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ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群

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ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群について

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群は、チリ北部にある旧硝石精錬所群である。それらは2005年ユネスコ世界遺産に登録されると同時に、危機遺産にも登録された。

地理

ハンバーストーンとサンタ・ラウラは、チリ北部のタラパカ地方、アタカマ砂漠にある町イキケIquique)の東方48 km に位置している。 チリのほかの硝石工場群には、チャカブコChacabuco)、マリア・エレナ、ペドロ・デ・バルディビア、プエルマ、アグアス・サンタスなどが含まれる。なかでもチャカブコはピノチェト政権下で強制収容所として使われたという特殊なケースであり、今なお未撤去の地雷が周囲には埋設されたままである。

歴史

グイジェルモ・ヴェンデル硝酸塩抽出会社(The Nitrate Extraction Company Guillermo Wendell)は、1872年に当時ペルー領だったサンタ・ラウラに硝石工場群を建てた。同じ年にジェームズ・トマス・ハンバーストーン(James Thomas Humberstone)は、ペルー硝酸塩会社(Peru Nitrate Company)を設立して、ラ・パルマに工場群を建てた。どちらの工場群も急成長し、それぞれの一帯はイギリス様式の洒落た建造物群が並ぶ賑やかな町になった。これらの地域で産出された硝石は、化学肥料の原料として、南北アメリカ大陸のみならず、ヨーロッパ大陸の土壌を肥沃にすることにも貢献した。 ラ・パルマがその地域最大の硝石生産拠点となっていたのに対し、サンタ・ラウラの生産は低調だった。そのため、1902年にはサンタ・ラウラはタマルガル硝酸塩会社(Tamarugal Nitrate Company)の手に渡った。1913年には一時操業停止に追い込まれたが、シャンクス式抽出法(Shanks extraction process)が導入されて生産性が向上すると再開した。 しかし、その経済モデルは世界恐慌の時期にあたる1929年に挫折した。フリッツ・ハーバーが考案し、カール・ボッシュが実用化したアンモニア合成(いわゆるハーバー・ボッシュ法)の発展が化学肥料生産につながったのが原因である。実質的に破産した両工場群は1934年にコサタン社(COSATAN, Compañía Salitrera de Tarapacá y Antofagasta)が買い取った。コサタンは元の設立者の名を記念しラ・パルマを「サンティアゴ・ハンバーストーン事業所」(Oficina Santiago Humberstone)と改称した。コサタンはハンバーストーンの設備を新しいものにし、競争力のある自然硝石の生産を試みた。それは成功し、1940年には最も成功している硝石工場となった。 しかし、その後急速に衰え、コサタン社は1958年に姿を消し、両工場群は1960年に打ち棄てられた。ゴーストタウンとなっていた2つの町は、1970年に国定史跡となって観光客に公開され、2005年には世界遺産に登録された。

登録理由

ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群は、そこに集まった労働者たちが独自の共同体文化を築いていたことや、産出された硝石が南北アメリカ大陸やヨーロッパの土壌を肥沃にする上で寄与し、同時にチリにとっての重要な収入源となっていたという歴史的な意義などが評価された。

危機遺産

主として木造であることに由来する建造物群の脆弱性や地震の影響、資材の盗難などを理由として、世界遺産登録と同時に危機遺産にも登録された。

ギャラリー

Image:2005.11.14_24_Humberstone_Chile.jpg|ハンバーストーン入り口 Image:2005.11.14_26_Humberstone_Chile.jpg|労働者地区 Image:2005.11.14_34_Humberstone_Chile.jpg|労働者地区 Image:2005.11.14_38_Theater_Humberstone_Chile.jpg|劇場 Image:2005.11.14_39_Pool_Humberstone_Chile.jpg|プール

登録基準

ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群について
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