リッケンバッカーについて
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
Wikipedia画像へのリンク(リッケンバッカー・330(JG)と
ヴォックスアンプ)
Wikipedia画像へのリンク(エレクトリックベースのリア・ピックアップに多く採用されているホースシュー・ピックアップ)
リッケンバッカー(
リッケンバッカー・インターナショナル・コーポレーション、
Rickenbacker International Corporation、
RIC社)は
アメリカ合衆国の
楽器メーカー。主に
エレクトリックギターを主力製品として、
アコースティックギター、
弦、
ストラップなどを製造している。日本の代理店は
新星堂。
特徴
同社のエレクトリックギターの特徴は、大きめの
ダブルカッタウェイに、ヘッド部に
Rickenbackerロゴ入りの大きな
トラスロッドカバーを設け、ボディ部の
ピックガードにも大きな独特な形状のものが設けられている。また、
ブリッジ付近にはシャープな切れ込みが入っている。ヘッドは3枚の板を接着した構造になっていて、薄い塗装のため判別しやすい。これらの特徴から、たとえ同社のロゴを見なくても一目で同社のギターだと判別できる。硬くて芯の太い音は、ネックのよじれ防止として内蔵されている2本のトラスロッドによるところが大きい。
創業当時から手作り(ハンドメイド)にこだわり、今でも材料の切り出しから全て手作業で行っている。そのため、一般のギターより割高となる。
1932年に発表されたフライングパンは一般に発売された最初のエレクトリック・ギターである。外注のボディに
ピックアップを組み込んだエレクトリック・スパニッシュ・ギターも同年発売。自社製のエレクトリック・スパニッシュ・ギターは
1935年に発売。
エレクトリックベース、エレクトリック・
バイオリンも世界初の発売。エレクトリック・
12弦ギターも同社が世界初の市販である。
歴史
1931年、元ナショナル社のジョージ・ビーチャムらにより母体となるロー・パット・イン・コーポレーションが
ロサンゼルスに
電気楽器と
アンプの製造を目的に設立され、
1934年にエレクトロ・ストリング・インストゥルメント・コーポレーションと社名を変更。
翌
1932年、世界初の商品化されたエレクトリック・ハワイアン(
ラップスティール)ギター「
フライングパン」を発表し、世間に広く受け入れられた。但し発売年に売れた本数は、10数本のラップスティールと5本に満たないスパニッシュギターという記録があるのですぐに受け入れられたわけではないようである。
当時の製品群のボディーは木材ではなく
アルミニウムの
ダイカストや
ベークライトで作られていた。これは創始者の一人アドルフ・リッケンバッカーが金物工場を既に経営しており、これらの設備を使って製作できた為である。逆に言えば、自社で木工をする設備は持っていなかった。
アドルフの従兄で
撃墜王として有名だったエディー・リッケンバッカーの知名度を利用する為、ブランド名として「リッケンバッカー・エレクトロ」を使用した。
1953年、
フェンダー・エレクトリック・インストゥルメンツ社の販売代理店だったラジオ&テレビジョン・イクイップメント社の経営者のF・C・ホールがリッケンバッカーを買収。
ラジオ&テレ社はフェンダー商品を全米に広げた原動力となったが、同年、同社のセールス・マネージャーだったドン・ランドールを社長として設立されたフェンダー・セールス社にフェンダー商品の販売は移行されることになる。両社の関係は
1955年まで続くも、F・C・ホールによるリッケンバッカーの買収はフェンダーとの関係が切れた後の楽器ビジネスを考えてのことのように思える。実際、その後リッケンバッカーはラジオ&テレ社の販売網を使って全米に売り出された。
この頃、
ドイツ出身のギター職人ロジャー・ロスマイズルが入社し、現在にも繋がる多くのエレクトリック・スパニッシュ・ギターのモデルが彼の手により生まれ、既に時代遅れとなっていたラップスティール・ギターに代わり主力商品となっていった。ロスマイズルは後にフェンダーに移り、コロナド等のアコースティックボディーのギターや、
ビートルズの映画「
レット・イット・ビー」で
ジョージ・ハリスンに使用されたオールローズの
テレキャスター等を製造する。
1960年代はビートルズの
ジョン・レノンがモデル325(6弦、12弦)、ジョージ・ハリスンが
モデル360/12(
12弦ギター)モデル425(6弦ギター)、
ポール・マッカートニーがモデル4001S(4弦
ベース・ギター)等を使用した影響で、
ギブソンやフェンダー等の大手メーカーを凌ぐ人気を誇った。
1970年代に入るとモデル4001は
イエスの
クリス・スクワイア、
ディープ・パープルの
ロジャー・グローヴァー、
ザ・ジャムの
ブルース・フォクストンなどが使用した影響で、主にイギリスの
ハードロック、
ヘビーメタルや
ニュー・ウェイヴ系のバンドなどに幅広く使われるようになった。
補足
-
モズライト社を設立したセミー・モズレーも一時期在籍していた。ゼロフレットを打ち込むなど、独自の仕様を持つギターを勝手に作っていた為に解雇されることになるが、これがモズライトを設立するきっかけとなる。同時期に工場に居たクラフツマン、ロジャー・ロスマイズルにギター製作の指導を仰いでいた。「Combo」シリーズや381モデルなどに見られるボディトップのカーブを「ジャーマン・カーブ」と呼ぶ。これはロスマイズルがドイツ人だった為。モズライトにも同様のカーブが見られる。またモズライトのホロウボディギター「Combo」のボディ構造も、リッケンバッカーと同様にボディ材を裏側からくり抜き、裏側から蓋をする形で構成するという構成もリッケンバッカーに習っている。
-
1960年代、ロンドンの楽器商ローズ・モーリス社がイギリスの輸入代理店となり、同社のオーダーでアメリカ国内の仕様と異なるギターが多くイギリスに輸出された。サウンド・ホールがfホールになり、ポジションマーカーがドットに変えられた物が多い。これらにはローズ・モーリス独自の4桁のモデル番号が付けられていた。たとえばジョン・エントウィッスル、 ピート・クウェイフ、ドノヴァン、クリス・スクワイヤが最初に入手し、後にポール・マッカートニーが演奏していたベースはヨーロッパ仕様のモデル1999である。これと同じ仕様のものはアメリカで入手できなかったが、後にモデル4001Sとして本国でも発売されることとなった。
-
すべてアメリカ製であるが、イギリス製と思われがちである。ビートルズの全盛時には、楽器を購入希望する手紙が「イギリス、リバプール、リッケンバッカー社様」宛に多く届いたと言う。
-
ベンチャーズの演奏で日本でお馴染みのパイプラインを作曲したシャンテイズのリードギタリスト、ブライアーン・カーマンがバンド解散後就職し、長らく工場長を務めていたが、シャンテイズが近年再結成するに当たり退職している。
-
日本に「リッケンズ」という音楽ユニットが存在する。デビューアルバムはリッケンバッカーをその名の通りにメインに使用していたが、二枚目のアルバムからは他社のギターを使用する割合が増えている。
外部リンク
リッケンバッカーについて