉県和光市の旧工場跡地にビルを新築、国内本社機能の一部を和光へ移転させた(海外本社機能は
港区南青山に所在する)。
また藤沢武夫の「(ホンダの)社長は技術畑出身であるべき」という言葉が今も守られており、現職の
福井威夫に至るまで歴代の社長はすべて技術畑出身、そしてエンジン開発部門の技術者であり 本田宗一郎以外の全員が四輪
F1もしくは2輪WGPのエンジン開発経験がある。また、本田宗一郎、藤沢武夫の両人とも、子供をホンダに入社させない方針であった。創業初期に重要な役目をになった本田の弟 弁二郎も退社させている。その後、本田の長男
本田博俊はホンダのアフターパーツメーカー「
無限」を創業した。
創業者一族による会社の私物化の弊害を恐れる本田の信念が貫かれ、縁故採用は一切行わず、実力本位の採用を行っている。そのため会社の成長の後もいわゆる「大企業病」(会社の硬直化、官僚制化)に冒されることなく今日に至っている。もっとも、初期の頃は本田と自身の父親が知り合いだった縁で入社した二代目社長の
河島喜好のように親戚・口利きで問題なく入社することが出来た。縁故採用を行わないルールを作成したのは、会社がある程度大きくなってからのことであり、縁故採用を行うわけにはいかない本田宗一郎の個人的事情が陰にあった。また中途採用にも積極的であり、初期の自動車開発を進め、F1監督も務めた
中村良夫を始め、ASIMO開発の中心者である
広瀬真人、
SH-AWD等のホンダの駆動力制御の専門である
芝端康二も中途採用組である。他にも本田の思想が反映した事例としては、社長室が無い、重役達は一つのフロアを共有しているという特徴がある。
労働環境は、他の自動車工場より良いといわれる。良い例が連続2交代制勤務
[本田宗一郎を参照]。また、従業員の作業服の洗濯も無償で行っている。また、他の自動車工場に比べ女性の進出も多い。
現場主義で知られ、新入社員は工員以外にも、事務職・技術職・また男女の性別を問わずに、各製作所で半年間の研修をさせている。
他社と比較して、テレビコマーシャルに芸能人をあまり起用しない傾向があり、CMソングもJ-POP
[オデッセイのCMなどで、英語版カバーが使われた事はある。]ではなく、オリジナルのものや洋楽曲が使われるケースが多い。芸能人を起用しない理由としては、安易に芸能人のイメージに頼らない独自路線に加え、テレビコマーシャルに芸能人を起用すると、販売不振に陥るというジンクスがあるためだとされている。
業務
主業務は、オートバイ、自動車、汎用製品の製造、販売である。オートバイや小型汎用エンジンに関してはシェア世界一であり、世界中のほとんどの地域で販売・運用されている。自動車に関しては、
2003年には国内の
軽自動車を含めた販売台数で、初めて
トヨタ自動車に次いで第2位になったが、トヨタ自動車の更なる躍進や
日産自動車の反撃により、その後は再び国内販売3位に後退。
2007年暦年ベースの国内販売台数では
スズキ、
ダイハツ工業に次いで5位と苦戦を強いられた。
過去に、本田技研工業の自動車の販売網は、特に旧・プリモ店の母体企業に多い、オートバイ・自転車取扱店、マリーン・船外機取扱店、農機具取扱店、地元有力者の商店などでの委託販売形式を採用していた歴史があるが、直営店を持たない委託販売形式が販売拡大の足かせになっているとされる。
軽自動車主体であったスズキも、90年代以降、積極的に
登録車市場に製品を投入してきており、上位3社プラス
マツダを含む5社の激しい市場争奪戦となっているのが日本市場である。
北米では
大衆車ブランドのホンダ(Honda)と高級車ブランドの
アキュラ(Acura)で展開しており、大衆車で大きなシェアを占める。北米における売上げは、大きな収入源となっている。北米を含む海外では、国内では販売していない
ATVや
水上オートバイなども取り扱っている。
中国展開
ホンダの
中国展開は、進出競争の激しい各国メーカーの中でも特に成功した部類に入る。
1973年に本田宗一郎自ら訪中し、中国展開を決意、二輪車の輸出を始める。
1982年には
重慶のメーカーと技術提携し、現地での二輪車部品生産皮切りに、1992年には、重慶、
広州、
天津に
合弁企業による二輪車生産工場を設ける。二輪でのある程度の成功を持って本格的な四輪販売へ乗り出すべく、
1993年には
香港に
Honda Motor Chinaを設立。当時輸入車のみではあったが、四輪の中国でのアフターサービスを行った。本格的な四輪生産は
1994年の
東風汽車(
武漢)との合弁で設立した
東風本田零部件有限公司に始まる。1998年には
広州汽車(広州)と合弁し、それまでの相手だった
プジョー撤退後の工場をそのまま受け入れ、
アコード、
フィットなどの生産を始める。プジョー時代からの従業員を本田流に指導し、高品質の製品が作り出されるようになった。今では広州本田だけで年産24万台に発展し、広州市のパトカーにもホンダ車が使われている。ホンダが2003年から中国河北省のメーカー双環汽車と争っているスポーツ用多目的車(SUV)CR−Vの外観設計(意匠デザイン)の訴訟では、2006年3月に中国国家知識産権局がホンダ側の意匠権を「全て無効」とする判決を下した。
主な役員
(2009年4月1日現在)
モータースポーツへの取り組み
設立翌年
1949年には日米対抗レースにC型モーターサイクルで出場し、優勝するなど当初よりモータースポーツへの志の高い会社とも言える。
1961年5月14日に、ホンダのマシンを駆った
高橋国光により
WGPにおいて日本人初の優勝を飾る。WGPでは最高峰のMotoGPクラス(旧GP500クラス)で
1966年の初勝利以降、2006年終了時点で通算200勝を達成。
Wikipedia画像へのリンク(F1メキシコGPで初優勝を果たしたRA272)
Wikipedia画像へのリンク(F1最期のターボエンジン・RA168E)
F1には、
1964年から
1968年に単独チームで参戦し、この期間に2勝を記録。
1983年から
1992年、
2000年から
2005年は車体の共同開発を含めたエンジン供給として参戦し、エンジンサプライヤーとして69勝を記録。
2006年から再びオールホンダ単独チーム(
Honda Racing F1 Team)として参戦し、1勝を記録。通算72勝(単独チームでは3勝)を達成。社員教育の一環として、社員を3〜4年程度チーム専属として派遣。しかし、
2008年12月5日、金融危機以降の経営環境の変化に伴い、F1から撤退を表明。
アメリカにおいては、
1991年より2年間
IMSAシリーズのキャメルGTPライトクラスに「アキュラ・スパイスSE90CL」(
NSXのエンジンを搭載)で参戦し、ドライバーズ,マニュファクチャラーズの両タイトルを2年連続で獲得。
1994年から
2002年までは
CARTで通算65勝、
2003年からは
IRLで通算27勝(2005年終了時点)を達成している。なお、2006年よりIRLのエンジンはホンダのワンメークとなり、供給は
2013年まで継続することを2008年
5月23日付で発表した。
2007年より
アメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)において、LMP2クラスに参戦するチームへ、
2009年よりLMP1クラスに参戦するチームへもエンジン及び車体を供給する。
国内においては、1994年から
全日本ツーリングカー選手権に
シビックフェリオ(1994年〜
1995年)及びアコード(
1996年〜
1997年)で参戦し、1996年から
全日本GT選手権及び
SUPER GTにNSXで参戦しており、
フォーミュラ・ニッポンにも2006年よりエンジン供給している。
社業としてのモータースポーツだけでなく、ユーザーにもモータースポーツを楽しんでもらおうと、
シビックや
インテグラタイプRによるワンメイクレースを開催している。2004年〜2007年は、「ベルノエキサイティングカップ インテグラワンメイクレース」が各地方シリーズとして開催されている。2008年からは、車両が再度
シビックタイプRに変更された。
また、自転車競技においてもマウンテンバイクの
ダウンヒル競技に独自開発のマシン
RN01を投入し、国内のMTBジャパンシリーズやNORBA、世界選手権などで好成績を挙げている。
しかし、様々なレースに積極的に参加する反面、
ラリーへの参加はこれまでにない(プライベーターがホンダ車を使うことはある)。
環境への取り組み
Wikipedia画像へのリンク(
CVCCエンジン)
Wikipedia画像へのリンク(
FCXコンセプト)
1971年には、低公害技術であるCVCCを発表。米国で
マスキー法という環境規制法が成立しており、その規制開始期限までに規制に対応するエンジンは世界中のメーカーが開発不可能と言われていたほど厳格な規制であった。そのマスキー法の条件をクリアしたのが、当時、日本の中小メーカーだったHondaであり、Hondaの名前を世界に知らしめた。翌年から翌々年にかけてトヨタ、
フォード、
クライスラー、
いすゞに技術供与。
近年は、
ハイブリッド車インサイトや
シビックハイブリッドなどのCO2排出量の少ない車両の本格普及に向けての低価格なハイブリッドカーの販売や
地球環境産業技術研究機構(RITE)との共同研究による、稲わら、麦わら、コーンの茎などの農業廃棄物や木屑などのバイオマス資源からエタノール燃料を効率的に生産する循環型エネルギー技術の開発、各工場での生産体系や物資輸送体系の見直し、
ツインリンクもてぎ内での環境教育施設運営から有志による海岸の清掃活動等、多岐に渡っている。
また、海外では中国内モンゴル自治区
通遼市の
ホルチン沙漠での植林作業を展開し、砂漠緑化活動も毎年行っている。
これらの前世代から受け継いできた環境問題に対して積極的に取り組んでいるだけでなく、来るべき未来に向けた次世代環境技術の実践開発として、
水素燃料電池自動車FCXクラリティの
リース販売、環境負担の少ない水素燃料生産供給インフラ「太陽電池式水電解型水素ステーション」、既存の都市ガスなどの天然ガス供給インフラから水素を製造しつつ、
燃料電池コージェネレーション機能によって家庭用の熱(給湯や暖房など)および電力の供給を行う「ホーム・エネルギー・ステーション」の開発及び実験稼動も行っている。
商品展開
二輪車
Wikipedia画像へのリンク(
スーパーカブ現行型)
自転車用原動機を製作したことが社業の始まりとなり、ヒットを記録。その後、原動機付自転車の分野で
スーパーカブという空前絶後の大ヒット作を生み、世界のあらゆる地域で使用された。これによって、「スーパーカブのHonda」と知名度を大いに上げ、国際二輪業界において日本のメーカーが覇権を握る下地となった。スーパーカブは全世界通算で6,000万台(2008年4月末時点)が製造され、「
世界で最も多く製造されたオートバイ」となっている。
社の業務として「モータースポーツの振興」を挙げるだけあって、スポーツモデルにも力を入れており、二輪
ロードレースの世界最高峰カテゴリであるロードレース世界選手権 (MotoGP)や プロダクションレースである
スーパーバイク世界選手権(SBK)での実績をフィードバックしたスポーツモデルが好評である。また、公道走行可能なバイクだけでなく、
ロードレーサーや
モトクロッサーなどのコンペティションモデルの市販とサポートにも熱心である。
ほとんどの分野、ほとんどの排気量において優秀なモデルを送り出し、オートバイ生産台数世界第1位の座を盤石のものとしている。
2008年からは浜松製作所で生産している中型・大型二輪部門を熊本製作所に移管、熊本製作所に二輪車の新工場を建設し浜松製作所の二輪生産に従事する1,500人は熊本製作所に配置転換された。浜松製作所では自動変速機の生産を強化する。
一時期
三ない運動により大打撃を受けたが、近年スズキ、
ヤマハ、
カワサキといった大手二輪車メーカーらとともに「三ない運動を推進している地域ほど二輪車事故が多発している」と反論を展開するとともに、
徳島県内の私立高校と協力して二輪車講習を
鈴鹿サーキットで行うなど高校生の交通安全教育に力を注ぎ成果をあげた。
四輪車
創業者の環境に対する理念に基づき、初代シビックを筆頭として、優れた量産車を環境に配慮したフレキシブルな製造体制を持つ、四輪車製造専用の国内外の製作所にて生産している。
また、世界に先駆けて走行時に排出ガスをまったく生み出さない
水素燃料電池自動車の本格普及を目指し、2008年から米国と日本にてリース販売を開始した燃料電池自動車FCXクラリティの年間数十台程度の需要状況に合わせ、ホンダ新機種開発センター(栃木県塩谷郡高根沢町)に燃料電池車専用の小規模組み立てラインを設置した。
現在国内で販売されているホンダ車は新車販売時に一部他社が設定する
寒冷地仕様を設定せず、全国共通仕様にする事で基本的に日本全国価格が均一であり、地方や季節を選ばずトラブル無く走行する事が出来る。
4輪車製造において、現在全世界マザー工場として機能させている鈴鹿製作所の近接地に、国際的に有名なレーシングコース鈴鹿サーキットを
1960年代から有するホンダは、モータースポーツへの積極的な参戦やそれらレースシーンを中心とする自動車文化を愛する社風とも相まって、スポーティーなモデルを得意とし同社のリーディングイメージとしてきた。
その様な憂い無き歴史的背景をもつ反面、初代
オデッセイに始まる
“クリエイティブ・ムーバー”シリーズの登場までは、
RVや
ミニバン、
ステーションワゴンなどのファミリーユーザー向けの商品ラインナップを持たず、
バブル期の
F1ブームや好景気を追い風とする幅広い層のホンダユーザー増加による様々なニーズに答えられない状況にあった。
しかしながら、余暇における有意義な時間の創出と日常での利便性の両立を追求した初代オデッセイの登場以降、
CR-V、
SM-X、
ステップワゴンと続く一連のクリエイティブ・ムーバーシリーズの発売前後から、
RVや
ミニバン、ワゴンなどのファミリー向け製品の開発において弛みない努力を重ね、昨今では、3.5LV6エンジンも選択可能なフルサイズミニバン
エリシオン及びエリシオンプレステージ、ステップワゴンに新たなデザインテイストを加えたステップワゴン・スパーダ、SM-Xと同クラスの2列6人乗りコンパクトミニバン
エディックス、エントリークラスのミニサイズSUV
クロスロード、8人乗りも選択可能なスタイリッシュで低燃費なコンパクトミニバン
フリードなど幅広い魅力的な商品ラインナップを揃えている。
バブル崩壊後の自動車業界に新しい風を吹き込んだオデッセイやステップワゴンは、今の日本のミニバンブームの先駆者として、日本の自動車文化に新たな一面を作り出したと言える存在であり、1994年10月誕生の初代から数えて4代目となるオデッセイは現在に至るまで好評を博している。
オデッセイ誕生以前、いすゞ、
ブリティッシュ・レイランドからOEM供給を受けるなど自社開発が遅れていたRV/SUV部門に措いては、CR-Vの大ヒットにより遅れを一気に挽回し、3代目となる現在では、「ホンダのRV=若者向け」といった市場の固定観念を覆すミディアムクラス高級SUVといった趣となっている。
ステーションワゴンにおいても、各国でロングセラーモデルとなった
アコードワゴン(現アコードツアラー)を中心に、2005年に登場した若者向けのエントリークラス ステーションワゴンの
エアウェイブ、2000年に7人乗りのステーションワゴンとして5ナンバーセグメントに新たな流行を生んだ
ストリームなど幅広い層から人気を集めている。
アコードツアラーにおいては、
尿素を用いずに
欧州排出ガス規制(
Euro5)をクリアさせた、CO2排出量において優位性を持つクリーンな
ディーゼルエンジン(i-DTECエンジン)を搭載し、環境に配慮した製品を欧州にて販売するなどグローバル市場での環境対応も計っている。
RV、SUV、ミニバン、ワゴンといった収容性や利便性を優先的に追求されるファミリー向けの製品に対し、セダン並の操縦安定性や運転する楽しさを兼ね備えさせている事が全体を通してのホンダ車の特色である。
またこれらの車両を用い、同社が
福祉車両製品として長年研究、開発している製品群の中で
介護車
[介護車とは、助手席又は後部座席が回転や昇降する事によって、お年寄りや要介護者の車への乗り降りをサポートする車両や、車椅子に乗ったまま後部ハッチバック部分から乗り降りが可能な車両、乗降を補助する補助ステップや車いすの電動収納装置等を備えた車両などである。]、及び
自操車[自操車とは、Honda・テックマチックシステムと呼ばれる足の不自由な方が手や左足で運転できる補助装置などを搭載した車両や、手の不自由な方が片手でハンドルやウインカーの操作を行う事が可能な車両である。]と分類される製品を、今後増加するシルバー世代の生活の質の向上や、身体に障害を持っている方々の積極的な社会参加や快適な生活を送る為の支援を目的に販売している。
コンパクトカーの分野では、2002年、
フィットがトヨタ自動車の
カローラを販売台数を上回りトップとなり、2003年にも一時追い抜くなど躍進した。現在も月別販売台数で1〜6位(2004年1〜8月データによる)の成績を維持している。
2006年度、日本国内の省エネ法改正等の車両の省エネ対策の法的強化を受けて、フィットを土台にしたハイブリッド車2代目インサイトも開発されていた。
軽自動車の分野においては、高い衝突安全性を持つ
ゼスト、バックモニターを標準装備としたロングセラーと言える
ライフ、ミッドシップエンジン採用の軽ワゴン
バモス、ダンプやリフターなどの特装車も選択可能な軽トラックのアクティトラック、快適で確実なワークタイムをサポートする軽商用バンのアクティバンなど、快適性などを犠牲にする事無く、高い環境性能を達成している。
ハイブリッドカーにおいては、
パラレル式と分類される
ハイブリッドシステム(Honda IMA)をCO2排出量の削減及び燃費向上を目的に幅広い普及を目指して自社開発し、現在販売しているハイブリッド専用車インサイトやシビックハイブリッドに、昨今これらの環境車需要が増加している中、比較的安価なコストで搭載している。
ホンダのハイブリッドシステムは、走行状況に応じて
エンジンの燃焼を休止させるi-VTECエンジンと、加速時における単一の薄型ブラシレスモーターからの出力の利用、及び同一モーターによる減速時の回生発電を行い、比較的容量の小さい専用二次電池へのエネルギー回収を行う軽量でコンパクトなシステムである為、幅広い車種への安易な搭載が可能とされている。(シリーズパラレル式と分類される他社系の採用しているハイブリッドシステムは、加速用電気モーターでの動力補助及び、減速時に措ける回生発電装置によるエネルギー回収をする仕組みであり、加速用電気モーターと回生用発電装置を別に必要とする。)
2009年4月1日、同社が本格的な普及に対する若干の足踏み状態の要因として抱えていた二次電池供給元からの供給可能量等の経営コンセンサス的問題を解決する為に、
ハイブリッドカー用リチウムイオン電池の製造・開発を専門とする「
株式会社ブルーエナジー」を国内老舗電池製造メーカー「
ジーエス・ユアサコーポレーション」との共同出資により設立し、二次電池調達体制の再構築を行った。
構造的にスポーツモデルに適さないとされていた
FF車で、目を見張るほどのスポーツ性を有した
インテグラ、シビック、
CR-Xなどを世に送り出した。
また最近では、一般ユーザーが休日に
サーキットまで自走して、安全且つ気軽にサーキット走行を楽しめる事をコンセプトに開発された「
タイプR」というスポーツモデルをシビック(インテグラ、
NSXは生産終了)に設定し、世界各地に存在する熱烈なホンダ車ファンやサーキット走行を気軽に楽しみたい各国のサンデーレーサーなどから長年に亘り好評を得ている。
また、現行シビックタイプRをベースとした安価なレース専用車を一般向けに販売すると共に、ホンダのFF車を使用したアマチュア〜プロ志望者向けの年間シリーズレース「
ホンダ」を1981年から現在まで長きにわたって開催しており、日本のモータースポーツ文化を底辺で強く支えている。
また
4ドアセダンの分野においては、世界各国でロングセラーとして愛され、現在まで販売されているシビック及びアコード、走行状況に応じて燃焼気筒数を切り換える可変シリンダーシステム]を採用するレギュラーガソリン仕様のV6エンジンを持つ
インスパイア、これら3車とも高い環境性能を持ち、尚且つスポーツマインド溢れるエンジンと高い走行性能により、運転する喜びを強く感じられる車となっている。
ホンダのイメージアイコンとして1990年から2006年の長きにわたり生産・販売され、国産スポーツカーの最高峰として君臨してきた、オールアルミボディを特徴とするV6エンジン搭載のミッドシップ
スポーツカー「NSXシリーズ」は、後継車の登場なく現在に至っているが、特別な思い入れを持つ多くのユーザーの「NSXに長く乗り続けたい」という求めに応じて、メーカー製造工場にて経年車へのエンジンや内装、足回りなどの
念入りな機能修復サービスを行っている。
近年、過去に同社から販売されていた
S800などのイメージを継承し、ホンダ創立50周年記念車として発売された
S2000は、昨今のホンダでは唯一の
FR車である。このS2000は、高出力高回転型に改良された自然吸気の
F20C・i-VTECエンジンを用い“排気量リッター当たり125PS”を誇る2,000ccで250PSの性能を誇っていた。さらにこのS2000は、他のホンダ車と部品を共用していないなど(他メーカーの車両と部品を共用している部分はある)収益があまり見込めない趣味性の高い車に、独自の車台やコンポーネンツを専用設計として開発されており、メーカの車作りやスポーツカーに対する熱い思いが込められている。
北海道の
鷹栖町に巨大な
テストコースを持ち、そこで熟成され鍛えられたスポーツモデルや
4WDモデルも数多い。
2004年10月7日に発売された
レジェンドには新開発の四輪駆動システム
SH-AWDを採用し、出力規制の緩和にともない国産車では初めて280PSを超える出力300PSが設定された。
レジェンドに搭載されているSH-AWDは、単純な前後の駆動力配分の制御だけでなく、後輪左右駆動輪間において可変駆動配分制御を行う事を目的に、リアデフ内のプロペラシャフト後端部分の動力伝達経路に増速機構と、後輪の左右駆動輪間に駆動力差を生み出す為に小型電磁クラッチをデフ側の左右ドライブシャフトのエンドエリアに搭載し、コーナリング時に意図的に外周側の駆動輪に多くの駆動力を伝達する高度な動的制御を行う事により、より自然な感覚での旋回性能の向上及び、滑りやすい路面状況下での走行安定性の向上を図っている。
汎用機械
自社製の汎用ガソリンエンジンを利用した
刈払機や芝刈り機、耕運機、水ポンプなどの
農業機械、除雪機、
船外機、
発電機、家庭用
ガスコージェネレーションユニットから
シニアカー(電動カート)、
太陽電池パネルなどを生産している。
過去に、1985年から発売された乗用管理機の「マイティシリーズ」と、1989年から発売された小型ディーゼル
トラクターの「TXシリーズ」を生産していたことがあり、OEM供給を受けたクボタ製トラクターや
三菱農機製の
田植機、
コンバインとともにホンダブランドで販売していた時期があった。
TXシリーズのエンジンは自社オリジナル開発で、当時20馬力以下のクラスとしては初の
SOHCを採用した
水冷直列3気筒ディーゼルエンジンが搭載されていた。また、マイティシリーズは当初、
強制空冷・
単気筒による
ガソリンエンジン仕様のみの販売だったが、後に
クボタ製の水冷
直列2気筒による
ディーゼルエンジンを搭載した仕様が追加された。
現在はこれら乗用型トラクタ、コンバイン、田植機の分野からは撤退して耕運機のみを製造、販売している。
-
芝刈り機のシェアは世界一。
-
発電機、除雪機、5PS以下の小型耕耘機のシェアは国内トップ。
-
一般家庭用のガスコージェネ発電ユニットは、国内唯一の供給メーカーである。
-
他社に先駆けて船外機の4ストローク化を行い、その性能は米国で4年連続顧客満足度第一位を獲得した。
-
汎用エンジンのGX160は、米国ローコン社の2WDオートバイにも採用されており、少量であるが日本にも輸入されている。
小型ジェット機
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2006年7月25日、創業者
本田宗一郎の夢、小型ジェット機製造(Very Light Jets:VLJ)への本格参入を表明。
HondaJetと名づけられた6-7人乗りの機体は、全長 12.5m、全幅 12.2m、全高 4.1m、最大巡航速度 420
Kt (778km/h)、最大有視界航行距離 1,400
nm (1,611
mile/2,593
km)、最大計器飛行航行距離 1,180nm (1,358mile/2,185km)、最大運用高度 41,000
ft (12,497m)、最大離陸重量 4,173kg、他社の同クラスのジェット機は機体後部などに直接エンジンを取り付けているが、HondaJetは主翼の上にエンジンを取り付ける手法を選んでいる。
この独創的な特長により、後部キャビンスペースがライバル機よりも広くなり利便性が高くなっている。また機体主胴体の素材に常道とされるアルミ軽合金ではなく、F1マシンなどと同じ炭素繊維を使用した強固かつ軽量な複合材を選択する事により大幅な軽量化を図り、独特な主翼の形状と相まって燃費が同サイズのライバル社の機体に比べ30%程向上しているのが特徴である。
2006年8月、ホンダエアクラフトカンパニーをアメリカ合衆国に設立し、フロリダ州ベロビーチに本社を置く
パイパー・ジェット社と業務提携を行うと表明。
2006年10月、販売予約の受付開始後に予想を大幅に上回る100機以上の受注を受ける。
2007年3月、ホンダジェットの生産開始に向け、GKN Aerospace社
[http://www.gknaerospace.com/]、Avcorp Industries社
[http://www.avcorp.com/]、
Garmin International社の3社をキーパートナーに向かえる。
2007年6月、
ノースカロライナ州グリーンズバロウにある
ピードモント・トライアド国際空港隣接地に、ホンダエアクラフトカンパニー本社社屋及び開発研究拠点、生産工場の建設を開始。
2007年7月、ノースカロライナ州
バーリントン(グリーンズバロウ郊外)にある
バーリントン・アラマンス地域空港近隣に、GEホンダ社が開発したジェットエンジンの委託製造引き受け会社、ホンダエアロ社の本社及び工場を建設すると発表。
2007年9月、ホンダジェットの内装デザインを公開し、パイロットトレーニング用プログラムの作成及びフライトシミュレーターの開発を、米国フライトセーフティーインターナショナル社との共同で行うと発表。
2007年11月、ホンダ・エアロ社の本社及び工場の建設を開始。
2008年3月、カナダ、メキシコでの販売及びサービス体制を発表。
2008年5月、ヨーロッパ全域での販売及びサービス体制を発表。
また1962年の新聞の求人広告に軽飛行機技術者の応募広告を出したが、この応募に応じたのは、吉野、川本両元社長であったという。このことは
福井威夫社長が
日経スペシャル カンブリア宮殿で明らかにしている。
キャッチフレーズ
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新しい世界を創る。
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真に快適な、価値ある車をすべての方へ。(1980年代初頭)
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クルマが家族になる。 (1985年〜 プリモ店)
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クルマがゆとりになる。 (1985年〜 クリオ店)
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クルマが個性になる。(1985年〜 ベルノ店)
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人、きらめく、走り。(1980年代後半〜1990年初頭)
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人と、地球に「夢・発見・ドラマ」を。(1990年〜2000年)
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The Power of Dreams「=夢の力」(2001年〜)グローバルスローガンとして、全世界で使用される。(2006年1月より同社のCMで、音声によるアナウンスもされている)
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翼ある人(Honda Motorcycle、2004年12月現在)
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他にも2006年まで企業CMには"Do You Have a Honda?"が使われ、CMソングにザ・ハイロウズの「日曜日よりの使者」が用いられていた。
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