アンカラについて
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アンカラ(
Ankara)は、
トルコ共和国の
首都。人口約358万人(
2003年)を抱える同国第2の都市で、
アンカラ県の県都でもある。
アナトリア半島中央部に位置する。
概要
都市の主要部分は
ウルス(Ulus)と呼ばれる
オスマン帝国時代以前からの歴史的旧市街と、
1920年代以降にトルコ共和国政府によってその南に
イェニシェヒル(Yenişehir)という名で計画的に建設された新市街、およびその郊外地区からなり、政府の施設はイェニシェヒルに集中している。
市街は政府の計画に沿って建設が進められたが、郊外地区は
第二次世界大戦後の
経済発展の都市集中に伴ってアンカラに流入してきた人々が建てた
ゲジェコンドゥと呼ばれる不法占拠住宅によって無秩序かつ急速に拡大した部分も大きい。
1980年代以降は
地下鉄など交通網の整備が進められた郊外に大規模な団地、ニュータウンが建設され、都市の膨張は進展しつづけている。
歴史
現在のアンカラの旧市街は古代に
アンキュラ(
Ancyra)と呼ばれる都市で、
フリュギアによって建設された。アンキュラは
紀元前189年に
ローマ帝国によって占領されて
アンゴラ(
Angora)という名で知られるようになる。
ローマ人は、アンゴラをローマ都市として整備するため、大劇場、大浴場、
アウグストゥスを祀る神殿、
ユリアヌスの来訪を記念する円柱などを建てた。それは、アンカラとなった現在も遺跡として残っている。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のもとで
キリスト教が広まり、現在も残る城塞が築かれた。また
テマ(軍管区)・オプティマトンの首府となるなど、アナトリア中部における帝国の地方行政・軍事の拠点都市となった。このため度々イスラーム勢力の侵攻を受け、
806年には
アッバース朝の
カリフ、
ハールーン・アッ=ラシードが自ら軍を率いてアンゴラを包囲するということも起こっている。
アンゴラは、
1073年に
ムスリム(イスラム教徒)の
セルジューク朝によって占領され、
トルコ人によってアンカラと呼ばれるようになった。
1101年には
十字軍としてやってきた
トゥールーズ伯レーモン4世がアンカラを占領している。セルジューク朝がレーモン4世の軍を撃退した後、アンカラはセルジューク系の
アミールであるダーニシュマンド家の政権や
ルーム・セルジューク朝、さらにはモンゴル政権である
イルハン朝の支配を受けた。
アンカラは
1356年に
オスマン朝の
オルハンによって占領され(
ムラト1世の時代という説もある)、以降はオスマン帝国領となるが、
1402年にはこの町の近郊でオスマン朝の
バヤズィト1世が
中央アジアから来攻した
ティムールに敗れ、オスマン朝は10年間に及ぶ分裂期を迎えた(
アンカラの戦い)。
オスマン帝国時代のアンカラはアナドル州に属するアンカラ県の県都であったが、
17世紀初頭にアナトリアで発生した大規模反乱である
ジェラーリーの乱の際には反乱側に落ち、その中心地となった。また、オスマン帝国時代には特産であるアンゴラヤギの毛を用いた
モヘヤ生産の発展もみられたが、
19世紀に入るとイギリスがアンゴラヤギの飼育に成功したこともあり、市場での独占性が薄れ毛織物工業は衰退に向かった。
1864年には行政区画の改変によりアンカラ州の州都となり、
1892年には鉄道(
アナトリア鉄道)が開通して
イスタンブルや
エスキシェヒルと結ばれたが、全体としてはアンカラは地方の小都市であり、
20世紀初頭の
1919年においても人口は2万5000人ほどであった。
第一次世界大戦終結後、戦勝国によりオスマン帝国の分割が進められ、さらに
ギリシャによってアナトリア西南部が占領されると、アンカラにも英仏軍が進駐してきたが、
1920年にこれに反対して決起したトルコ人たちの抵抗政権がアンカラに樹立され、
ムスタファ・ケマルがその指導者となってギリシャ軍をアナトリアから撤退させることに成功した。
さらにアンカラ政府は
1922年、
イスタンブルにあったオスマン帝国の
スルタンを廃してトルコ国家の単独政府を宣言し、
1923年に
共和制を宣言してアンカラを首都とするトルコ共和国が樹立された。
1923年にアンカラを首都と定める法律が
大国民議会で可決され、首都となったアンカラは官僚の移住などにより急速に人口が増大した。これにより旧市街ウルスが手狭になったため、
1924年には新市街(イェニシェヒル)の建設計画が定められた。
1928年にはアンカラ市全体を対象とする都市計画(
マスタープラン)の
国際コンペが開かれ、ドイツ人建築家ヘルマン・ヤンセンが主席を獲得した。
1932年から始まった都市整備はこのヤンセンの案に基づくもので、新市街の建設や大火で焼けたウルスの再開発などが行われた。さらに経済発展に伴う都市への人口集中により人口は膨張の一途を辿った結果、旧都イスタンブルに次ぐトルコ第2の都市に成長した。
見所
教育
交通
エセンボーア国際空港が市の北東28kmの位置にある。
姉妹都市
ギャラリー
ファイル:Ankara.jpg|アンカラの中心部を望む
ファイル:Guzelkent3.JPG|Guzelkent District、アンカラの西
外部リンク
公式
観光
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