国立代々木競技場について
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国立代々木競技場(こくりつよよぎきょうぎじょう)は
東京都渋谷区にあるスポーツ施設である。
第一体育館・
第二体育館の他、インドアプールなどからなる。
概要
1964年の
東京オリンピックの開催に備えて建設された同会場は、同大会のサブ会場として使用されたもので、メインアリーナとなる第一体育館(本館・または代々木オリンピックプールともいう)では競泳競技が、第二体育館(別館)ではバスケット・ボールが開かれた。
その後、メインアリーナは、競泳以外のイベントにも対応できるように、冬季はアイススケート、春季・秋季はプール部に木のパネルを貼って、体育館として利用できるようになっている(但し、吊り橋構造への影響を考慮し、プールの躯体は現存し、鉄骨を組み蓋をしているだけ)、今日では第一体育館は
アイススケート、
バレーボール、
フットサル、
ハンドボールなどに用いられる。さらに、
1983年、
CHAGE and ASKAが初めてコンサート会場として使用して以降はコンサート会場としての利用も多くなったが、
東京ドームと同様、天井が高く反響が遅れるため、音響の悪さは折り紙つきである。
その他、アリーナ部分のスペースが広く取れることから、花道や派手な演出も出来る為、K-1 WORLD MAXや
戦極などの大会を度々行っている。
第二体育館は、
バスケットボールの中心的な施設として利用されるようになった。また、こちらはすり鉢状の会場であり、
プロレスファンからは「規模を大きくした
後楽園ホール」というイメージを持たれることから、プロレス会場としても使われる。
体育館の設計は、
丹下健三の手によるもので、丹下の代表的作品でもある。どちらも、
吊り橋と同様の技術(吊り構造)を用い、1本または2本の主柱から屋根が吊り下げられ、観客を競技に集中させるために考案された内部に柱を持たない、珍しい構造の建物である。その評判は、東京オリンピックの時にアメリカ水泳選手団の団長が「将来自分の骨を飛び込み台の根元に埋めてくれ」と申し出たと伝えられるなど、戦後日本を代表する名建築として、高く評価されている。
また、体育館設計の功績によりIOC(国際オリンピック委員会)は、東京都、日本オリンピック組織委員会とともに丹下健三を特別功労者として表彰している。
しかし、建築用素材に
アスベストが含まれていたことが判り、
2006年8月より全面的なアスベスト除去工事を実施した。まず、2006年8月から
2007年3月は第二体育館、2007年
1月から8ヶ月は第一体育館をそれぞれ閉鎖し工事が行われた。この間の主要イベントは、関東地区の他会場(
東京体育館、
横浜アリーナ、
さいたまスーパーアリーナなど)に変更された。
開催された主な競技会
第一体育館
Wikipedia画像へのリンク(国立代々木競技場第一体育館の内部。
2005年春の全国高校バレー大会開催時)
第二体育館
thumb2月14日、
JBL、
日立サンロッカーズ対
パナソニックトライアンズ]]
競技場全体
開催されたイベントなど
CHAGE and ASKAに公演が1983年、1987年、1992年、1993年、1994年、1995年。1999年、2007年と行われている。2000年以降は
浜崎あゆみのカウントダウンライブが年末の恒例行事となっている。また他にも日本国内のアーティスト、来日したアーティストによる公演がしばしば開催されてきた。1987年には
おニャン子クラブの解散コンサート、1988年には
シブがき隊の解隊コンサート、1994年、2007年には
米米CLUBのコンサートも行われた。また、1991年には
尾崎豊のライブコンサートが行われたが、翌年の本人の急逝により、尾崎の生前最後のコンサート会場となった。その他に、1993年よりスタートした
エイズ撲滅のイベント「
アクト・アゲインスト・エイズ(AAA)」の一つ「THE VARIETY」の会場となっている。2008年には第一体育館にて、
ZARDの
坂井泉水の一周忌にあたる5月27日に“ZARD What a beautiful memory 2008”最終公演が行われた。また、同年7月には
水樹奈々が声優として初めてライブを行った。
アクセス
代々木駅よりも、上記2駅のほうが近い。そのため、代々木駅構内には原宿駅で降りるよう案内する張り紙などがある。
位置情報
関連項目
外部リンク
国立代々木競技場について