Wikipedia画像へのリンク(エンブレム)
ジャガー(Jaguar Cars Ltd )は、
イギリス発祥の高級
自動車ブランド。現在は
ランドローバーとともに
インドの
タタ・モーターズ傘下の
ジャガー・ランドローバーの一部である。
歴史
設立
ウイリアム・ライオンズ(1901-1985、後に
爵位を授与され
サー・ウィリアム・ライオンズとなる)と、ライオンズの10歳年上の友人であるウィリアム・ウォームズレーにより「
スワロー・サイドカー・カンパニー」が
1922年に設立される。
会社は社名の通り
サイドカーの製造で事業を拡大し、
1926年には工場を移転して自動車のボディ修理も手がける。ここから自動車のボディ製造(コーチワーク)を手がけるようになり、自動車メーカーへの転身を図ることになる。その上で、まずは自動車全体を一から作るのではなく、
コーチビルダーとしてボディ(車体)を手がけることから高級車メーカーへの道を目指した。
「スワロー」時代
Wikipedia画像へのリンク(オースチン・セブン・スワロー・サルーン)
1927年に、当時のイギリスにおけるベストセラー
大衆車である
オースチン・セブンのシャシーに、ライオンズ自身がデザインした高級感のあるアルミニウム製ボディを換装したモデル「オースチン・セブン・スワロー」を発表した。この車は2人乗りのロードスター(
オープンカー)に始まりサルーン(
セダン)も追加され、特にサルーンには特別な塗色として量産自動車初の「3トーン」(デュオ・トーン)まで用意された。
ライオンズは、サイドカー製造の経験から、
「美しい物は売れる」という思想を持っており、元の車両より値段が高くなっても、デザインが美しければそれを求める顧客は必ず存在すると考えていた。その狙いは的中し、オースチン・セブン・スワローは
1932年までに約2500台を生産するヒット車種になった(うち3分の2がサルーン)。
会社は
1928年に社名を「スワロー・コーチビルディング・カンパニー」と変更すると共に
コヴェントリーへ移転し、複数のメーカーからベースとなる車種を調達して新たなボディを架装、また内装も本革やファブリックを使い豪華に仕立て直すようになった。
「SSカーズ」時代
Wikipedia画像へのリンク(SS 2)
さらに
1933年には、専用設計の
シャシーを持つ「SS 1」と「SS 2」を発売しヒットさせ、「
SSカーズ・リミテッド」と社名を変更した。
1935年には、ボディだけでなくエンジンとシャシーを含む全てを自社設計としたモデルを開発することに成功した。この新型車には今までと区別する意味から「
ジャガー」をいう車名を新たに付け、「SSジャガー 2 1/2」として発表した。
このモデルは、同じイギリスの高級車で上のクラスに属する
ベントレーに似た豪華なデザインと、それに劣らない高性能を遙かに安い価格で実現しており、高い人気を得た。この頃から、高級車製造を事業の中核としていった。上位メーカーに劣らない内外装デザインや性能を、相対的に安価で実現し顧客に提供するというこの手法は、後年まで続くジャガー社の基本戦略の1つである。
わずか21歳でサイドカー製造メーカーを設立したライオンズは、わずか13年で会社を著名な高級車メーカーへと発展させることに成功した。なお相方のウォームズレーは、事業の拡大に反対し「SSカーズ・リミテッド」への社名変更直前に会社経営から脱退している。
1939年9月に勃発した
第二次世界大戦時には、戦時体制下において乗用車の生産は縮小せざるを得なかったが、軍用車両の委託生産などを行うことで糊口をしのいだ。
「ジャガー」時代
Wikipedia画像へのリンク(マーク2 3.4)
第二次世界大戦後の
1945年に、敵国であった
ナチスドイツの組織である
親衛隊を連想させることから、社名の「SS」を「
ジャガーカーズ・リミテッド」に変更した。その後
1948年に発表された
XK120はその流麗なスタイリングと高性能、また同程度の性能を持つ
アストンマーチンやベントレーと比べて圧倒的に安価だったことから大人気となり、高級車ブランドとしてのイメージを決定付ける重要なモデルとなった。
さらに
1950年代には、自動車史上初めての4輪
ディスクブレーキを備えた
CタイプとDタイプを投入し
フェラーリや
メルセデスベンツ、
ポルシェなどのライバルを圧倒。
ル・マン24時間レースで5回の優勝を飾るなど、
モータースポーツで大活躍し名声を確固たるものにしていった。
さらに、1950年代に投入された
Eタイプや、スモールサルーンである
マーク2(Mk2)などの人気により、世界最大の自動車市場である
アメリカ合衆国での販売で成功を収めたことや、
1960年に高級車メーカーの
デイムラーを買収したことで企業体制も磐石なものになった。
冬の時代
Wikipedia画像へのリンク(XJ6(シリーズ2))
その後は順調な経営を続けたものの、
1966年7月に、イギリス最大の民族資本系グループである「
ブリティッシュ・モーター・コーポレーション」(BMC)との合併を行い、「
ブリティッシュ・モーター・ホールディングス」(BMH)を結成した。この突然の決定は、企業体制をさらに強固にするためのライオンズ自身による意思であるとされている。
しかし、
1968年にはBMH主要モデルの販売不振から、BMH自体が経営不振に陥ることになる。自体を重く見たイギリス政府は、もう一つの民族資本系グループである「レイランド・モーター・カンパニー」との統合を決め、「
ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション(BLMC)」として参集させた。
そんな背景のなか、ジャガーは同年1968年にスモールサルーンの後継モデルとなる
XJを投入した。しかし、本来は高級車メーカーであるはずのジャガーは、作業員のレベル自体がBLMCの平均に合わされることになり、品質の低下を招き販売台数も大幅に減少した。また、古参社員の引退が相次ぎ、ライオンズも
1972年に経営の座から退いた。
加えて
オイルショックの影響も受け、世界的に自動車の販売自体が激減する。倒産寸前になったBMLCは、遂に
1975年8月に国営化され、
ブリティッシュ・レイランド(BL)となる。傘下のジャガーは、「冬の時代」を歩み続けることになる。
復活
Wikipedia画像へのリンク(XJ6(XJ40))
1979年、ジャガーは新たな経営トップとして社外から
ジョン・イーガンを招いた。彼は乱れた生産体制や経営の改革に着手し、作業員の意欲向上、
日本企業並みの
品質管理(QC運動)による生産品質改善、販売手法の刷新と顧客からのフィードバック反映、そして経営の
リストラを推し進め成功した。
そしてその後
1984年に、
保守党の
マーガレット・サッチャー首相による民営化政策によって、ジャガーは再び民営化された。
抜本的な体質改善を行なったジャガーはさらに、
1986年に完全な新設計となるXJ(XJ40)をデビューさせ、「低品質」との悪評を打破することに成功した(なお、この車は
1985年に死去したライオンズが最期に確認した姿そのものとされている)。
1975年にEタイプの後継として投入されていた
XJSも、マイナーチェンジを重ねて信頼性の向上に努めた他、
1980年代後半にコンバーチブルモデルを追加し、アメリカ市場を中心に人気車種となった。
また、
1985年からは
世界耐久選手権(WEC)に参戦し、
1986年には
XJR-8でシリーズチャンピオンを獲得、さらに
1988年には、
XJR-9LMでル・マン24時間レースに31年ぶりに優勝し、かつての名声を取り戻すことに成功した。
フォード傘下
Wikipedia画像へのリンク(Sタイプ)
その後
1989年に、
ブランドイメージを高く評価した
フォードグループが、25億
アメリカドルでジャガーを買収し、フォードの傘下に入ることとなる。その後ジャガーは、同時期に買収された
ランドローバーや
ボルボなどとともに、フォードグループの高級車部門「
プレミアム・オートモーティブ・グループ (PAG)」の一翼を担うこととなった。
フォード傘下に入った後には、
リンカーンやフォードとのコンポーネントやパーツの共用を進め、かつての人気車種の名前を使ったミドルクラス・サルーンの
Sタイプや、初の小型車である
Xタイプを市場に投入するなど、かつてない勢いでモデルレンジを拡大した。また、
2000年からは
ジャガー・レーシングの名で
フォーミュラ1に参戦した。
現在
しかし、
2000年代の後半に入り、フォードグループは経営不振からPAGブランドの各社を手放さざるを得なくなり、
インドの
タタ・モーターズとジャガーおよび
ランドローバーの売却について交渉を進めた。最終的に、
2008年3月26日にジャガーおよびランドローバーはタタに約23億ドルで買収された。
[フォードがジャガーとローバーをタタ自動車に売却]。
イギリス王室御用達
高級車では
XJ(
1968年 - 現在)が
トニー・ブレア前
首相の公用車にも選ばれている。また、
エリザベス2世女王、
エジンバラ公、
チャールズ皇太子からワラント(
御用達指定)を下賜されている。
車種一覧
Wikipedia画像へのリンク(Xタイプ)
Wikipedia画像へのリンク(XF)
Wikipedia画像へのリンク(XK コンバーチブル)
Wikipedia画像へのリンク(Eタイプ)
Wikipedia画像へのリンク(XJ220)
現行モデル
デイムラー
ここではジャガー傘下に入ってからのモデルを挙げる。
絶版モデル
モータースポーツ
スポーツカーレース
Wikipedia画像へのリンク(Cタイプ)
Wikipedia画像へのリンク(XJR-9)
ジャガーは
1950年代から、スポーツカーレース、特に
ル・マン24時間レースで活躍した。
1951年と
1953年にCタイプで、
1955年から
1957年まで
Dタイプで総合優勝した。
その後レースから遠ざかっていたが、
1980年代中盤に
トム・ウォーキンショー率いるTWR チームがジャガーのV12エンジンを使った耐久スポーツカーレース用の車を設計した。TWRチームは
1988年と
1990年のル・マンで総合優勝した。
F1
日本でのビジネス
「オースチン・ローバー・ジャパン」など、幾つかのインポーターの変遷を経て、
1986年に
西武百貨店との共同出資で日本法人「ジャガージャパン株式会社」が設立された。その後
1999年、西武百貨店が資本を撤退しジャガー・カーズ単独でジャガージャパンが運営されていたが、フォードPAGグループの発足に伴い、日本国内のPAGブランドの統括法人「
ピー・エー・ジーインポート」と合併することとなった。
2005年、同じPAGブランドの
ランドローバーと営業部門を統合し「ジャガー&ランドローバージャパン」として運営を開始。独立店舗の他にも両ブランドの複合ショールームを展開する。
2008年3月26日、ジャガーとランドローバーがタタに約23億ドルで買収されたことに伴いフォードPAGグループから離脱することとなり、同年10月より日本でのビジネスは「
ジャガー・ランドローバー・ジャパン株式会社」が統括することとなった。
脚注
参考文献
-
『ワールドカーガイド 12 ジャガー』 株式会社ネコパブリッシング : ISBN 4873661056
外部リンク
ジャガー (自動車)について