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みなさん、今晩は、 エンタフです。
自己の迷いを吹っ切るためにも すこし積極的に投稿を続けてみたいと思います。
むかし、
33歳頃だったと思いますが、 友達から サイトウ・タカオの取材ツアーに参加しないかと誘われたことがありましたが その時は忙しくてそれどころではありませんでした。
でも この人の作品は 最初のころの海底探検を主題にした好奇心にみちた庶民を題材にした作品を見たときから気になっていた人です。
その後、 英雄が主人公となっていきますが、時代物にしても、やはり庶民の気持にふと触れる場面があり、そのへんが驚かされたりするところでした。
そのうちに 傭兵の実際の取材をもとに、ゴルゴ・サーティンの世界が生まれてきました。
わたしは、
戦争のような状況に中に置かれたら おそらくすぐにではなくても 私が子供の頃聞いた南京の大虐殺の当事者のお話にあったように、 神経が変わっていってしまって おそらく時には 恐怖ゆえ 威嚇的に何かを叫びながら人を殺してしまう人間の一人でしょう。
想像力は もとは並以下の人間と私は自分を判断しています。
そうとしか考えられないようなこともたくさん気がついているからです。
しかし、だからこそ いっしょうけんめいいろいろな状況を体験もしてきましたし、考えてもきました。
そして、いまでさへおそらく わたしのような人間では 戦争時にも落ち着いていられるような人間ではないと思えています。 そのよううな弱い庶民の側(英雄の側ではなくて)の一人だと自覚させられてしまっています。
が、何か変だなと思うのは ゴルゴ・サーティンの場合です。
あれほどの 戦闘能力を持っていたら、 どんな争いの状況の中でも、完全なユトリがあるのではないでしょうか?
なぜ、 そんな人までが 平気で人を殺してしまうのでしょう?
面白さのためには、 しかたない というのがサイトウ・タカオの限界となっていったということなのでしょうか?
それこそ、洗脳されたサイボーグ的な心身の世界や、 あるいは 制御が仕組まれたロボットの世界に思えるとことがあります。
もし、もともとの合気道のように、絶対的安定性を求めることにより、そこからの自在の動きとスピードを求める世界が 彼の戦闘能力に少しでもあるのならば、 まず 後ろに誰かが立ったとたん攻撃の反応を無意識にしてしまうということはありえないはずであり、
もし、
自爆の爆弾を抱えた人がそっと後ろに回り込んだら どうなるのでしょう?と思ってしまいます。
サイトウ・タカオの本心の世界は なんとかして、
クールな英雄を立てておかないと、 木の葉のような状況の庶民をドキュメントすることが出来ないということなのかもしれません。
平和を生きているサイトウ・タカオ自身のそれはむしろ庶民性の証なのかもしれません。
が私が ここで語ってみたいのは、 サイトウ・タカオ論ではないのです。
ゴルゴ・サーティンの強さは 現実の強さの世界ではなくて、 その“幻でもいいから、なんとか描く必要があったところの”リアルな要素も取り入れた《 幻想の世界 》についてなのです。
世界の軍隊の世界には、 その戦争状況のきびしさからか、《ゴルゴ・サーティン幻想》がはびこってしまっているのではと 私には思えるのです。
軍隊で可笑しいのは、 いまや 一人の狂人がコンピューター技術と核を持っていればそれは何人いても役立たない点です。
では核や 超近代兵器のボタンを押す手を止めるのは何かといえば もはや知恵しかないとも言えます。 人間性の知恵の世界です。
しかし、そこにはその前に権力体制という壁が立ちはだかっていたりします。 テロならテロの組織体制です。
と、その知恵はそこに届きません。
それを届かせる力は 今の技術兵器を操るだけの武術の世界では、もちろんありません。
それを届かせる力は 昔の戦争状況から生まれた武術をさらに進化させることと、そう言う「幻想でなく強い心身の人」が 同時に人間性の知恵をも宿すような教育のみではないでしょうか?
おそらく、 武術論理に関しても 哲学は大きく貢献できるでしょう。
が、その面は秘密裏に研究される必要があるでしょうか?
そのへんが 私にはよく解かりません。
単純に もしも テロのほうにその技術が盗まれてしまったら効果は薄まってしまうと思えてしまうからです。
が、これも またゴルゴ・サーティン幻想による危惧にすぎないのかもしれません。
「絶対的安定性」を求めたもともとの合気道と言われる岩間合気道の世界は 私にとってもまだ謎の世界です。
もし、技術のみではなく、彼らが言うように、その安定性を身に付けたら人間性の花もそこから咲かないはずが無いというのが真実であるなら、 それはむしろ盗もう努力するだけでも、彼らを仏の世界に近づけてしまうとも思われます。
もし そうならば 今世界が必要としてるのは軍隊の進化、二重のゴルゴ・サーティン現象ではなくて、 武道自体の進化によるゴルゴを作る道なのではないかとも思えます。
秘密の精鋭部隊は 現実にはまだ必要かもしれません。 それが進化しそこに人間教育が深く取り入れられるならば それはとても現実的な現代の状況に必須の軍隊という存在に変化するのかもしれません。 それが唯一の道ならば それこそ権謀術策に満ちた深い策略の下(正しい意味でのということです)、まさにすべては、 秘密政治活動にこそゆだねられるべきところでしょう。
しかし、なんであれ《幻想で無いゴルゴ・サーティン》がたくさん育つならば、単純にそれだけで 世界に平和の確信がもっともっと育つ時が来るのかもしれません。
ゴルゴ・サーティンは強いのか?
私は《そのようなゴルゴたち》ならば、 「「仏より強い(今必要とされる存在)」」とも思うのですがどうでしょうか?
それは 幻想でしょうか?
読み込み中...-
MLNo.3836
横井直高さん
(3) 2009/11/07 10:34 [メール表示する]

みなさん、エンタフさん、こんにちは、横井です。
> [swansong:3834] 生きるいう事(自己反省も含めて)
> [swansong:3835] ゴルゴ・サーティンは強いのか?
上記ふたつの投稿を読ませていただいて、エンタフさんが何を見ようとされているのか分かったような気がしました。
「本当の意味での強さとはなんだろう?」
エンタフさんが追い続けている課題とはこのことではないでしょうか。こんなふうに考えたのも、ゴルゴ13の記述がひどく唐突な印象を受けたからです。しかし、その前の投稿、「生きるという事」と連続して読んでいくと、ゴルゴ13への言及の必然性が読めるようになりました。
「生きるという事」の中には、エンタフさんの大きな感動が包まれています。そのあふれ出る情動をエンタフさんと一緒になって感じることができれば、この貴重な文章を本当に読んだことになります。
ここにはエンタフさんの決意宣言が刻印されているのです。
>「苦しんでも生きることの方を この痛み
>の中で選ぶか? それとも楽な老衰の方を
> 自分は選ぶのか? どっちが自分の気持
>なのか?」もがきながらも、生きることの
>ほう、苦痛の方を選んでいる自分がそこに
>いました。もっともっと苦しい人たちが生
>きてます。だからといって、 自分がさら
>に苦しければ かんたんに自分のことしか
>考えられなくなる弱い自分のことも知って
>います。でも、そうではなくて、なんとか
>健康でいられて 生を選べるかぎり、 や
>はり 発言できるかぎり自分が思う最良の
>考えを生きて生き抜いて語ってやろうと決
>心していました。やはり 人間の精神の世
>界は どんなにすばらしいものでも生物と
>しての小さな体に張り付いている存在にす
>ぎないとも思います。ですが その真っ只
>中 つまり「生」の真っ只中に、それでも
>「永遠の命」と言えてしまうほどの「希
>望」が存在することも発言していきたいの
>です。
ずいぶんと長い引用になってしまいました。しかし、ここには一語も落としてはならないほどの感動がみなぎっていたのでした。エンタフさんの強い想いが一語一語に宿っていたのでした。
この決意のもとに、それでは具体的にエンタフさんご自身はどうあるべきか、それがゴルゴ13について考察する中で敷衍されていきます。
>しかし、なんであれ《幻想で無いゴルゴ・
>サーティン》がたくさん育つならば、単純
>にそれだけで 世界に平和の確信がもっと
>もっと育つ時が来るのかもしれません。ゴ
>ルゴ・サーティンは強いのか?私は《その
>ようなゴルゴたち》ならば、 「「仏より
>強い(今必要とされる存在)」」とも思う
>のですがどうでしょうか?
私自身も大きな励みになりました。エンタフさん、ありがとうございます。



