『
週刊少年マガジン』(しゅうかんしょうねんマガジン)は、
講談社が発行する
日本の
週刊少年漫画雑誌。
1959年3月17日創刊。毎週
水曜日発売。略称は 「マガジン」「週マガ」。
概要
創刊は『
週刊少年サンデー』と同じ1959年3月17日。創刊号の表紙を飾ったのは
大相撲の
大関・
朝汐(ちなみに創刊当時開催されていたと思われる大相撲春場所で横綱昇進を決める)。なお、成人向けの週刊誌として「
週刊現代」も同時に発行された。
編集者・
牧野武朗が率いた創刊後の数年間は、雑誌に占めるマンガ頁が全体の4割程度で、漫画家も少女漫画作家が多かった。
部数の低迷が続いていたが、
1965年に第3代編集長に就任した
内田勝の様々な手段や、第4代編集長・
宮原照夫による、
ちばてつやの野球漫画の掲載開始などで、
1970年には150万部を達成。少年漫画雑誌売り上げ1位の座を獲得し、『
朝日ジャーナル』『
平凡パンチ』と共に大学生の愛読誌と呼ばれ、黄金時代を築いた。
しかし、黄金期の主力作品の相次ぐ終了や他誌の追随などにより
1973年に『
週刊少年ジャンプ』に少年漫画雑誌売り上げ1位の座を奪われる。その後しばらくは低迷期が続くが、それを経て1990年代に着実に部数を伸ばし、
1997年には『週刊少年ジャンプ』の「黄金期」の終焉に伴い、再び売り上げ1位の座を手にするものの、
2002年8月に再び『週刊少年ジャンプ』に首位を奪われ、少年漫画雑誌売り上げ2位に甘んじている状況が現在も続いている。
他誌の場合は新年号になると背表紙や目次などの外形を一新するが、『週刊少年マガジン』の場合は数年間同じ図案を使い続けるのが特徴。目次も長年タイトルだけが並ぶ飾り気のないものであった
[1970年代後半から1980年代前半の『週刊少年マガジン』を扱った「青春少年マガジン1978〜1983」には作者のコメントがあったと思われる描写がある。]が、
2004年40号から作者のコメントがついたものへと変更されている。
なお発売日は毎週
水曜日、通常定価は2008年7月より260円となっている。創刊当初の定価は40円。現在の誌名ロゴは
1984年から使用されている。イメージキャラクターのモグラ“ピモピモ”は
1982年から誌面に登場している。
1997年以降、長らく単行本の定価は390円(
税抜)であったが、2006年8月発売分より400円(税抜)に定価が改定。さらに、2008年12月発売分からは419円(税抜)に値上げされ、現在に至る。
特徴
誌風
誌風について
ジャンプが「
若年的な熱血感」、
サンデーが「
都会的な清潔感」を雑誌のカラーとするのに対し、マガジンは「
泥臭さ・社会性」というイメージを持たれていることが多い。しかし、元々バリエーションの豊富さを編集方針としていることもあり、特に
1990年代以降は読者の多様化に対応した様々な作品が登場している。
なお、これらの作風の違いは、会社・編集部・従業員などにも現れているとされ、集英社は「熱気」があり、小学館は「清潔感」に溢れ、講談社は「雑然」としている…といったイメージで語られることがある。逆説的に、こうした社風が作品に影響しているともいえよう。
劇画路線からの脱却
W3事件の際、
手塚治虫が『週刊少年マガジン』から原稿を引き上げたため、対立軸を明確にすべく
1970年代に
劇画路線をとったことで知られる。以降読者の高年齢化が進み、
1980年代から
1990年代中頃までは
ヤンキー漫画等が主流を占めたため「不良の読む雑誌」とされたこともあったが、いわゆる第2次黄金期(
1997年 -
2002年)以降はそのイメージは過去のものとなりつつある。
近年の少年誌では珍しい、ノンフィクションの
ドキュメンタリー漫画が掲載される他、一時期は芸能人による連載企画も行われていた。
グラビア企画
今や多数の女性芸能人を輩出しているオーディション企画
ミスマガジンを始め、
グラビアアイドルや人気
女優などのカラーグラビアも積極的に行なっている。また、「マガジン一押し!若手アイドル○連発」等と銘打ってまだ知名度の低いグラビアアイドルをまとめて掲載する企画が不定期で行なわれており、中には
乙葉や
小倉優子など現在では多くのTV番組に出演し知名度の高い女性タレントも出演していた。しかし、最近はすでにTVで活躍している女性タレント(
スザンヌ、
南明奈など)が出演する事が多い。
編集部主導
企画モノの発案や市場調査の実施に見られるように、編集部側主導で誌面を作る傾向が強く、作風が編集方針から外れないように漫画家へ依頼することも多いという。徹底的な
アンケート至上主義である『週刊少年ジャンプ』と異なり、アンケートは誌面の編集方針の参考という扱いだと言われている。編集部が読者に特にアピールしたい作品の掲載順を意図的に上位にすることもあり、『ジャンプ』ほど厳密に掲載位置とアンケート結果が関係していないと考えられている
[巻末はギャグ漫画やネタ系漫画のほぼ定位置であり、2004年からは『もう、しませんから。』がそれにあたる。]。単行本の売り上げや、入稿対策なども考慮されているので、常時下位掲載でも打ち切られないケース
[『神to戦国生徒会』などが挙げられる。]も見られる。
誌面が安定している反面、既存のヒット作の二番煎じが多く没個性だという声もある。また、逆に流行や社会情勢などを参考にした少年誌としては荒唐無稽な内容の作品も多いが、その点が仇となり読者からの支持が得られないこともある。この問題は第2次黄金期が終焉した後の新人漫画家の作品に多く、連載を始めても十数話で打ち切られるケースも少なくない。これを象徴するエピソードとして、
BIGLOBEのお仕事DBにおいて当誌の担当者のインタビューが掲載された際、当該担当者が関与した連載作品が短期間で多く打ち切られたことについて、
月刊コミック電撃大王の編集者が
ブログで苦言を呈している。
[週刊少年マガジンの編集者に大苦言!(ロケットニュース24配信、ライブドアニュース掲載)]
作品の転出および転入
人気が低迷したり作者・編集部側の事情などにより本誌で打ち切りになったとしても完全に打ち切るのではなく、兄弟誌である『
マガジンSPECIAL』や『
月刊アフタヌーン』へ舞台を移して連載をするケースが多い。(例として「
Dreams」や「
ガチャガチャ」などが前者へ、「
ヴィンランド・サガ」が後者へ移籍している。)逆に「
将太の寿司」や「
生徒会役員共」など当初は『マガジンSPECIAL』において連載されていた作品が本誌へ移籍するケースもあるほか、「
主将!!地院家若美」など作品のPRも兼ねて本誌で読みきりを連載することもある。
特異な例として「
中華一番!」は本誌で連載をした後に『マガジンSPECIAL』へ移籍したが、アニメ化が決定するなどしたため『真・中華一番!』として(内容は継続)ふたたび本誌で連載を行なった。それに対し「スミレ17歳!!」は『マガジンSPECIAL』で連載をしつつ本誌で読みきりを執筆したところ好評だったため「
スミレ16歳!!」として本誌へ移籍したが、17歳の設定をリセットしたのが仇となり、結局16歳の設定を継続する形で『マガジンSPECIAL』へ戻っている。
連載漫画家の特徴
1999年頃から同社他誌の主力漫画家や他社デビューの漫画家を積極的に起用している。前者については
CLAMP(『
なかよし』)や
福本伸行(『
週刊ヤングマガジン』)が該当し、後者については
大暮維人(『
ウルトラジャンプ』)や
木多康昭(『週刊少年ジャンプ』)、
久米田康治(『週刊少年サンデー』)の例がある。その他
能條純一や
板垣恵介など他社の主力漫画家が一時的に『週刊少年マガジン』で連載を行なうことがある。
女性漫画家の起用は早い時期から多く行なっているが、ペンネームが男性風になることが多い。例として塀内真人(現・
塀内夏子)、
島崎譲、
大島司、
さとうふみや、
恵広史、
山本航暉などがおり、他誌では女性風だったペンネームをわざわざ男性風にした
久保ミツロウのケースもある。最近では
咲香里や
吉河美希など男性風に変えない女性漫画家もいる。
ショートギャグにも比重を置いていることから専門の漫画家も多く起用しており、過去には
斉藤富士夫や
三ツ森あきら、現在は
西本英雄や
氏家ト全がそれに該当する。また
島田英次郎のように普段は他誌で連載をしているが、本誌の連載漫画が休載したときの穴埋めとしてショートギャグ漫画の読み切りを描くことがある。
作品のアニメ・映像化
テレビアニメについては1960年代から1970年代前半にかけて『
あしたのジョー』や『
巨人の星』なと現在でも懐かしのアニメ作品として名を馳せている作品を出していたが、1970年代後半から1980年代にかけてアニメ化される作品が少なかった。これは上記に記述されているとおり「泥臭さ・社会性」の詩風のため時代背景にあった作品を出すことができなかったためである。1990年代以降はラブコメや
萌え路線など詩風の多様化によりアニメ化される作品が多くなったが、2000年代になると
少子化の影響により
全日帯アニメが縮小され、
深夜アニメでの放映が多くなっている。
[最近の例として再放送版『はじめの一歩』(日本テレビのみ)と金曜ロードショー内のスペシャル、『スクールランブル』第1期、『魔法先生ネギま!』第2期『ネギま!?』は全日帯での放映であったが、本放送版『はじめの一歩』(第1期)、『さよなら絶望先生』(第1期)、『俗・さよなら絶望先生』(第2期)、『ケンコー全裸系水泳部 ウミショー』、『魔法先生ネギま!』(第1期)、『涼風』、『エア・ギア』、『スクールランブル二学期』(第2期)、『はじめの一歩 New Challenger』(第2期)はいずれも深夜アニメ時間帯である。]
一方で
テレビドラマ・映画では1970年代に『
愛と誠』、『
野球狂の詩』、『
翔んだカップル』を、90年代には『
シュート!』(映画のみ)、『
金田一少年の事件簿』、『
GTO』などが放映された。特に『
金田一少年の事件簿』と『
GTO』は視聴率も良好であったためのちに映画化、更にはアニメ化もされている。
過去にテレビドラマ化された平成期の作品
注:作品名が斜字のものはドラマ放映時は連載終了または他誌へ移籍した作品。
約物の使用
作中の台詞表現において、
句読点を原則として用いず、沈黙を表す
リーダーも三点リーダー(…)ではなく二点リーダー(‥又は・・)を用いるという特色がある。ただし、『
スクールランブル』と『
新約「巨人の星」花形』の三点リーダーや『
さよなら絶望先生』の木津千里の台詞にある句読点など、例外も存在する。
歴史
1959年 - 1968年
1959年に創刊。当初は木曜日発売で定価は40円だったが、同年5号で30円に値下げ。キャッチコピーは同年14号から翌1960年26号まで「ゆめと希望の少年マガジン」だった。当初の主力作品は連続小説が大半を占めていたが、当時はまだヒット作には恵まれず、ライバルである『週刊少年サンデー』に水を空けられている状況が続いた。しかし1965年の「
ハリスの旋風」を皮切りにマガジンの快進撃が始まり、「
巨人の星」「
あしたのジョー」の2大スポ根マンガで一気に少年雑誌としての地位を不動のものとした。その他にも、「
ゲゲゲの鬼太郎」、「
天才バカボン」なども連載を始め、1967年1月にはついに100万部を突破した。また
大伴昌司の構成によるグラビア記事も人気に大きく貢献した。
円谷プロの怪獣物テレビ番組「
ウルトラQ」の怪獣を表紙の採用し、メディア・ミックスの先駆ともなった。
1969年 - 1977年
「キッカイくん」の連載を機にエログロナンセンスが用いられるようになり、それにともない読者の対象年齢も上昇。さらに1970年には「アシュラ」「ワル」「メッタメタガキ道講座」など多くの問題作が登場。さらに
横尾忠則を表紙のデザイナーに迎えるなど、マガジンは「
ガロ」に近い青年向けの雑誌となり、現在までに至るマガジンのイメージがほぼ確立されはじめる。大学生の間で「右手に
(朝日)ジャーナル左手にマガジン」と言われたこともあった
http://waga.nikkei.co.jp/enjoy/book.aspx?i=MMWAe1000017022009http://www.culturestudies.com/baby_boomers/baby_boomers08.html。この影響は大きく、神奈川県児童福祉審議会が1970年32号を
有害図書に指定。その後は1971年に「巨人の星」、1973年に「あしたのジョー」が終了したことなどからマガジンの勢いは徐々に下降。「あしたのジョー」などに変わる新たな主力作品としては「
空手バカ一代」「
愛と誠」「
おれは鉄兵」「
釣りキチ三平」などがスタートし、新たに
篠山紀信によるアイドルのグラビア記事を導入するも、部数は伸び悩み、1974年に『週刊少年ジャンプ』に発行部数首位の座を奪われた。このため1975年1号より創刊以来親しまれた誌名ロゴを初めて大幅に変更するなどのリニューアルを行い巻き返しを図ったが、低迷からは思うように抜け出せなかった。因みに1971 - 1973年には「
仮面ライダー」などの特撮ヒーロー作品がいくつか掲載されているものの、当時創刊されていた「
テレビマガジン」の独断場となりつつあったことから、以後特撮ヒーロー作品の掲載は控えられた。
1978年 - 1988年
2度目の誌名ロゴ変更を行った1978年2号で創刊1000号到達。だがこの頃の『マガジン』は『ジャンプ』だけでなく、『サンデー』や『チャンピオン』の後塵をも拝する状態となっていたが、「
翔んだカップル」のヒットによって
ラブコメ漫画が定着。「
あした天気になあれ」「
1・2の三四郎」「
コータローまかりとおる!」などの新たな主力作品の登場と新体制により勢いを徐々に取り戻し、部数を回復させた。1982年には初の雑誌系オーディション企画「ミスマガジン」とイメージキャラクターのピモピモの投入。1983年には定期増刊「
マガジンSPECIAL」の創刊と『マガジン』始まって以来の大ヒットとなるバイク漫画「
バリバリ伝説」の連載開始。さらに創刊25周年の年である1984年に誌名ロゴを現在のバージョンに変更。1980年代後半には少年誌の部数で『サンデー』を再び抜き、2位となったが、首位の『ジャンプ』の背中は遠く、差は開く一方だった。
1989年 - 1994年
1980年代末から1990年代初頭にかけては主に、大ヒットした「
金田一少年の事件簿」の連載が開始され、『マガジン』史上最も連載期間の長い(続編が連載途中でマガジンSPECIALに移動した『
コータローまかりとおる!』は除く)「
はじめの一歩」や「
シュート!」や「
オフサイド」や「
風のシルフィード」などのスポーツ漫画や、「
湘南純愛組!」「
カメレオン」「
疾風伝説 特攻の拓」などのヤンキー漫画の分野でヒット作が続出し、それらの作品に支えられしっかりと部数を伸ばし、1990年代の第2次黄金期の基礎を築いた。しかし1990年代初頭に『週刊少年ジャンプ』が発行部数600万部を突破したことなどもあってか、この頃のマガジンの健闘ぶりは当時は過小評価されがちで、スポーツものや不良ものに比重を重く置いたこの頃の誌面の内容には、「絞れば汗が出る」と揶揄する声も一部にはあった。一方、1994年には長らく『マガジン』で連載を続けていた
ちばてつやが、「
少年よラケットを抱け」の連載終了をもって『マガジン』から離れている。
1995年 - 1999年
「
金田一少年の事件簿」「
はじめの一歩」「
シュート!」などの看板漫画を擁する『週間少年マガジン』は、看板漫画を失った『週刊少年ジャンプ』との差を徐々に縮め、1997年にはついに『ジャンプ』を抜き久々に発行部数首位の座を取り返す。またこの期間に「
金田一少年の事件簿」「
GTO」「
サイコメトラーEIJI」などの看板・主力作品がドラマ化。これがどれも高視聴率を記録し、そこからさらに多くの読者を呼びこんだ。また、1998年から始まった「
ラブひな」が大ヒットし、関連グッズも飛ぶように売れ、そのことが後の『マガジン』の路線に多大な影響を与えることとなる。1999年に始まった「
RAVE」「
SAMURAI DEEPER KYO」「
GetBackers-奪還屋-」などの『マガジン』としては珍しいファンタジー漫画が立て続けに大ヒット。まさしく第2次黄金期と言えるほどの、誌面の充実振りを見せた。
2000年 - 2005年
2000年代に入ると、1990年代中 - 後期の第2次黄金期を支えた主力作品の休載・終了が目立つようになり、部数は徐々に下降していった。そして2002年
5月20日には副編集長が大麻所持で逮捕されるという衝撃的な事件がおきた。弱り目に祟り目となった『マガジン』はこの1年で部数が急落し、
8月には再び『ジャンプ』に首位の座を奪われてしまう。ちなみに捕まった元副編集長は、その後逮捕事件について
自伝を出版している。2003年には
CLAMPを
少年誌の『マガジン』本誌に引き抜くというサプライズを見せる。またこの年に「
魔法先生ネギま!」の連載が開始され、同作のメディアミックスが盛んに行われた。「
ラブひな」ヒットの影響からか、「
スクールランブル」を始めとした
ラブコメ・
萌え・
恋愛漫画などが多く誌面に見られるようになった。これらと従来の連載陣に加えて、『
サンデー』から移籍した
久米田康治が「
さよなら絶望先生」の連載を開始したり、巻末漫画として「
もう、しませんから。」が定着するなど、ギャグ漫画の分野でも個性的なヒット作が登場した。
2006年 -
原点回帰を狙ったのか、スポーツ漫画の新連載が大量に始まる。「
巨人の星」のリメイク漫画、「
新約「巨人の星」花形」の新連載が決定されたときは、テレビや新聞などの各種マスコミにも取り上げられた。ここ数年勢いがあった萌え系・ファンタジー系は最近はやや落ち着いてきている。その反面、急激なスポーツ系漫画の増加や最近の新作に個性的な作品が少ない事などによる誌面構成のアンバランス感もあってか、部数の減少に歯止めはかからず、2007年には発行部数が200万部を下回った。2008年現在は50周年記念として、様々な企画が進行中であり、ライバル誌の『
サンデー』と協力して異例のコラボレーションを見せている。2009年3月17日「少年サンデー・少年マガジン創刊50周年大同窓会」が東京で開催された。
連載作品
現在の連載作品
不定期連載作品
休載中作品
過去の掲載作品
週刊少年マガジン連載作品の一覧を参照。
読者コーナー
60年代後半にはダジャレやナンセンスギャグをメインとした「パンパカ学園」が人気だったが、70年代に入ると「へんな学校」や「星一徹のモーレツ人生相談」があった。その後「マイマガジン」や「マイマガ7」へと変遷し、少年誌の読者コーナーでは最もレベルの高い投稿センスを誇っていたが(編集長まで三段腹などが毎週ネタにされていた)、次第に「
ジャンプ放送局」にその座を抜かれ、さらに2000年代には「
サンデー青春学園」の影響もあり「ピモピモ広場」を最後に現在は廃止されている。この為、現在の週刊少年誌では唯一読者コーナーがない。
なおピモピモ広場でマスコットキャラとして活躍していた、
鉄腕アトムみたいな髪型に眼鏡をかけたキャラには「こく坊」という名がちゃんと存在し、「マイマガ7」から出演し続けていた(ただしイラストレーターは交代している)知られざる長寿キャラであった。この「こく坊」は実在する人物であり、「こく坊」の前にいたキャラ「だい坊」は2008年に連載していたルポ漫画「発掘!マガジン野郎!!」に登場している。(描かれていた「だい坊」と実在する「だい坊」は似ても似つかない模様。)
歴代編集長
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牧野武朗(1959年 - 1964年)
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井岡秀次(1964年 - 1965年)
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内田勝(1965年 - 1971年)
#
宮原照夫(1971年 - 1980年)
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三樹創作(1980年 - 1986年)
#
五十嵐隆夫(1986年 - 1997年)
#
野内雅宏(1997年 - 2004年)
#
工富保(2004年 - 2005年)
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森田浩章(2005年 - 在職中
[2009年3月現在。])
発行部数
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1959年 20万5000部(創刊号)
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1995年 436万部(本誌の最高記録)
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1998年 425万部
-
2000年 405万部
-
2001年 380万部
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2002年 364万部
-
2003年 319万部
-
2004年 272万部
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2005年 236万部
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2006年 215万部
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2007年 187万部
-
2008年 178万部
脚注
関連項目
外部リンク
週刊少年マガジンについて