西平彰について
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西平 彰(にしひら あきら、
1958年2月13日 - )は日本の
作曲家、
アレンジャー、
ミュージシャン(
キーボーディスト)。
東京都出身。
慶應義塾大学卒業。
1980年代に
沢田研二のバックバンド(正確にはユニット)、
エキゾティクスのキーボード奏者、コンポーザーとして活躍する。その後、
吉川晃司や
氷室京介のアレンジャー、キーボード奏者として活躍している。
評価
人物
エキゾティクスのなかでは、寡黙な存在で縁の下の力持ち的存在である。
音楽
エキゾティクスのメンバー、サブリーダー、コンポーザーとして1980年代初期の沢田研二の音楽活動に最も大きな貢献を果たした。具体的には
歌謡曲の面影を引きずる沢田研二の音楽性(それ以前の
井上堯之率いる「井上バンド」時代は、「勝手にしやがれ」のように楽曲にオーケストラが使われることが多かった)を、
ロックバンドスタイルに変換し、これを確立させている。
そして沢田研二に少なからぬ影響を受けた人物に例えば
氷室京介が挙げられるが
[氷室京介はソロ活動初期において、西平彰と並びエキゾティクスのメンバーだった吉田建を編曲家として迎え、西平はアルバム「SHAKE THE FAKE」までのライブパフォーマンスを支えたバックバンド「SP≒EED」のリーダーも勤めた。2人の対談において氷室は、西平が沢田に作曲した「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」という楽曲を高く評価しており、吉田と西平の招聘をエキゾティクス時代の活動に拠る部分が大きいことを明かしている。なおソロ歌手が特定の「バックバンド」を従えるという活動スタイルは沢田研二にその端を発する。]、
BOØWY解散後のソロ活動初期において
編曲家として貢献したのも彼である(同様に
吉川晃司の
編曲も担当している)。こうしたBOØWYや沢田研二のフォロワーらによって第2次
バンドブームが巻き起こることとなるが(一例として元
プリンセス・プリンセスの
岸谷香は沢田の代表曲「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」をアマチュア時代にカバーしていた)、彼はそのムーブメントを影で支える立場にあった。
つまり第2次
バンドブームにおいて「沢田研二⇒氷室京介(BOØWY)⇒当事者たち」というラインを鑑みた時、彼は前史から終焉までそのすべてに携わったということができる。但し、氷室京介の音楽性には
キャロルの影響も強く、むしろそちらの方が語られる機会は多いのだが、こうした評価は確立されているとは言い難いのが現状である。この背景には、沢田研二(エキゾティクス)が氷室京介(BOØWY)や第2次バンドブームへ与えた影響が評価として確立されていないことも一因であると考えられる。-->
名前が似ているキーボード奏者に
西本明(にしもとあきら)がいる。彼も、沢田研二のアルバム「TOKIO」や、吉川晃司のアルバム「パラシュートが落ちた夏」にキーボード奏者として参加しており、佐野元春のバックでキーボード奏者としても活躍していた。
実績
作曲、編曲、演奏(ライブ含む)を手がけたミュージシャンを列記。
他多数
アルバム
脚注
西平彰について