Wikipedia画像へのリンク(ロゴマーク)
TEE (
Trans Europ Express) とは、
第二次世界大戦後の
西ヨーロッパで運行されていた国際的
鉄道ネットワークである。通しの
列車番号を持つ国際
特急列車群としてスタートしたが、後にフランス・イタリアでは国内相互発着の最優等列車の呼称としても使用された。
Wikipedia画像へのリンク(西ドイツのTEE車両 VT11.5型の前頭部)
歴史と概説
誕生まで
1952年、当時の
オランダ国鉄総裁であったF・Q・デン・ホランダー () は、ヨーロッパの国境を跨いだ国際特急列車ネットワークの構想を提唱した。この構想は1954年の
国際鉄道連合の会議で討議され、列車を運行・経営する国際共同会社を設立し、各国共通の車両を製作して使用する方向で具体化が目指された。しかしこの共同会社案は各国の利害対立から実現せず、各国が独自の車両を使用し、統一規約のもとでネットワークを形成するかたちで実現をみることとなった。これがTEEである。
この構想が生まれた背景としては、第二次大戦後の航空網・高速道路網の急速な進展が挙げられる。鉄道は速度や利便性の面で、航空機や自動車に対して劣勢に立たされるようになった。そこで、航空機や自動車にはない居住性を売り物に、特に航空機を利用していた高級ビジネスユーザをターゲットとして、新しいタイプの国際特急列車を、西ヨーロッパ諸国の国鉄が共同で運行することになったのである。
かくして1956年の欧州列車ダイヤ会議でTEEのダイヤが決定され、
1957年の夏ダイヤからTEEは10系統をもってデビューした。
当初は
西ドイツ国鉄、
フランス国鉄、
イタリア国鉄、
スイス連邦鉄道、オランダ国鉄によって共同運行された(いくつかの列車は運行開始時
ベルギーを通過したが、
ベルギー国鉄は、
1964年のみ参加した。また、
ルクセンブルク国鉄も後に共同運行に参加した)。
運行開始時の列車
運行開始は1957年
6月2日で、以下の各列車が設定された。いずれも1日1往復の運転で、5ヶ国の国鉄(スイス・オランダは共同開発)により、4種類の気動車が運用された。ただしイタリア国鉄担当の「リギュール」だけは運行開始が2ヶ月遅れ、
8月12日からの運転となったため、当初は4ヶ国でのスタートとなった。
| 列車愛称 |
経路 |
車両担当 |
愛称の意味 |
アルバレート | パリ東 - バーゼルSBB - チューリッヒ中央 | フランス国鉄 | ボウガン・機械弓 |
エーデルヴァイス Edelweiss | アムステルダム中央 - ルクセンブルク - バーゼルSBB - チューリッヒ中央 | スイス国鉄 オランダ国鉄 | エーデルワイス (花の名、スイスの国花) |
エトワール・デュ・ノール | パリ北 - ブリュッセル南 - アムステルダム中央 | スイス国鉄 オランダ国鉄 | 北極星 |
ヘルヴェティア Helvetia | チューリッヒ中央 - バーゼルSBB - フランクフルト・アム・マイン中央 - ハンブルク=アルトナ | 西ドイツ国鉄 | スイス |
イル=ド=フランス L'Ile de France | パリ北 - ブリュッセル南 - アムステルダム中央 | フランス国鉄 | イル=ド=フランス地域圏 (パリ首都圏の地域名) |
モン・スニ Mont Cenis | リヨン・ペラーシュ - ミラノ中央 | フランス国鉄 | モン・スニ峠 |
パリ-ルール Paris-Ruhr | パリ北 - ケルン中央 - デュッセルドルフ中央 - ドルトムント中央 | 西ドイツ国鉄 | 2つの地域名 |
オワゾ・ブルー L'Oiseau Bleu | パリ北 - ブリュッセル南 | スイス国鉄 オランダ国鉄 | 『青い鳥』 (メーテルリンク(ベルギー出身)の童話劇) |
サフィール Saphir | オステンド - ブリュッセル南 - ケルン中央 - フランクフルト・アム・マイン中央 | 西ドイツ国鉄 | サファイア |
ライン-マイン Rhein-Main | フランクフルト・アム・マイン中央 - ケルン中央 - アムステルダム中央 | 西ドイツ国鉄 | 2つの地域名 |
リギュール Ligure | ミラノ中央 - マルセイユ・サン・シャルル | イタリア国鉄 | リグーリア州 (イタリアの地域名) |
-
「リギュール」は1957年8月12日運行開始、それ以外は1957年6月2日運行開始
TEEの特徴
Wikipedia画像へのリンク(
1958年ブリュッセル万博にちなむ列車展示)
それまでの「特急列車」は、(日本でも同様ではあるが)いわば「特権階級」の人々が利用するような豪華列車が一般的であり、ビジネス目的の列車ではなかった。そのため、ビジネスユーザにターゲットを絞った特急列車は、当時としては画期的なものであったと言われている。
ビジネスユーザをターゲットとしたため、全車
1等車、ケータリングサービスの充実、ハイレベルなサービス、可能な限りの高速運転などを特徴とした。また、運転時間帯も、日帰り出張を意識した設定となった。そのため必然的に、全列車が昼行列車となった。
当時、通過各国の
電化区間の電気方式や電圧が異なっていること(現在もそうであるが)や、非電化区間も多かったため、運行開始当初のTEE車両は、西ドイツがVT11.5型、フランスがx2700型、オランダ・スイスがDE4型/RAm型、イタリアがALn442型という
ディーゼル動車が使用された。
1961年になってスイスが4電気方式を共通で走行できるRAe TEE型電車を導入し、列車の電化が行われることとなるが、以後ほとんどの列車が、強力な
電気機関車が豪華な専用
客車を牽引する、客車列車方式に替わった。
TEE列車には、様々な制約が設けられ、客車は全て1等車とし、
エアコンを完備し、
食堂車を連結して乗客全員が車内で食事が摂れること、また車体塗色もクリーム色と紅色に塗り分けTEEのロゴマークを掲出し、列車には
列車愛称を付け、原則として最高速度140km/hで走行可能な車両と定められていた。このTEE列車の車体塗色は、日本の
国鉄151系「こだま型」や
南海「こうや号」20000系などに大きな影響を与え、また、フランスのx2700型は
小田急SE車をSSE車に改造されるときのデザインのモデルになったともいわれている。国際TEE用車両は基本的にクリームと紅色の専用塗装でなければならなかったが、フランス・イタリアの国内TEEでは別の塗装を採用していた。
TEE列車には、普通乗車券の他に、特別急行券が必要であり、接続列車が遅延した場合にも、出発時刻を遅らせることなく定時運行に努めるなど、優等列車としての配慮がなされた。
サービスの近代化
当初のTEEの目的は、主要な都市を朝に出発し、夜に戻ってくる日帰りのビジネスライク的な国際線ルートの促進であったが、次第に各国ともに最優等列車=TEEという図式に発展し、
1965年にフランスの「ミストラル」や西ドイツの「ブラウアー・エンツィアン」がTEEに組み入れられると、最初の目的からは、いささか逸脱するようになった。しかし、その後も各国は200km/h運転の実施など競い合ってサービス向上に努めた。
ネットワークの成長
TEEネットワークは、
レンフェ(スペイン国鉄)、
デンマーク国鉄、
オーストリア連邦鉄道が加わり、
1974年まで成長していく。フランス・イタリアでは国内特急の名称にTEEを使用したために、TEE列車は大幅に増加した。しかし、この中でTEEのメンバーとなったのはオーストリア連邦鉄道のみであった。オーストリアは、ウィーン - チューリッヒ間に運行していた国際特急列車「トランサルピン」のTEE格上げを強く要望したが、運行所要時間の面でスイス側が難色を示し、結局は見送られた。残りの2ヶ国は、TEEが通過したものの、運行管理のメンバーには加入しなかった。その頃からTEEは同様のサービスを提供する列車と置き換えられていった。
1979年、西ドイツ国鉄は
インターシティ・サービスを中心に据えたネットワークの再構成を行い、TEEは大幅に縮小された。
終焉
Wikipedia画像へのリンク(「ラインゴルト」 1986年)
1984年までにTEEの大半はイタリア・フランスの国内線及びごくわずかの国際線を残し廃止された。その理由として、TEEは1等車のみの編成のため、一般乗客から敬遠されたこと、また、ダイヤ設定が基本的にターミナルを早朝に出発し、夜戻ってくるような時間帯であり、ビジネスマン以外には利用しにくい時間帯であったことなどが挙げられる。従ってその運転系統の大部分は
インターシティ・ネットワークに置き換えられることとなったが、ダイヤ設定などは利用しやすく柔軟に変更された。
1986年冬の時点で、TEEは1日12往復が設定されていた。これらの列車はGottardo(RAe TEE型電車を使用)を除き、すべて客車で運転されていた。
1987年5月に7往復が廃止され(この改正で
ユーロシティが新たに設定されている)、西ドイツとオランダからTEEが撤退した。
残る5往復(上記の「※」を付けた列車)については、1988年9月にGottardoがユーロシティとなり、スイスとイタリアからもTEEが撤退したほか、国際列車としてのTEEも消滅した。
最後に残ったフランス国内のTEE4往復も、TGV大西洋線開業に伴う1989年5月改正でユーロシティに格下げ(あるいは廃止)され、ここにTEEは32年の幕を閉じた。
1987年以降は、TEEに替わってユーロシティ列車がかつてのTEEの役目を担っている。
ノンストップ列車としての復活
1993年冬ダイヤより、パリとブリュッセルを結ぶ
ユーロシティ4往復に対して
"TEE"の種別名が付けられ、
途中無停車運転となった。以下は1994年夏ダイヤのものである。いずれも過去にTEEとして運転されていたものである。
-
TEE 81 / TEE 84: "Rubens"
-
TEE 83 / TEE 86: "Brabant"
-
TEE 85 / TEE 80: "L'Ile de France"
-
TEE 89 / TEE 88: "Watteau"
ただしこれらの列車は、すべて
1等車と
2等車で組成されていた。本来のTEEの定義である「全車1等車」の要件は満たしておらず、むしろ、2つの国の首都をノンストップで直結するプレミアムサービス的な意味合いがあった。
これらの列車も、
1995年に
TGVがブリュッセルまで直通を開始した(このTGVによる列車が、後の
タリスとなる)ことに伴い、同年夏までに姿を消した。
保存車両
Wikipedia画像へのリンク(ニュルンベルクの保存車 VT602 003号)
現役時代に使用された主な車両のうち、ドイツ、イタリア、オランダの気動車は整備され保存されている。また、スイスのTEE電車は、動態保存でイベント列車に使用されている。イタリアのETR300型電車は1編成が動態保存されている。ドイツではVT602 003号車(旧形式名VT11.5)が、ドイツの鉄道発祥の地のニュルンベルク中央駅のすぐ西にあるニュルンベルク交通博物館 (
TEEの功績と、21世紀のTEE
TEEが本来の目的を果たした期間は決して長くはなかったが、ビジネスユーザをターゲットとしたその上質のサービスは、鉄道におけるサービスレベルの向上に貢献した。また、各国が競ってサービス向上に努めたことも特筆されよう。これらの要素は、後の
インターシティや、現在の
高速鉄道にも引き継がれている。
そのため、ヨーロッパの
鉄道趣味界では、TEEなき後も、それに対する思い入れが強い。
2007年は、TEEが運転を開始してちょうど半世紀が経過した年であるが、既にTEEとして運転されている列車は皆無であるにも関わらず、当時の車輌によるイベント列車を初めとして、50周年記念行事や、出版物の発行が行われている。
一方、
2000年には、中欧3カ国の鉄道事業者である
ドイツ鉄道・
スイス連邦鉄道・
オーストリア連邦鉄道により、
"TEE Rail Alliance" と呼ばれる組織が結成されている。20世紀末から急速に発展している
航空連合に対抗する意味もあり、この3ヶ国を相互に結ぶ列車に対し、統合されたサービスを提供することを目標としている(類似の組織としては、欧州の高速鉄道事業者連合 "Railteam" がある)。
…
続きを読む